滑走した、6日から四日間、最初は雪と風、次の日は晴天と
新雪、そして吹雪、最終日にまた新雪と晴天となりました。
ただ、積雪量はたいしたことなく、前半は氷点下10℃くらい
だったが、後半はマイナス2℃程度と暖かく、雪も後半は
重たい感じでした。
北海道というと粉雪と広大なゲレンデを皆さん求めてはるばる
やってくるのでしょうが、この三日目まででこのニセコ旅行は
失敗の部類に入ると思っていました。
移動量の割りに滑走感は乏しく、雪が極端に良い訳ではなく、
リフトは遅いし、やたら寒い中にとどまされていた感じでした。
これは来年も多分ニセコに来るだろうなあと感じずにはいられ
ませんでした。
しかし、この最終日で全てを私は赦しました。
コロラドから長いたびでここへ来た意味を私は彼らの行動を
理解できませんでしたが、この日は彼らの気持ちも世界から
愛されるこの地を全て理解した気持ちになりました。
いつものとおりアンヌプリのゴンドラから始まったこの日も
ゴンドラに乗り合わせたオーストラリアの人たちとの会話から
始まりました。彼らは最初おずおずと英語で挨拶をしてきて
どこから来たか聞くと自分たちはここの雪を愛していると
熱い思いを話してくれました。
気がついたのは、ここに集う外国人も上のほうにいる外国人は
白人のスキーヤーが多く、ボーダーはオーストラリア人が
多く、韓国人はボーダーが圧倒的で中国人はホテル等では
目立つもののゲレンデではほとんど見かけないのです。
そして、スキーヤーに黒人はほとんどいなくて、フィリピン系
の東南アジア人を数人見かけたものの、圧倒的に白人スポーツ
なのを感じました。ボーダーよりスキーヤーの方が多くて、
ファットスキーを履いたオールマウンテンタイプの山スキー
が一番多いのですが、ゲレンデ途中のお休みどころにはジジババ
が多数います。この分布は大変おもしろく、妙な住み分けが
できているように感じました。
ニセコはニセコルールという言葉をよく聞くのですが、管理外に
はいかなる理由でも立ち入り禁止、ロープはくぐるなということ
で、私は単独行動であり、ニセコ初滑走なのでよく見える山頂への
ハイクアップも自重していました。
この管理外に出るところにはパトロールがたっていて時間制限で
開いたり制限をしているようで、いつもみえるアンヌプリのゲートも
閉じている方が多く、開いているのも十時半からとか結構遅くから
開くので、パウダーを滑るために早起きは必要ないのだという感じ
でした。
コース外を滑ることもないと思ったのですが、最終日のビレッジの
オフピステを何本かこなしてさてどこに行こうかと一番高いリフトを
上ってみてみると一番端のシングルリフトのみ長いリフト待ちができて
います。これは二日目にも見た行列なのですが、なぜあのリフトだけ
行列ができるのか不思議でした。どうやら終着からゲートがあり、登山
している人が続いているのが見えてそのためだろうと思ったのですが、
しかし、今乗っているリフトの方が終着も一番高度があり、歩くのなら
このリフトの方がいいはずと思ってそのリフトの終着に行ってみようと
なり、横移動してみました。
すると、広大なノートラックの斜面へ人々がひたすら横移動していく
ラインが伸びる斜面が広がっていました。
私もそのゲートを通過。
人がいなくなるまで横移動すると後はどこに続いているのかノートラックの
広大な斜面のみ。
この開放感はたまりません。
目に入るのは、ひたすら広大な斜面のみ。雪と木立が下のほうにある
のみ。こりゃ地球の裏側からでも来るわなあ。
いったいどこまで降りていけるのかわからないコースで、一応リフトが
見えるほうに最後は出て終わりましたが、これは一日一本でもこれは
よいコースだなと感じる滑走感です。
あの八甲田山の広大な大斜面をまるで歩くことなくさらに長くノー
トラックの周りに人がいないところを滑ることができるなんて。
これは八甲田以上に人に教えたくないところです。もちろん世界にばれて
いるのですが。
そんなところでも、あのNASPAでニセコの魅力を語ったあの人はこれは
滑ってないんだろうなあと思うとまた不思議なものを感じます。
新雪、そして吹雪、最終日にまた新雪と晴天となりました。
ただ、積雪量はたいしたことなく、前半は氷点下10℃くらい
だったが、後半はマイナス2℃程度と暖かく、雪も後半は
重たい感じでした。
北海道というと粉雪と広大なゲレンデを皆さん求めてはるばる
やってくるのでしょうが、この三日目まででこのニセコ旅行は
失敗の部類に入ると思っていました。
移動量の割りに滑走感は乏しく、雪が極端に良い訳ではなく、
リフトは遅いし、やたら寒い中にとどまされていた感じでした。
これは来年も多分ニセコに来るだろうなあと感じずにはいられ
ませんでした。
しかし、この最終日で全てを私は赦しました。
コロラドから長いたびでここへ来た意味を私は彼らの行動を
理解できませんでしたが、この日は彼らの気持ちも世界から
愛されるこの地を全て理解した気持ちになりました。
いつものとおりアンヌプリのゴンドラから始まったこの日も
ゴンドラに乗り合わせたオーストラリアの人たちとの会話から
始まりました。彼らは最初おずおずと英語で挨拶をしてきて
どこから来たか聞くと自分たちはここの雪を愛していると
熱い思いを話してくれました。
気がついたのは、ここに集う外国人も上のほうにいる外国人は
白人のスキーヤーが多く、ボーダーはオーストラリア人が
多く、韓国人はボーダーが圧倒的で中国人はホテル等では
目立つもののゲレンデではほとんど見かけないのです。
そして、スキーヤーに黒人はほとんどいなくて、フィリピン系
の東南アジア人を数人見かけたものの、圧倒的に白人スポーツ
なのを感じました。ボーダーよりスキーヤーの方が多くて、
ファットスキーを履いたオールマウンテンタイプの山スキー
が一番多いのですが、ゲレンデ途中のお休みどころにはジジババ
が多数います。この分布は大変おもしろく、妙な住み分けが
できているように感じました。
ニセコはニセコルールという言葉をよく聞くのですが、管理外に
はいかなる理由でも立ち入り禁止、ロープはくぐるなということ
で、私は単独行動であり、ニセコ初滑走なのでよく見える山頂への
ハイクアップも自重していました。
この管理外に出るところにはパトロールがたっていて時間制限で
開いたり制限をしているようで、いつもみえるアンヌプリのゲートも
閉じている方が多く、開いているのも十時半からとか結構遅くから
開くので、パウダーを滑るために早起きは必要ないのだという感じ
でした。
コース外を滑ることもないと思ったのですが、最終日のビレッジの
オフピステを何本かこなしてさてどこに行こうかと一番高いリフトを
上ってみてみると一番端のシングルリフトのみ長いリフト待ちができて
います。これは二日目にも見た行列なのですが、なぜあのリフトだけ
行列ができるのか不思議でした。どうやら終着からゲートがあり、登山
している人が続いているのが見えてそのためだろうと思ったのですが、
しかし、今乗っているリフトの方が終着も一番高度があり、歩くのなら
このリフトの方がいいはずと思ってそのリフトの終着に行ってみようと
なり、横移動してみました。
すると、広大なノートラックの斜面へ人々がひたすら横移動していく
ラインが伸びる斜面が広がっていました。
私もそのゲートを通過。
人がいなくなるまで横移動すると後はどこに続いているのかノートラックの
広大な斜面のみ。
この開放感はたまりません。
目に入るのは、ひたすら広大な斜面のみ。雪と木立が下のほうにある
のみ。こりゃ地球の裏側からでも来るわなあ。
いったいどこまで降りていけるのかわからないコースで、一応リフトが
見えるほうに最後は出て終わりましたが、これは一日一本でもこれは
よいコースだなと感じる滑走感です。
あの八甲田山の広大な大斜面をまるで歩くことなくさらに長くノー
トラックの周りに人がいないところを滑ることができるなんて。
これは八甲田以上に人に教えたくないところです。もちろん世界にばれて
いるのですが。
そんなところでも、あのNASPAでニセコの魅力を語ったあの人はこれは
滑ってないんだろうなあと思うとまた不思議なものを感じます。