King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

衛星が不調

2005年08月20日 23時22分27秒 | 日々のこと
昨日から衛星放送が受信出来ません。
しかし、ハードディスクレコーダーのチューナーでは
BSのアナログは受診しているのでテレビなのかアンテナ
の不調なのか、はたまた電波受信状態が悪いか解りません。
突然ついたりもします。家電製品の寿命は確実に短くなって
います。造りが複雑になり、耐久性も悪くなっているのです。
それに性能の変化が激しく、耐久性までも設計段階で考慮に
入れられなくなっているのではないでしょうか。修理して
使うという風潮ではなく、新しいものを良く勧められます。

宮本輝の『月光の東』読み終わりました。
小説の中で、古美術の話が出てきます。何百年も前の焼き物
が高値になったり、蒐集の対象になり、高値がでたり、持つ人を
選んだりという話も出てきます。古美術商や画廊の経営者は
必ず、安く入れて高く売ることによって商売が成り立ちますから、
当然買うときにはけなしたり足元みたりして安く買い集め、
売るときには、一番高値をつけた人に売るというようなことを
していると思われます。そこで思うのは、査定価格というのが
実は実態価格ではないのではないかということです。テレビで
鑑定番組がありますが、あの値段もその値で買うという人がいて
はじめてそれが流通価格なわけで、ただいくらと値付けしても
意味はないのではないかといつも思います。

例えばゴッホの絵なんかも日本では何でも一億以上の値がつきますが、
果たしてそんな価値があるのかということです。バブルの時に
何でも日本では高値で買い、美術品も相場無視の高値買いが世界の
顰蹙をかいました。それは出せるものが出してほしいものをかうという
市場の原理ですから何も文句を言われる筋合いではありません。
しかし、その後多くの名画や美術品が倉庫で不良債権の担保として
形に獲られたり、差し押さえられたりしました。つまり、人々に
見てもらうべく買われた物が、倉庫の肥やしになったのです。
今では、せっかく日本に来たものの禄に公開もされず、どこへいった
のか解らないものも多数あり、そういう動きを考えると美術品なんて
作られたいきさつや注がれた情熱に見合う評価が必ずしもされない
という特別なものだというのが解ります。ゴッホの絵も点数がそんな
に揃わなければ、そんなに人気にならなかったでしょう。

テオが集めて他の作家と同様に売れる体勢があったから、再評価が
進んだと思われます。日本には、日本の影響を受けた作家だから
というのもあり、取り分けて人気が高いのでしょう。それとあわせて
誰かがいずれもっと高く買うという、ゴッホなら高く買っても間違い
ないという安心感があるのでしょう。嗜好はいつ変わるか解りま
せんから、印象派の絵画なら安心などというのは大きな誤りです。
ゴッホが30分で描いたような絵に2億だ3億だというのはやはり
異常なのです。現役作家の絵だと数万円で絵の具代にしかならない
といわれます。人気が出て賞でも取ればそれが100倍1000倍になるです。
そうするとただ芸術的価値としての金銭換算が果たして可能かという
単純な疑問が湧きます。芸術家の仕事というのはやはりいつも
尊敬に値します。絵画など新しい手法や試みは常になされていますが、
目指しているものはいつも同じです。本物をいつも見ていると
それはやはり語りかけてくるものがあり、自然と感じられます。
私の周りには、自称芸術家ばかりでそれでも大きな絵をはじらいも
なく公共の場所に架けて平気でいられるのですから、あきれてしまい
ます。本の感想を入れようと思いましたが、つい愚痴になって
しまいました。また書きます。
コメント
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