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わたしのレコード棚ーブルース153 Otis Rush

2021年09月26日 | 音楽
 夫人が日本人だったこともあり、オーティス・ラッシュ(Otis Rush)の来日回数は多く、日本でも馴染みのあるブルースマンと言えるだろう。わたしも2度ほど生の演奏に接していて、1度目は1986年九段会館で日本のブルースバンド「ブレイクダウン」と共に行った公演。2度目は、2004年に新宿のパークタワー・ホールでのブルース・カーニバルでだった。双方共、シカゴのウェストサイドブルースと言われるギターのリードを前面に打ち出した演奏で、左利きで弦を右利きのまま張るギタリスト特有の音質、特にチョーキングした時の緊迫感が印象に残っている。ちなみに、九段会館の時の使用ギターはES-335 で、新宿の時はストラトキャスターだったと記憶している。特徴の違うギターを使っても違和感が無く弾きこなしていて、ギタリストとしての底力を感じた。

 生まれは、1934年4月29日ミシシッピ州のフィラデルフィア(Philadelphia)。亡くなったのは、2018年9月29日シカゴだった。2004年初頭に脳梗塞を発症。その年の春に来日して演奏したわけだが、サポートするギタリストがいたものの聴いていてさほどの衰えは感じなかった。しかし、それ以降は後遺症が悪化して演奏からは遠ざかり、晩年は車いすでの生活となった。

 8歳の頃から独学でギターを習い、教会の聖歌隊で歌ったりした事もあるという。1948年頃シカゴへ出て、クラブなどで演奏。1956年にインディーズレーベルのコブラに初録音。1960年からはチェスに録音しているが、この人は、実力の割には録音の機会には恵まれなかった、とも言われている。


 P-ヴァインのCD1804。1985年7月、テキサス州オースチンにあるクラブ「アントンズ」でのセッション13曲を収録。ジャケット写真左上から、エディ・テイラー、ジミー・ロジャース、パイントップ・パーキンス(後方のベーシストはボブ・ストロジャー)、バディ・ガイ、そして下段左からオーテス・ラッシュ、ジェームス・コットン、サニーランド・スリム、ヒューバート・サムリン。当時のアーバンブルースを代表するブルースマン達がそろって参加していて、ラッシュは「Double Trable」を演奏している。


 ジミー・ドーキンスのCDで、「Tribute To Orange」EVIDENCE26031-2。全13曲の内、1974年11月録音5曲でラッシュがギターを弾いている。

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