King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

おいしい完成形

2015年02月11日 13時59分19秒 | 珈琲
当店に最初に見えた方には必ず聞くことは
どんな珈琲が好みですかという簡単なものです。

私はかつておいしいコーヒー屋さんを探し求めて
いました。

ネットで通販が普及すると自家焙煎豆店の豆を取り寄せたり
雑誌に載る名店には必ず足を運び味をチェックしました。

そして、おいしい店というのがなかなかないというのが
厳然としてある現実でした。

流行っている店の珈琲は苦くてぬるくて癖があるようなの
ばかりで、それにマスターの個性を押し売りされるような
みんな似たようにものばかりでその底の浅さにも辟易と
するものがありました。

おいしい珈琲とはもっとシンプルであり、ただ飲んで
一言ああおいしいとでてくるのが求める物でした。

なければ自分で作るという当然の行為に走るわけですが、
さて、この生の豆から焙煎でどれだけ独自のものを込められ
合格点はどこにあるのかというごく単純な疑問がでてきますが、
それを得るには長い時間とお金がかかりました。

そんな完成形を示してこれを目指せという人は皆無であり、
合格点すら示しえないのです。

私が出会ったまともな人たちの中では、まず生焼けでないこと
焼き過ぎてないことといった簡単な合格点を示す人がいます。

どういう事かと詳しく問えばこれは実にシンプルで焼いた豆を
半分に割ってみると生焼けやコゲやスカスカ豆や不完全豆は
見てすぐわかります。

そして、多くの自家焙煎店の豆は表面だけ焼けていて中との差が
歴然のインスタントな焼き方が目立つのです。

中と外が均一に焼けているという単純なことすらできていない豆が
普通に名店の豆として売られているのです。

そんな人たちにおいしい珈琲の焼き方やおいしい珈琲とはとの
問を発するだけ無駄なことと知れました。

それで現在の焙煎機を手にして独自の焙煎をはじめるわけですが、
単純な問いかけと試飲でそれらをあらわにするのは簡単なようでいて
納得していただくには時間がかかります。

珈琲の基本はチョコ味だとかワインだハーブだとか色々なことを
世の中でいっていますが、その実一番の醍醐味は酸味であると
多くの珈琲ファンは気が付いています。

ただ、その酸もどうなったらどうかと具体的にいう人は少なく、
これはひとつひとつの豆で驚き感動するという出会いから
段々形作られていくものかもしれません。
コメント
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