細川重男『執権 北条氏と鎌倉幕府』 (講談社学術文庫)
★★★★☆
【Amazonの内容紹介】
北条氏はなぜ将軍にならなかったのか。
なぜ鎌倉武士たちはあれほどに抗争を繰り返したのか。
執権政治、得宗専制を成立せしめた論理と政治構造とは。
承久の乱を制し、執権への権力集中を成し遂げた義時と、
蒙古侵略による危機の中、得宗による独裁体制を築いた時宗。
この二人を軸にして、これまでになく明快に
鎌倉幕府の政治史を見通す画期的論考!
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承久の乱以降の鎌倉幕府のこと、ほとんど知らなかったので、
時宗の暴君ぶりにびっくり。
時宗は伝記なんかで救国の英雄の扱いをされていたし、
早死にしていることは知っていたから、
なんとなく儚くクリーンなイメージを持っていた。
全然違うじゃん!!
蒙古襲来という危機に際して、権力を一カ所に集中させなければ
ならないという事情があったにしても、蛮族すぎる。
潜在的脅威というだけで、謀反の証拠もない異母兄や
名越流の親類を殺す。
大陸からの使者も、とりあえず殺す。
積極的に高麗に攻め入る計画まで。
大河ドラマ「北条時宗」は、途中で脱落して
ちゃんと見ていないのだが、
時輔が生き延びてモンゴルへ渡るという展開があり、
後年、これに対する文句をネットで目にした。
しかしこれ、ドラマ独自のトンデモ展開ではないのね。
時輔が生存していて、蒙古とともに攻め上ってくるという噂が
当時、日本国内にあった模様。
時政の後継者候補のひとりが義時の息子・朝時だったというのも
びっくり。
でも確かに、名越邸を継承しているものね。