沢山の思い入れやこだわりとか珈琲にまつわる
話も人によりさまざまであり、その熱量も人により
変わります。
そもそも同じ味の話をしているのになぜ様々な手法や
変なこだわりに固執する人が現れ面白がられるのか
不思議です。
昨日ふと人のブログから『ウォーキングデッドシーズン9』が
始まっているのを知り、もしかしてアマゾンプレミアムでシーズン8が
見られるようになってるかもとみてみると配信が始まっていました。
そもそもアマゾンのプライムに加入するきっかけになったウォーキングデット
ですが、最新シーズンは有料でどうやってみようかあれこれと比較検討して
苦心惨澹した結果、少し待つとした結果、待ちに待ったわけですが、その
甲斐もなくシーズン8は面白くないのです。
なんでこんなに面白くなくなっちゃったんだろうと考えこむほどのつまらなさ
です。
コロニーの住人全員に渡るほどの自動小銃の存在と圧倒的存在のニーガンとの
戦いもただのギャング抗争のようになってしまっていてなんの驚きも新たな視点も
ありません。
テレビがどれも同じようなクイズ番組と旅番組だらけになり、見たいものは
有料チャンネルを見るようになりつつあるという過渡期的な今のその象徴と
化したウォーキングデットもこんなものならそもそもテレビなんてみなくて
良いものかという結論に達しようとしている感じです。
そんな秋の発見の中に最近の秩父は空き地も増えたものの新しい店なども増え
その感想が聞こえだすと中にはそんなら行ってみようかというものもありました。
秋の味覚の中に新しい発見もあり、日々の焙煎にもそういう新しいまだ見ぬものが
少なからず刺激を与え、これで完成という終わりのない旅のようにつづいて
行くかのようです。
熟練の芸術家が自身の美術感と技術に今描き切る最高の美意識を示しきるのでなく
終わりにできない不完全さを残すのと同様のものを最近珈琲にも感じます。