昨日は、11月2日に江戸に入港する樽酒イベント「伊丹諸白下り酒~源流からたどる 弁才船(べざいせん)の航跡~」をご紹介しました。
2023年、2021年の同様イベントとの違いについては、出発点が「灘」ではなく「伊丹」であることなどに触れましたが、タイトルを見ていて気が付いたのは「弁才船(べざいせん)」という言葉が使われています。
今日もポスターを再掲
これ、下り酒を運ぶ船のことですよね。
よく我々酒問屋が「見てきたかのように」話す際は、「上方から樽廻船で運ばれてくる下り酒は、、、」などと、「樽廻船」という言葉を使いますが、今回はそれが「弁才船(べざいせん)」となっています。
実は企画されている方と先般お会いするなどしたのですが、その時は「あちら(灘)は樽廻船」、伊丹は弁才船」というニュアンスで、そう受け止めていました。
ただ、実際に自分から他の方々に説明(宣伝)する際にはもう少しちゃんとしてなきゃね、と調べてみると、弁才船というのは物流に活躍した和船のタイプの総称のようで、船と言えばの日本財団図書館のHPではこうなっています。
弁才船は、船体ほぼ中央に大きな帆を上げていて、これを本帆(もとほ)といいます。船首には弥帆(やほ)と呼ばれる小さな帆もありますが、弁才船は1本帆柱の船と見るのが般的です。弁才船の帆は中世以来の伝統的な形式を引き継いでいますが、下の帆桁(ほげた)を取り去り、帆の下を綱(つな)でとめて十分なふくらみがつくように改良されました。江戸時代の後期になると帆走性能を少しでも上げようと、船首や(略)
弁才船の艤装(日本財団図書館HPより)
今日、千石船と俗称される弁才船は、中世末期から瀬戸内海を中心に発達した商船で、江戸時代前期以降、国内海運の主役として活躍しました。弁才船は、細かく見てゆくとさまざまです。(略)
もう少し突っ込んで、神戸大の海事資料館研究年報の「江戸海運を支えた弁才船(べざいせん)」という論文にもこう明示してあります。
弁才船は航路や運ぶ荷物によって北前船や菱垣廻船や樽廻船などと呼ばれた。
つまり、弁才船は船のタイプとしての総称で、樽廻船はその中でお酒(樽)を運ぶことに特化したもの、と言えそうです。
その意味で灘からも伊丹からも、同じく弁才船の一つとしての樽廻船で江戸にお酒が運ばれたことになります。
強いて違いをと言うならば、酒に特化した樽廻船の成立前の時期には、菱垣廻船で醤油や油などと共にお酒が運ばれていて、さらに菱垣廻船の成立前にはこうした名前のつかない弁才船で運ばれていたので、「伊丹は灘より古いんだよ!!」というメッセージなのでしょうか。
イベントタイトルにある「伊丹諸白」も、「濁り酒から清酒(諸白)へのイノベーションは伊丹で起こった」という気概のようにも見えるし、そういうことかなぁ。
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