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縦から見ても、横から見ても、わからない。
今年のNHK大河ドラマは「真田丸」。
関連本も山ほど出ているようですが、その中の一冊「真田四代と信繁(平凡社新書)」の書評に、ちょっと気になることが書いてありました。
、、、、専門家には知られた事実だが、、、、信繁が焼酎が好きであったこと、
九度山では経済的に苦しく、兄に、焼酎を送ってくれるようしつこく頼んでいるいこと、、、、、」
真田信繁(幸村)が焼酎好きだったなんて、初耳、です。
そもそも、そのころ長野で焼酎なんか飲んでいたの?
早速、当社の酒類経済研究所で確認開始、です。
すると、確かに、そんなことを書いた書状が残っているようです。
こちら
、、、、、、、、読めない。
ネットでは口語訳も出ていました。
この壷に焼酎を入れてください。今切らしているならばついでの機会に頼みます。
難しいかもしれませんが、壷の口に詰め物をして外れないように紐を張ってください。
知らせがあり次第取りに行きます。
つまらないものですが、湯帷子(ゆかた)を一領差し上げます。
焼酎の件、くれぐれも頼みます
これからすると、原文の冒頭あたりに焼酎という字が見えそうなものですが、どこをどう見ても、そう見えません。
(ちなみに、ネット上に出ている色々な口語訳のほとんどは、上記とほぼ同じ、です。恐らく、同じネタ元からコピペしているのでしょうか)
気になる気になる。
歴女という噂のMさんに聞いてみましょうか。それともこの書状が所蔵されているという蓮華定院に行ってこようかなぁ。。。。。
それにしても、この時代に普通に手紙で書いて通じるくらい焼酎が普及していたとは、ちょっと驚き。
もちろん芋焼酎ではなく米焼酎でしょうが、それでも酒造組合中央会の歴史年表では、いわゆる「柱焼酎」が初めて文献に現れるのが1687年ということです。
米焼酎の成立自体はもちろんそれよりは前のことなのでしょうが、それにしても、です。
今年の春休みの宿題のテーマにしようっと。
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