図書館から借りて読んだ本から1冊。訳は東江一紀(あがりえ・かずき)。解説によると、本書がアメリカで最初に刊行されたのは1965年。本国アメリカでは一部の愛好家に評価されただけでほとんど忘れられていたという。が、2011年にフランスで翻訳されてベストセラーになり、ヨーロッパ各国で翻訳が進み、さらに本国アメリカでも再評価されるに至ったという。
著者のジョン・ウィリアムスは、1922年テキサス生まれ。デンヴァー大学で文学を専攻し、ミズーリ大学で博士号を取得。その後は、主にデンヴァー大学で文学と文章技法の指導に当たり、1994年アーカンソー州で亡くなっている。つまり、この小説が評価される20年近く前に亡くなっていたことになる。訳者の東江一紀は、1951年生まれ。200冊以上の翻訳をものし、晩年は癌との闘病の中で本書の翻訳に取り組み、2014年に最後の1ページを残して無くなったという。
主人公のストーナーは貧しい農家に生まれるが、父の勧めで1910年ミズーリ大学に入学、最初農学を専攻する予定だったが、その後文学に転向。苦学の末、同大学の教員の職を得る。その後、裕福な家庭に育った女性と結婚するが、妻となった人は貧しい暮らしに耐えられず精神的に不安定になってゆく。家庭にも職場にも問題を抱える中で、いつしか若い研究者の女性と深い仲になり・・・。
第1次世界大戦から経済恐慌、さらに第2次世界大戦という混乱期の中で、文学の大切さを信じ、もがくように耐え続ける主人公。そして彼は歳を重ね、大学の定年に至り癌を発症し死んでゆく。なんの変哲もないストーリーなのだが、その心象風景の描写が実に細やかで、訳も優れている。訳者は、自分の姿をストーナーに重ね合わせていたのかもしれない。久々に心に沁みる小説を読んだ。
著者のジョン・ウィリアムスは、1922年テキサス生まれ。デンヴァー大学で文学を専攻し、ミズーリ大学で博士号を取得。その後は、主にデンヴァー大学で文学と文章技法の指導に当たり、1994年アーカンソー州で亡くなっている。つまり、この小説が評価される20年近く前に亡くなっていたことになる。訳者の東江一紀は、1951年生まれ。200冊以上の翻訳をものし、晩年は癌との闘病の中で本書の翻訳に取り組み、2014年に最後の1ページを残して無くなったという。
主人公のストーナーは貧しい農家に生まれるが、父の勧めで1910年ミズーリ大学に入学、最初農学を専攻する予定だったが、その後文学に転向。苦学の末、同大学の教員の職を得る。その後、裕福な家庭に育った女性と結婚するが、妻となった人は貧しい暮らしに耐えられず精神的に不安定になってゆく。家庭にも職場にも問題を抱える中で、いつしか若い研究者の女性と深い仲になり・・・。
第1次世界大戦から経済恐慌、さらに第2次世界大戦という混乱期の中で、文学の大切さを信じ、もがくように耐え続ける主人公。そして彼は歳を重ね、大学の定年に至り癌を発症し死んでゆく。なんの変哲もないストーリーなのだが、その心象風景の描写が実に細やかで、訳も優れている。訳者は、自分の姿をストーナーに重ね合わせていたのかもしれない。久々に心に沁みる小説を読んだ。