King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

善光寺の思い出

2006年08月11日 01時20分27秒 | 日々のこと
岩岳を振り返っては、ろくな分析もできず
つまらない感想集になってしまいました。
冬を懐かしむ輩や欲求不満を紛らわすために
スキーヤーやボーダーが戯れにやってみるという
のがプラスキーの現状でしょう。これで何かを
掴むとかひらめきが生まれるというトレーニングではない
様に感じます。

さて、そのサマーゲレンデから八方を望む露天風呂に入り
さらに前回八方で食べられなかったりんご舎という蕎麦屋に
より、次々に課題をクリアしていくロールプレイングゲームの
主人公のような我々にひとつ課題がありました。それは、まだ
ちょっと時間が早いというものです。まあなんと贅沢なことで
しょう。いつもは時間が無い無いと言っているのに、通勤割引
まで時間があるからどこかよっていこうという話です。

しかし、観光案内の地図をみていてもカブトムシだとか蕎麦打ち
体験とかそんなのうちの方でもやっているぞというようなものばかりで
全然興味を引くものがありません。しかし、長野市内にはいくつか
やってみたい事があります。そのひとつに、田中知事が作った透明
知事室を訊ねるというのもありました。そしてお土産の名刺を買う
というのいかにもミーハーな行動を時間があればやりたいところでした。
しかし、もうすでに田中知事は選挙で破れて本人もいないでしょうし、
新知事はその知事室は撤去を表明しています。今思えば、田中
知事が落選しても、任期は今月一杯は任期があり、当然知事室も
そのままで、名刺ももらえたはずなのでこれも行って見る価値があったと
思えます。

しかし、私にはもうひとつのプランが急に浮かんだのです。それは善光寺
をお参りすることです。それは永六輔がラジオでしゃべった善光寺に
お戒壇めぐりという真っ暗の闇の中を巡るものがあり、それがいかに
異次元体験かをしゃべっていたのです。それで長野で時間があったら
それをやろうとインプットしてあったものが急に目覚めてそうだ善光寺に
行こうとなったわけです。私は、以前お参りして善光寺の蕎麦を食べた
記憶があり、参道のお土産やさんで蕎麦とか唐辛子とか買い込んだ
記憶もあります。しかし、かなり昔の話であり、今回行ってみると随分
昔の面影はありません。ただ、不思議なのは夢で善光寺のような
ところをお参りしているのを最近見ているのです。

その夢を見たときには、全然善光寺だと思わなかったのですが、
上野のどこかのお寺と思っていたのですが、あの暑さと日の強さと
大きな建物から大きな駐車場に行く風景は今思うと善光寺だった
のです。そして、お戒壇めぐりで私の目的は達せられたような満足感
を味わいました。つまり、その真っ暗な闇でであった御釈迦様の遺骨
は、次元を超え私との邂逅を果たしその目的を達したと感じました。
今の時期に、あそこを訪れるのは必然のような気がしました。
鐘音を聞きつつ善光寺の太い柱を眺めて満足感を抱き帰途に
着きました。
コメント
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