今日は朝から風が部屋の中に入ってきて、気持ちいいな~と思っていたら、台風が近づいているとか。
そんな中、めったに無い平日のお休みなので通帳記入に出かけました。引落しがある口座には半年分ぐらいまとめて預けておきます。中には通帳が終わってしまって「支店で手続きしてください」という表示が出て、仕方なく銀行まで足を運んだり。。。お米とかちょっと重たいものを買いだしに出かけたり・・・・。
そんなこんなで帰ってきたのは午後2時。
今日のゆっくり読書タイムはここからスタート。
2本のドリンクにつまみのナッツ。
たかぎなおこさんの「上京はしたけれど。」
20代のたかぎさんが、イラストの仕事がしたいと東京に出てきて、バイトをしながらイラストを応募していた時期のエピソード。ちょっとキュンと切なくなる頃のお話です。
絵も今の絵とまたちょっと違って初々しい感じ。。。将来の不安や、離れて暮らす両親への思い・・が綴られています。^^
でもこれから、20年以上過ぎ、たかぎさんは今ではご主人とお子さんに恵まれ、義母さんとも合わせて4人で暮らしているんですよね。こうして改めて昔の本を読むと、たかぎさんの軌跡が感じられて懐かしい気持ちにさえなったりして。
わが息子もいつか家を離れる時が来るかもしれませんね。
息子はお盆休みがないそうで、今日もいつも通り仕事に行きました。
本人が居ないので、ちょっと空気を入れ替えようと部屋を空けたら・・・何となくかび臭い?
ずっと部屋を締め切ってるからだろうと思います。余計なお世話かと思いましたが、午後はずっと窓を開けておきました。考えてみればいつも私が居る時は息子も家に居るので、窓を開けられないんです。
(いい年の若者(男)がこんなにいつも家に居ていいものか・・・?!)
昔の私だったらたぶんこう思ったと思うんです。オタクではなく外でガールハントの一つでもやってこそ男だ!という考えだったので(汗)・・・・今思えば、息子はもっとおっとりのんびり家で過ごしたかったのかもしれませんが、少年野球に誘ったり、夏休みと言えば旅行に連れて行ったり(←本当は行きたくなかったと大人になってから言われる)、息子の友達も誘ってみんなで遊園地に出かけたり・・・・パワーありすぎで結構息子の意向を勘ぐらない毒親だったかもしれません。
今にして思えば、もっと家でゆっくり親とゲームでもやっていた方が息子には良かったのかも。。。大きくなって部屋から出て来なくなった時期に妹に「でも・・外で悪さするより家にいてくれるから安心だよね」と言われましたが・・・そうなんですよね。
私はその時も「強い男の子であってほしい」「活発な子でいてほしい」と思っていたので、あの頃は子育て失敗したと思いましたが・・・10年経った今、いつも家にいてくれる息子でありがたいなって思うんです。
もちろん、独り立ちして恋人作って早くに結婚するようなお子さんもいいですね。そういうお子さんも理想だけれど、kekeのようにいつも家に居てくれるような静かな子で、良かったなと思うんです。
もちろん1人暮らしをすると言えば、陰ながら応援するつもりですが。。。
息子が小さい時から活発な子ではなかったので、いつもどこか「自分のせいではないか」と後ろめたさがありました。でもそれって個性なだけで、引け目に思うことはなかったのかも。
この先も色々あるかもしれないけれど、たぶん人生乗り切ってくれるような気がしています。
勝手にこの方が良いとか思って・・・
凄い勉強になります。。。。
声楽家のオペラや歌曲の伴奏(ほとんどが初見、しかも半音上げて、など注文がつき、それが休日など9時間もぶっ通しで、自分のレッスン代を出しました。
家では変な宗教に影響された母の世話をし、東京に転勤していた父が帰ってくると父への配慮もあり、友人には何も言いませんでしたが、幼い時に優しかった母のことを思い、耐えることができたのです。卒業後「二期会」に入りましたが、
途中でやめ、再び演奏活動をしたのは38歳の時でした。この時も母は知らない。・・・そして10年前まで父の認知症の世話で家をあけることができずでした。でも「強いから人の世話ができる」と知人に言われて「そんなものかなあ」って思ったものです。
貴女様は素晴らしい母であり、ご子息は本当に幸せです。
これを読んでいてふとホロっとしてしまいました。いろんな困難を乗り越えられ、立派にご子息を育てていらっしゃる、誇るべきお母様です。
これだけお母様に愛されたらご子息様は「最高の女性」と心の中で思って感謝していらっしゃることでしょう。
★こんな私的なことを書いて恥ずかしいです。
あわてんぼうですみません。
そう言えば、息子が「お昼が全部食べきれなくて残される」というのがありました。幼稚園も小学校の時もありました。
私自身もそれが原因でいじめられていたので、それは心配して先生に相談しましたが、どちらも先生の方針は変わりませんでしたね。仕方ないから幼稚園の時はお弁当箱に焼きそばを一口だけ・・そんなことをしていました。
私は根性論で「少々辛いことがあっても途中で辞めるなんてケシカラン」という考えですが・・・あれで子供が行きたがらなくなったら、悩んだと思います。
私の性格も原因なのでしょうが、集団生活が始まってからは、子供の事は心配と悩みばかりの日々でしたね。。。
でも親子関係がうまく行っていれば大丈夫です。
そのうち尊クンが色々話せるようになって、自分の気持ちや理由が分かるようになればまた変わると思います。
表現ができるようになったら、ご両親にいろいろ話してくれるお子さんだと思うので。
今が一番もどかしい時期かもしれませんね。
ベッラさんのコメントを読んで、私と色々共通点があることに驚きました。
私も母に病気があり、母との関係はビミョウなものでした。私は「もっとしっかりせんかい」と母に思っていました。母自身も私に厳しかったから・・・でもよく考えればそれも含めて病気だったのですよね、私も厳しかったですね。
母の病気はたぶん幼い時期を戦争で過ごし、父や祖父母を亡くし、家も焼けてなくなった経験が原因ではないのかなと思っています。(私の父もそう言っていました。)
ベッラさんはお父様の面倒も見られていたのですね。認知症の面倒はなかなかできることではないと思います。私は30分話を聞いているだけで、頭がクラクラしてきました。面倒を見ている妹にそう言ったら「私はそれを1日中やってるんだけど」と言われました。そんなこともありました。。。
ベッラさんは音楽をされていたのですね。ピアノの初見の演奏、しかも半音変えは難しい・・・そのようなこともされていたとは。
私は音楽が大好きで本当はブラスバンド部に入りたかったのです。でも友人の誘われるままに運動部に入りました。高校でも本当はブラスバンド部に入りたかったけれど、中学でやってなかった負い目から入らずに・・・。
でも姪っ子2人が音大に入り、上の姪は音楽で生計を立てようとしています。まだ独り立ちできるほどのものではないですが、生徒さんを教えたり、たまに演奏会をしているようです。
ベッラさんが音楽をされていると知って何かうれしくなってしまいました。
でもコロナで、演奏会も開けなくなり、レッスンも中止になったりで音楽をしている人は大変みたいですね。姪は実家にいるのでまだ良いですが、音楽の道を諦めたお友達も何人もいるそうです。
いつになったら、落ち着くのか、コロナもこの世界のゴタゴタも・・・。
息子の教育も今にして思えば、反省点がたくさんあります。
この先も何かあるかもしれませんが、とりあえず落ち着くところに落ち着いた感じはあります。もうちょっとすると、今度は私が息子にああだこうだ、言われる立場になりそうです。