King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

冬のランニングに

2018年02月18日 23時54分21秒 | ジョギング

この時期のランニングは今までも何度も書いてきたとおり、

寒さに縮こまる心が現れ、とかく走ればよいとか、寒いからという言い訳が

先に立つのです。

しかし、昨日気が付いたのですが、寒さに負けジョギングで走ったり歩いたり

ゆっくりと走るのではランニングモードでいつもの13Kほど走るのでは全然

効果が違うと感じるのです。

ゆっくりと走ったり歩いたりする10Kであったり、6.5Kでは実際に外にいる

時間は同じでも、体に受ける感じはまるで違うのです。

例えば、ランモードで走ると余計疲れるかといえばそれは逆で速く走った方が

体の負担が少なく楽なのはよく感じることなのです。

ただ、気持ちが今日はゆっくり走ればいいやという最初からくじけた感じに

なってしまうのが非常に多くわかっているのに走る気になれないのです。

いつもこの寒さの中でもウォーキングを続けている人を見ますが、歩いても

得られる効果はいかばかりかという思いをいつも抱くのです。

歩いたりゆっくりとジョギングすると寒さのダメージを余計長く受け、同じ時間

走った場合顔とか手の寒さでかじかんだ感じもゆっくりの方が強く感じるのです。

そして走った場合には、いろいろと体の機能でスイッチが入る感覚があり、普段使わない

機能とか機関に回路が開く感覚があります。これはヨガとか宗教上の悟りに近いもので

一時間以上ランモードで走らないと感じられないものです。また重要なものとして睡眠の深さ

というのがあり、理想として一度も目が覚めず深く夢も見ずというものがそう簡単に

できるものでなく走って体力を削ることだけがその理想に近づけるものでもないようです。

そういう意味でランモードというは体の根源的な意味で色々とリセットしてくれる機能が

あり、事務仕事などのストレスや精神的なものも頭の中の凝りもリセットし、違うものが

体のもやもやも次々に分解解消していく感じがあります。それはゆっくりと走ったり、歩いて

では感じ得ないものなのです。これはバスケットのゲームなどでも感じます。練習をしていも

市民リーグなどの試合に参加するのと練習でゲーム形式でやるのではいろいろと感じることが違うのです。

試合を積み重ねてわかることとか試合でしか出ない能力とかがあり、無意識で体が

動いたりというのは体だけでなく頭だったり神経だったり普段鍛え得ないものが使えるか

とかそれをどれだけ頭で制御するとか無意識と意識の体使いなどいろいろと考えが

及びます。そんな身体体験と意識について経験すると何かがその結果に見えてくるのでは

ないかとまで考えます。

季節感と珈琲と味についてももちろん走ることバスケットでゲームすることすべて繋がって

いて作られていると考えずにはいられません。

コメント
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