ピンク・アンダーソン( Pink Anderson)は、本名Pinkney Anderson。1900年2月12日サウスカロライナ州ローレンス(Laurens)に生まれ、1974年10月12日に同州スパルタンバーグ(Spartanburg)で亡くなっている。この人は、生まれつき芸達者だったようで、子供の頃からスパルタンバーグの近くの路上で歌ったり踊ったりして小銭を稼いでいたらしい。1915年頃から、というから15歳の頃にはメディシン・ショー(薬を売るために人を集める役割を負うショー)に参加して旅回りをしていたという。それは、1950年代半ばまで続いたが、病を得て引退。その後、1960年代に入り「フォークムーブメント」が起こり、「再発見」されるに至った。ちなみに、ロックグループのピンクフロイドは、この人の名前からそのグループ名を頂いているらしい。
Fantasy社のRIVERSIDEというレーベルのCD148。Gary DavisとのカップリングCD。東部ピードモントブルースを代表する二人のブルース・ゴスペル・ミュージシャンということでこの様な編集になったと思われる。
ピンク・アンダーソンは1950年5月29日ヴァージニア州Charlottesvilleで録音された7曲を収録。比較的早い時期の録音なので、声にも張りがあり、ギターの音にも力がこもっている。アンダーソンの録音経歴を調べたところ、1928年に当時コンビを組んでいたSimmie Dooney(1881~1961)とコロンビアへ4曲吹き込んでいる。が、これは残念ながら我が家にはない。
ゲーリー・デイビスは1956年1月29日ニューヨークでの8曲で、こちらも録音時60歳に近い年齢ながらも、若々しく且つ円熟味もある演奏を聴かせてくれる。私が好きな1枚。
これが、S.チャータースが、サウスキャロライナのスパルタンバーグでフィールド録音に近い形で収録した、やはりFantasy社のレーベルBLUESVILLEのCDOBCCD-504-2。我が家には、このCDの元となったLP(BV1038)もあるが、LPの方は全部で10曲。CDは、ボーナストラックが1曲ついて全11曲になっている。
上のCDを録音した際に、S.チャータースが、サウスキャロライナのスパルタンバーグで当時の8ミリフィルムのようなものを使って撮影したと思われるフィルムからの映像をデジカメで撮ったもの。子供に教えているところで、アンダーソンの自宅前と思われる。画像はかなり不鮮明。
1970年にノースカロライナで撮られた映像。『Blues Up The Country』(VESTAPOL13037)というヴィデオから、テレビ画面をデジカメで撮った一枚。70歳の頃で、すでに衰えは隠せないが、好々爺として親しみが持て、貴重な映像ではある。
Fantasy社のRIVERSIDEというレーベルのCD148。Gary DavisとのカップリングCD。東部ピードモントブルースを代表する二人のブルース・ゴスペル・ミュージシャンということでこの様な編集になったと思われる。
ピンク・アンダーソンは1950年5月29日ヴァージニア州Charlottesvilleで録音された7曲を収録。比較的早い時期の録音なので、声にも張りがあり、ギターの音にも力がこもっている。アンダーソンの録音経歴を調べたところ、1928年に当時コンビを組んでいたSimmie Dooney(1881~1961)とコロンビアへ4曲吹き込んでいる。が、これは残念ながら我が家にはない。
ゲーリー・デイビスは1956年1月29日ニューヨークでの8曲で、こちらも録音時60歳に近い年齢ながらも、若々しく且つ円熟味もある演奏を聴かせてくれる。私が好きな1枚。
これが、S.チャータースが、サウスキャロライナのスパルタンバーグでフィールド録音に近い形で収録した、やはりFantasy社のレーベルBLUESVILLEのCDOBCCD-504-2。我が家には、このCDの元となったLP(BV1038)もあるが、LPの方は全部で10曲。CDは、ボーナストラックが1曲ついて全11曲になっている。
上のCDを録音した際に、S.チャータースが、サウスキャロライナのスパルタンバーグで当時の8ミリフィルムのようなものを使って撮影したと思われるフィルムからの映像をデジカメで撮ったもの。子供に教えているところで、アンダーソンの自宅前と思われる。画像はかなり不鮮明。
1970年にノースカロライナで撮られた映像。『Blues Up The Country』(VESTAPOL13037)というヴィデオから、テレビ画面をデジカメで撮った一枚。70歳の頃で、すでに衰えは隠せないが、好々爺として親しみが持て、貴重な映像ではある。