King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

2015NBAファイナル第一戦TV観戦

2015年06月06日 23時54分34秒 | バスケ
キャブス対ウォーリアーズの頂上対決。

これはオーバータイムまでもつれる物でしたが、
第一クォーターを見ただけでこれはシーズンが
終わったなという感じを受けました。

これは満身創痍でそれでも相手として止めるだけの難敵も
なく、ようやく立ち上がってきたキャブスに対してウォーリアーズ
の方は最も旬であり脂ののっている状況で上がってきたカリーの
できはもうやる前から誰もが予想したはずです。

レブロンの抑え方は既に確立されていて、守備の良い選手を
専属にビダ付きさせれば10点台に押さえつけることも可能で
ファイナルではよく見られた光景です。

ただ、全盛期のレブロンならそれもよいですが、興業的に
効果があり、なおかつファイナルを制するという大局から
みたら、この試合のような選択がベストだというのが
自ずからみえてきます。

まず第一Qでレブロンに第一オプションで、まわしておけば
決まるという雰囲気と彼に頼る形を作ってしまえば総合力、
決定力に勝るウォーリアーズはその力を意識づけること
ができ優位にも立てます。

キャブスはレブロンが俺が決めていればという雰囲気で
レブロンに対してダブルチームなど特別な守備もマークも
ないままレブロンからは得点を比較的仕方ないということ
にしてリードを許してレブロンを頼って第一Qほとんどを
出ずっぱりと引っ張ってしまったところで、その力の違い
をいやというほどカリーの決定力を知ら占められます。

レブロンが引っ込んだところで持ち前の自在のスピード
コントロールとどこからでも決められるスリーとその
破壊力はエースが活躍しても勝てないという精神的な
ダメージとともにこの一勝が重くのしかかった感じです。

この日、トンプソンの調子やいくつかいつもと違う調子に
ファイナルの経験がないことに対する不安やオーバータイム
にまでもつれる接戦のようなことを言う向きもありましたが、
これはまったくウォーりアーズの作戦通りに決まって
スタートできた結果だと思います。
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六月も粛々と

2015年06月04日 12時12分44秒 | 珈琲
雨が上がって曇天ながら風の吹きぬける
朝となりました。

街中にはホタル駐車場なる看板が掲げられ
そんな季節なのかという感じです。

そういえば我が家の庭にもアジサイが咲いています。

秩父の街にはアカシアの香りから栗の花の香りに
変わっています。

この強烈な香りは頭痛とかアレルギー症状を
引き起こしたりしないのかと訝りながら今年は
アカシアより栗の香りの方が強く意識されるのは
なぜなのか考えていました。

いつもより暑い五月を終え、そろそろ憂鬱な梅雨の
時期に入りますが、実はその前の今の時期が一番
さわやかで外で過ごすのも最高に気持ちがいい時期
です。

最近は人からおめでとうとも言われなくなった私の
誕生月でもあります。

暑くなると豆の需要も少なくなりますが、梅雨とも
なると暖かいものが恋しくなります。

思い出して来店される方もぽつぽつとあり、六月が
粛々と進みます。

今月のブレンドは『早夏』です。

エルサルバドル、ニカラグアなど
お勧めです。
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『三四郎』読了

2015年06月03日 13時28分00秒 | 読書


夏目漱石は中学校の教科書に載ったり
NHKで度々取り上げて感想大会とか特集
とかでとりあげ、札の肖像に使われた
作家ですが、実際に作品を読んでいる
人というのは意外と少ないようです。

先日書斎の片づけをして、古い写真やら
本を整理していたら、やたらと目についたのが
金閣寺の写真です。

修学旅行で二度京都奈良を訪れその後社会人に
なったばかりで一度一人で旅行したり家族で
この間旅行して修復後の金ぴかのイメージが
強い中、昔の写真を眺めたらなんで何度もここに
来てるんだろうという事と、三島由紀夫の
ほんとかも発見して、ああ、そういう事だろうと
思うのでした。

二年ほど前、漱石の美術展というのが企画され
ました。

作品に出てくる作品だけでなく、漱石が想像した
作品も現代作家により新作されたものもありました。

それだけ今も愛される作家のテーマというのは
決して明るいものではなく、『吾輩は猫である』
のようなユーモア作家として軽妙洒脱な軽いもの
でもないのです。

それなのに、彼の見ただろう絵までも集めて
展覧会をやってしまうほど彼の愛好家がいることは
逆に時代性とかテーマとしているところにスポットを当てて
よくかんがえてみるべきだと思います。

という私自身、この作品の思い出というと雨の図書館で
勉強に疲れて高校時代に発刊された岩波の全集を
見つけて懐かしく思い、立ち読みしたら面白くて
一気に読みその後本に出て来た絵を図版で探すと
いう経験です。

ついでに書くと、先の展覧会では三四郎の森の女も
新作されました。

三四郎に出てくる三四郎池を訪れて作品を読んだ人なら
あの絵は本を読んだ人や三四郎という本が好きな人なら
ちょっと違うというイメージを持ったのではないで
しょうか。

まず、絵に当たる光線の具合だとか色のことが描写され
ていますが、それを踏まえた構図ならマネの傘をさす女
のような絵になるはずなのに、段この多いあの池の周りで
女に遭遇した時の絵ならムーランドラギャレットのような
光の使い方になるはずです。

作品のテーマを込めた女の姿であれば表情とか姿かたちも
マハのような表情に謎めかせて人々がその絵の前でストレイ
シープとつぶやくようなものでなくてはならないはずです。

とまあ、いい出せばきりのないことで作品中の模写をして
もらいたいファンの心理に対して芸術家としては現代と明治の
相克まで含めて芸術表現したいところでしょうからああいう
絵になったのでしょう。

三四郎のテーマ本体に言及するより、人々がどのように
接しているかを書いた方が面白いのですが、問題はさらに
複雑化していて、この本を読んだでインスパイアされた
人がさらに自作にそれを取り込んで同じことをやっている
という現象です。

これは、ビートルズに魅せられて自作に同じコード使い
やらビートやらを取り入れてそれがまたヒット曲になって
来た歴史と似ています。

一番の代表的現象としては村上春樹ですが、彼の作品の中に
直接漱石の作品名を使ったり、手法的に寝取り寝取られて自殺
する話だったり、矢鱈と芸術作品をモチーフに使ったりと
色々と作風を踏襲するかのような使い方をしています。

そんなことを踏まえてもう一度読んで感じたことは面白い
という事です。

別に三四郎が恋い焦がれたり何か事件を起こしたり、主体
となって解決したりという事ではなくて、与次郎によって
色々な人と出会ったり事件に巻き込まれたり全てこの与次郎
のせいです。

三四郎の特長的性格とか行動が描写されることはなく、逆に
与次郎や他の学生が新青年は書くあれと意味のないダーダーファブラ
という言葉に酔って騒ぐことばかりで、そんな青春像が当時
新しく新鮮で逆に青年は恋すべしと受け取る結果をリードした
のではないかと思いました。
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イミダゾールジプチドと『早夏』

2015年06月01日 12時10分46秒 | 珈琲
季節のブレンドは『早夏』に変わりました。

この季節のブレンドに関しては皆さんが
決まっておっしゃるのはどんなブレンドですかと
いうものです。

常連さんはこのブレンドはその季節に一番飲みたい味
であるという事は知っています。

今回はどんなことを思って作ったのかを聞きたい人や
イメージを詩のように聞かされるのを好む人と
味についてのコメントを聞きたい人といるようです。

味を知りたいのなら試飲してもらえば一発ですが、
こと珈琲に限ってか一般にコーヒーは苦くて黒いもの
という観念にとらわれ、自身もうまいコーヒーとは
という答えを持たない人がほとんどの中、本来なら
珈琲の重要な味の一部である酸味も一番の悪役に
思っている誤った観念が根強くあります。

最近分かったことですが、そんな一般に味覚音痴は
確実に広がっており、自身が試食や試飲をして判断
したことより、マスコミやネット情報などの評判が
高かったものが好まれています。

そして困ったことにそれに添加物の問題もかぶさってきます。

例えば日本でハムやソーセージを買うとほとんどが
亜硝酸やリン酸塩など食品添加物が入っています。

海外の生ハムはほとんどが肉と食塩のみです。

ですがスーパーなどで売られているものはほとんどが
添加物入りで、自然派の人向けに無添加を強く謳った
ものはなぜか本来のハムやソーセージより味気ない
ものとなっています。

味気ないといったのはこれは多分原材料の差で良質な
肉を使えば添加物入りのものに負けない味になるはず
です。

しかし、消費者のニーズの販売者の良心や気質に
ずれがあり、無添加食品や無農薬などをうたった
本来あるべき生産物は無農薬、食品添加物無添加の
ものはまずいという構図になってしまっています。

本物の海外産の肉と塩だけの生ハムの味を知って
しまえばプラスチックのような日本の生ハムなど
食べる気になりません。

味でさえそれだけ選択肢となる所に最近はネットでも
食品添加物への援護射撃となるような記述が目立ちます。

例えば先の亜硝酸塩とかリン酸塩などは個別にネットで
調べれば最近の同行が色々と出ていますが、論調は
騒ぐ方がバカという書かれ方です。

亜硝酸などは自然界に普通に存在するものだとか添加物
で摂取するより野菜などに普通に含まれているとか
リン酸塩などをハムなどから一掃するとコンビニが
言っているのは他の酸味料や香料など他の食品に含まれて
いるものをそのまま販売しているのは小手先の宣伝
に過ぎないなどことの本質から離れた議論になって
います。

肉の発色や食感を高める為に添加されるそれらの科学
物質がただ利益のために使われていて本来得られる
べき良質で味の良い食品の流通を阻害しているとしたら
我々が本来受けられる健康で安全な生活が根本から
崩されようとしていることになります。

ウナギが絶滅危惧種になってウナギ味のナマズが
開発されたり、全身トロのクロマグロの養殖とか
本来のよりどころの本物の味とか安全もおびやかされ
ていると感じざるを得ません。

そんなことをニュースみながら思っているとクジラの肉
の箱に見慣れない文字が出ていました。

それがイミダゾールジプチドです。

特定の部位は三分の一の在庫という時に映った箱に
書かれていました。

これはミンククジラの肉に含まれる物質で強い抗酸化
作用があるとされている物質です。

まあこういうのも流さないと本当に鯨肉を食す文化が
なくなるという事なんでしょう。

オ―ストラリアの残虐だから止めろというのも科学的
根拠が乏しく、調査のみなら実際にクジラを捕らなくても
できるのならそれでもいいように思います。

ミンククジラなどその調査の結果増えているので多少
とってもいいという事なので、南極海以外で日本の需要
分くらい賄えそうですがどうなのでしょう。
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