段々季節感のない生活を送るようになった人々と
普段の食事にも食品の持つ力とか手間をかけた食事というのが
縁遠くなった現代においてそれを憂いていたり危惧してきたのが
このブログで特に季節については、自分は毎日夜10Kのランニングを
することにより常に直に肌に感じて今の季節と今の自然を感じることにより
それをもとに諸々を語ってきたつもりでした。
ところがここのところの時代を思うと何やら今人類に突き付けられている
ことはそんな生やさしいことではなくなってきていると思えるのです。
それは雨が降るだけで人が死んでしまうような天候が毎年あり、台風でも
ない天候でも災害が起きており、これは日本だけでなく洪水の映像は
世界中にあります。これは温暖化という大量に放出した二酸化炭素により
もたらされたとして世界では脱炭素をとなえ実質排出ゼロの世界を目指して
います。
今後ガソリンで動く車はなくなり、販売されるのは電気自動車といった
世界になったとしても元には戻れないと感じるようになりました。
それは先月みたNHKの72時間のドキュメントで何年か前のコミケの映像を
見た時にその人出の映像を見たらもう昔の映像というのがすぐわかり、
その過去にはもはや戻れないという感じがしました。
コロナ禍という今の現状も皆すぐ元のように生活ができると思って
日々を送っていますが、実際過去のスペイン風邪のような様子ではなく
二年目でもまだ拡大している様子や日本でも新型ができている様子から
コロナはなくならずこれからずっと隣り合わせで付き合っていくものに
なるような感じもします。
コロナも温暖化も全て格差社会に対する是正を迫るかのように起きている
ことで人類がこれからどう生きるのかという課題でもあります。
つまりそういった問題意識を全世界全人類が共有しない限り、この
温暖化とコロナは解決しないのです。
ひとつ疑問としてはマーズやサーズでは起きなかったパンデミックが
なぜコロナでは起きて気候や地域に関係なく世界中で人類を苦しませる
に至ったかです。
色々な伝染病や病気はありましたが、これだけ世界的に流行していると
いうものは今までの歴史でもないことてなのではないでしょうか。
いち早くワクチンが開発されポリオや日本脳炎のように人類が勝利した
もののひとつに加えられるかのような勢いでしたが、ワクチンや治療薬が
出来ても世界的流行は収まっていません。これは根本的な問題意識が違う
ために解決できてないように感じてなりません。オリンピックがコロナに
勝利した証として行うと言っていた人もいましたが、一向に収まる様子も
なく世界的には規制が広がり重症化してなくなる人も増えています。
コロナも温暖化ももう一度人類に提示された問題としてとらえる必要が
あると思います。
そんな思いを抱きつつ、個人としては何をどうしてということもすぐに
提言もありませんが、自然を常に感じという気持ちは変わりません。
電気冷蔵庫がなかった時代に味噌やら醤油や細菌を利用した食品が
日本では発達し漬物やあらゆる保存食品やフグの毒まで解毒する方法まで
開発しました。
日本の食卓が簡素化してその昔の知恵をなくし、家庭で出汁もとらない
ようになりましたが、そもそも味そのものや季節の食材や旬といった
喜びもなくしていったように思います。結果物の味を知らない人や
味そのものの欠落を持つ人などもいます。
今月のブレンドは『林檎』ですがこのブレンドの誕生話も何度も
書いてきましたが、そもそも私のように林檎というと木箱ともみ殻で
八百屋の店先に届いた時代を知らないと理解されない話なのかもしれません。
物の香りとか味の記憶がなんでもスーパーでラッピングして売られている
物しか知らない人と昔の商店街で買い物した記憶のある人ではずいぶん差が
あるようです。
そんなことが今の気候変動につながっているといってもまあ個人には
どうすることもできないし、昔を知らない人にどんな食生活をしろとも
食品と味の理解を増せと迫るのも違うような気がします。
それでも季節を感じて生きることや旬のものに感動できる感性を
備えることは可能なことであり、季節のブレンドもそのはじめとして
飲んでいただきたいと思います。
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