King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

コミケの日本一のコンビニ再見

2021年08月18日 10時15分56秒 | 珈琲

オリンピックが終わり、お盆休みも終わり、ただ雨が

降り続くという日本。

ただ、この降り続く雨は災害を呼び、そして未だ拡大が続く

コロナはまた一向に収まることなく、夏の終盤へと向かいます。

八月に入り連日34度という日々が一転お盆前から台風のダブル襲来と

前線の停滞で各地で土砂崩れや河川の氾濫が続いています。

 

これも毎年のことでテレビに流れる映像もボートで救助される年寄

や家や車も流される映像です。

 

それでも私は全くいつもと変わらぬ生活を続け毎日豆を焼き

夜には雨が降ろうがいつものコースを10K走る日々です。さすがに

雨が降ったりするとタイム的にはランペースに乗せることもできず

ずっとジョギングタイムで走っていたり、腹痛が起きてトイレに

駆け込んだりと以前のように日々タイムが更新されるという感じと

は程遠い状態ですが毎日10Kの距離を完走するということに専念して

います。

 

これはこれをやるとやらぬでは大違いでまず夜の安眠は冬と同様

一度も夜目覚めることなく寝られるという違いがあります。

 

どんなに暑くても寒くても寝てしまえばもう起きないというのは

最大の効果でこれがあるから走りきるということになっています。

その他季節を肌で感じるとか毎日の珈琲を焼くためにもこの夜の

ランニングは重要で夜走ることによって感じる各種の想念やインスピレーション

は貴重なものです。

 

それはふと走りすぎて感じる花の臭いだったり草の臭いだったり

虫の音や鳥の鳴き声とか星の輝きとかそんな自然の姿です。

 

それ等がはっとするほど感銘を与えたり、何かをきずかせたり

するのです。

 

そして一時間走ることにより体や精神のスイッチが入るように感じること

もあり、何か普段はアクセスできないものに通信できたような感じになる

こともあり、もはやこれは阿闍梨の千日行と同じなのです。

 

さて、一昨日の夜NHKで72時間の再放送をまとめてやっていたのをたまたま

見かけたのですが、それをみて感じたのがその壮観さと時代感覚です。

日本一のコンビニの72時間という内容なのですが、そのコンビニの前にある

有明の展示場でコミケというオタクの祭典のような行事が行われそのお客が

押し寄せるという映像です。コミケは10万もの人が押し寄せるイベントで

当時ツィッターでコミケ雲というのが話題になりました。

 

わずか4年ほど前のことですが、映像を見るとこれはいつの出来事かという

違和感がまずあり、今の映像ではない事が解るのです。つまりそれがこれだけ

の人出のイベントが今ではあり得ないことであり、だれもマスクを着けていないという

 

人々のファッションも今とは違うのです。

 

そして、これが今では戻れない過去であり、これから先このようなイベントが

また行われるような事態になるのかどうも懐疑的に感じてしまうのでした。

 

毎年雨が降るだけで災害となってしまい、コロナも災害級の被害と言い出し、

そういう時代に生きているという感覚がこれからの先はどんなかという考えも

如何に昔が安全で豊かであったかと考えてしまうのです。

 

もはやそこには戻れないような今の感覚と次に何が来るのかという不安が強く

まったく明るい未来が見えてこないというのは何ともしがたいものです。

 

それに加えてこんな世の中でも毎日飲む珈琲には癒されてほっとする

貴重な時間を与えてられ裏切らない幸福時間に感じていました。それを

揺るがすようなニュースが先日あり、ブラジルのセラード地域に霜が降り

コーヒー相場が高騰するという事態によいよ珈琲にも魔の手がと思って

しまうのでした。

 

そもそもこの温暖化による災害の増加や天候不順などの環境変化とコロナ禍は

我々人類に対して何を突き付けているかというと今までの資本主義や経済主導の

生活様式にあらゆるものがそれでいいのかという問いのように温暖化とコロナで

社会システムや人類の生活について解決を迫っているように感じてなりません。

それは格差社会であり、人々の命や幸福が民主主義と資本主義という産業革命以来人類がたどった発展が実は愚かな破滅への行程ではないかと思えてきます。

つまり今根本の解決を世界中で対処しないととんでもないことになってしまうという

最大の課題を突き付けられているように思えます。

 

それは脱炭素社会なんて簡単な問題で解決できることでなく、人々の行動

だけでは解決できないことではないかという気がします。

昨日のニュースでタリバンによるアフガニスタン制圧というのがありましたが、

これなども数年前にビンラディンを米がパキスタンで殺害してもうタリバンは

やっつけたものと思っていたら米が撤退を決めてあっという間に国を制圧と

まったく衰えてもなくなってもいないのでした。今まで聞いてきたニュースでは

タリバンからイスラム国に変わりそれも各地で弱体化というのが聞き及んでいた

ものでした。ところがタリバンはなくなるどころか米国が手を引くや否や国を

制圧したのです。

今まで米がやっていたことは個人への復讐だったのか全く世界平和とは関係

ないことだったのかという疑問が強くなります。

 

オリンピックをめぐる話題でも世界では亡命や自分の主義のためにメダルを

オークションに出すとか命と政治にかかわった問題が聞かれるのに日本では

どこかの知事がメダルをかんだという次元の低さでコロナを巡る対応でも

世界とのずれを感じます。

 

報道では出てきませんが八月中の国産ワクチンができる予定だと言いますし、

五輪をやったから拡大しているという批判があるものの世界は五輪をしなくても

日本より拡大しているので日本はまだ世界と比べると安全で平和で豊かなのだと

思わないわけにはいきません。

 

オタクの祭典で人々が群れていた映像を見ると帰らない過去を見たような思いと

今は違う時代を生きていてそれは温暖化とコロナと人類に突き付けられた

課題の解決が必要なことをよりひしひし感じるのでした。

 

ただ、それを理解したとしても私ができるのは毎日10K走り豆を焼いていくだけなのでした。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夏に問う珈琲の味 | トップ | 九月の季節のブレンドは »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

珈琲」カテゴリの最新記事