私には日々疑問に思う事として、なぜ日本は世界第二位の経済大国になった以降
その発展の歩みを止め、どんどんと輝きを失い国際競争力もなくし、お年寄り国家に
なってしまったのかということです。
経済は右肩上がりで常に物価が上昇し給料も年々上がるという環境の中学生時代と
社会に出ても景気のいい時代を過ごした後突如バブルの崩壊とともに、デフレ社会という
かつて経験したことのない長い不況下にあり、企業の競争は年々激しさを増し、企業は
どこもブラック化するなどどこにも余裕とゆとりのない社会になったかのような日本で
築いた金融資産もどんどん陳腐化するという豊かなのに貧しいという状況が現れています。
元々これは土地神話といわれる土地が年々値上がりすることを否定して土地に融資するシステムを
極端に絞ったことから諸々のマネジメントがくるってきたことに端を発します。これは
建築基準法が戦後住宅を作る時にとにかく安くても30年持つ程度の建築基準という発想で
作られ建物は木造で30年しか持たないという悪しき観念を持ち込んだせいで日本の不動産という
価値観が土地にしか存在しないような仕組みになり、建物に何の担保価値がないような価値観が
定着し土地さえあればいいような仕組みになってしまったため土地が上がり続けた時にはよかった
資産価値も長年ローンを組んで返済しても実は何も残らない老後になってしまうなど制度に
よる破綻を随所に見せお年寄りの不安がその数とともに増え社会に混迷を与えました。
今介護や年金など老後の不安社会を生んだのはこの建物が価値を持たないというシステムに元を
発するものが殆どで借地などが今空き家になり荒れているのはその流通するシステムとか価値の
移譲に問題があるからです。そもそも建物の価値が20年するとなくなるという実務上の計算や
法律上の借地の価値と実務上の価値や実際の居住環境など現実との差が激しく地方ほど法での保護も
何にもならず地上権者の地位も金銭に変えていくこともなくただ空き家として朽ちていくのみという
ことになっています。
もう一度生活とそれを支えるものと資産的背景とかセットで考えないといくら働いても豊かになれない
という社会になりはしないかと思います。ところで昔のように会社で旅行に行き、運動会や納涼会など
があった時代となんでも会社の人と時間を過ごすことが多い人は私のようになぜ昔はみんなスキーやスケートに
行ったのに今はいかないんだろうと思っていないでしょうか。それでも中高年の趣味は今は山であり、
多くの人が山登りはしています。
私はその山登りというのはひとつの成功体験でより高い山を登りそこから眺める景色を味わいたいと
人生を賭して今まで見た事のない景色を征服したいのだと思います。私はもっぱら田中陽希の300名山の
テレビでもう登ったつもりになり自分で登ろうとも思いませんが、毎年スキーに行き温泉とスキーという
極上の時間を過ごしたいといつも思います。
そして、ネットで今見ると色々な夏から冬のどう山を過ごしたかを読んでみるとなんか人の書いた冬山と
自分が過ごしたスキー旅行はもはや違うもののような気がしてなりません。そもそも私には今年からかつての
様な温泉とスキーの旅行ができないというのは物理的に起こったことでこれは積極的にもっと冬山に近づくか
日々滑る環境など作らない限りもうかつてのような経験はできず新たな摸索の年だったのです。それは
草津の噴火で新雪滑走がいつでもできた本白根の閉鎖というもうこの先滑る楽しみもないという状況の中で
それに代わる楽しみを発見しないといけなかったのです。
ひょっとするとそれはもうゲレンデスキーではこの先体験できずもうどこのゲレンデも楽しくないのかも
知れないというほど切実になり、ああだこうだといつも考えていました。
そして、夏が過ぎまた冬が来るぞとなった時にふと見た各ゲレンデのレビューサイトみたいなところで
各スキー場の楽しみ方を読んでいるとまたすごい違和感が沸いてきました。例えばガーラスキー場の
楽しみ方みたいのを読んでみると魅力を星の数で表しているのですが、アクセスが星5と最高ランクで
次の混雑では星ひとつです。雪質は半分くらいの評価でおおむね混むから雪質は望めないとなっています。
ここまで読んでくるとどうしてだろうかと不思議な感じがこみあげてきて仕方なくなったのです。
私は今年は一度も上越のスキー場行ってなくてこれは今までにないことなのですが、今年はここの
260万ダラーというコースをぜひ滑ろうと期待していたのです。昨年行った時には閉まっていて今まで
一度も滑ったことがないはずなのですが、それはコースがいつも開いていないからでこれと似たように
毎年行く斑尾のキングスラロームと同じだと今年は気が付きまあ行けばそんな感じなんだろうなあと
予測が付きます。私に残された道はこの予測のつかないスキーを各スキー場やまだ見た事のないスキー
場で滑るかだと思うのですが、それには簡単に日帰りで繰り返したスキーとは違う困難さがあり、
いつも約束された楽しさがあるから行ったスキーも毎回そんな冒険のような旅となると果たして
やって行けるのかという疑問も湧きます。
これまでの経験で誰も滑った人のいない雪山で滑るとかサラサラのパウダーを滑るとかテーマが
あったわけですが、意外に簡単にできるのは所謂バックカントリーという方法であれば人もいないし
人工物の見えない斜面を滑る解放感はそれはもう素晴らしいものがあるのも体験しています。
しかし、これと近いことが激ごみのゲレンデでもできることが意外とあることも知っています。
それがガーラなら南エリアや260万ダラーなのですが、それも新雪降りたてであれば申し分ありません。
ここに辿り着くまでの長いドライブや混雑する駐車場や雪が降りしきる中の移動などそれまでにする
苦労もあるわけでそれをいかに減らして極上体験だけにするかというのはもっと思い切った行動が
必要で残りの人生とか残された資産とか有効活用して本来は思い切った行動に出た方がいいのかも
しれません。
日帰りのスキーでちょいと滑って満足するのかそれとも極上の体験を追求するのかというのはいつも
考えては伴う無駄な時間の多さと年々減少する新鮮な驚きとかまだ見ぬ世界とか未体験ゾーンなども
考えてはみんなそんなやらずもがななことを考えるのは草津のあの斜面の喪失につながっていてみんな
そういう事なのではと考えてしまいます。
いつも簡単に手に入っていたものは実は簡単になくなってしまい、誰も気が付かない闇の中にしまわれ
次から次に蓋を開け新しい世界を見ることに没頭してしまうと実はある世界も見えなくなるというよく
あるジレンマに陥るのです。
ガーラのゲレンデ紹介のページの欠点としている激ごみも一人様レーンを利用すればそんな苦でもなく、
雪質などは気にするほどの事でもないし、どのコースとどのコースを繰り返して滑れば一日滑れるし
できれば新雪の260万ダラーも開いていればと考えます。しかし、このページを読むような人が混んで
雪質も悪いと思えばガーラはよそうと思うでしょう。つまり何のために書かれているのか不思議なのです。
こういうスキー場だからこう楽しもうがないとただ来るなと書いているようなものです。
私も今年の冬はどんなスキーをするのか今からまた考えて行きます。
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