きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

滞りなく始まる会議

2011-06-15 | 今の会社
今日は3時ごろからお客さんも交えた打ち合わせだったらしく、私がそれに気づいたのは10分前に下請さんがチラホラ見えた辺りからだった。
(ここでやるとは知らなかった!)

用意できてなかったので、慌ててコーヒーを沸かしていると、見慣れない人達もズラズラ入って来て、秀クンが「椅子が足りない」と言い出し、私は椅子を隣の部屋から動かそうとしていると、「それよりスリッパも足りない」と秀クンが言いだして、スリッパを出そうとしていると、後からズラズラ入ってきた人達がスリッパを履いてなかったので、差し出した。
その時秀くんに「エアコン入れてあげて。温度は高めでね」と細かい注文を受ける。

やってきたみなさんの前でエアコンのリモコンをプチと押し、それから沸かしていたお茶を持って行こうと思った時に社長がやってきて「アイツらはお客と直接話すことじゃない(時間を割いて申し訳ない)から、別の部屋でしてもらったら。」と秀クンに出入口で言い出して、ゴタゴタしている横をお茶を持って通り過ぎ、お茶を出そうとした時に、よりによって、ズラズラ来た人の1人に引っ掛かって思いっきりコーヒーをかぶせてしまう。
(秀クンや社長が現場を目の当たりにしてないのがせめてもの救いである、それほどすごい浴びせ方。)

慌ててそこらにあるタオルをひっつかんで濡らして持って行く。
沸かしたばかりの熱湯を浴びせた人は「いいですいいです」と言う(が苦笑い)。
(彼がスーツでは無く作業着だったのが、これまたせめてもの救いである。)

床や机やら拭いているその時、なにやら温風めいた風がモワ~ンと漂っているのに気づく。

ハッ。

まだ、エアコンを暖房から冷房に切り替えていなかったのである。
(設定温度高めなので、暖房の風が吹いていた。)
      ↑
  なぜか皆さん無言で暖房を浴びている。

これまた、社長と秀くんが(ついでにお客も)、まだこちらに来てない時点だったのが、せめてもの救いである。

こうして滞りなく会議は始まった。。。。

車でいいこと

2011-06-14 | 車の練習
今日は二つ、車関係でいい事があった。

一つは課長が新車を買ったらしい。
今の車が車検が切れてしまい、いよいよ車を買うことにしたのだそうだ。(納品は来月だそうだ。)
fitと聞いて、私はワクワクした。^^
私もあの車はなかなかカッコも良いなぁと思っていたからだ。

秀クンの結婚式には欠席してしまった(お祝いと祝電は送った)私が、課長の新車を自分の事のようにワクワクするだなんて、秀クンに申し訳ないような気がした。

そこで、そうか、自分が幸せな結婚式(結婚生活?)を送っていたら人の結婚も祝福できたのかもしれない、と気付くが、これから誰かが結婚するたびに何万も包んでいたら、自分がひからびてしまうので、仕方ないだろう。その他もろもろ。


もう一つのいい事は、kekeが免許を取りに行くらしい。
ため息をつき、「あぁとうとう取るのか」と言うので、「どうしてそんな事を言うのだ?」と言うと、「この先死んだら教習費用が無駄になる」と言うので、バカモン当たり前だろが、と言う。

こうして生きている間も刻一刻刻一刻と金は掛かってて、死んだら全てがパーになるんだ、と言うが、またくどくど言うとケンカになるので、さらっと流す。
(keke曰く、それは私の投資の失敗と言うだけで、自分の負う所では無いそうである。)

私はkekeが教習所に通って、モコを運転して、私が助手席に乗る姿を想像してうれしくなった。
この前、談合坂SAに行ったのだが、こんな所にでも二人で行ってお土産の一つでも買ったら、どんなに楽しいだろうと想像した。

しかし、kekeは免許を取っても運転はしないとまだ言い張る。
自分はともかく、人を怪我させてしまったら困るから、と言う。


今更ながらだが、スーパーは本当に東北・関東産の野菜しかなくなった。
アスパラなら今までアメリカ産だろう、それでカレーでもと思ったが、それも岩手産と長野産のもので、長野産のはやたら細くて、ありえないようなアスパラだった。
去年まで普通に売られていたアメリカ産はどこに行ってるのだろう?
ちなみに、今日のさやえんどうは福島産だったな。
ゴーヤですら、鹿児島産とどこだったかな、こっちの方。

関東近辺でないのは、今日は鹿児島産のかぼちゃぐらい。
ナスもこの前は高知だったのに、今日のは栃木だったかな。

だって、静岡産のお茶でさえセシウムうんたらだと言うぐらいだから、もうそうでないものを食べる方が珍しい状態。
これじゃ何も知らない方がマシかもしれない。


その一方で、私は勉強をしていたり、kekeは免許を取るらしかったり、日常生活は将来に向けて平行して進んでいる。深く考えると不思議な気もするが、確定要素がないから、深く考えず普通に生活していくしかないのが現状。

kekeの豚ドン

2011-06-13 | 息子keke
買い物がめんどうなある晩に、私は余っているカレーを温めて食べてしまおうと思い、「kekeはどうする?」と尋ねてみると、冷蔵庫に何があるのか?と言うので、豚バラ肉と玉ねぎがあるよ、と答えると、「豚丼を作ろうかなぁ」と言う。

そうか!それがいいよ、と私はクックパッドの「松屋風豚ドン」のレシピを見せた。
この半分の量が丁度できるぐらいの材料がある。

kekeは玉ねぎのくし形とはどうするんだ?と言うので、上下の先を切って、この方向に切るんだ、と説明した。
「レシピでは最初に調味料を煮立てて玉ねぎを入れる」と書いてあるけど、先に鍋に入れてから調味料でもいいだろう、と言う。
玉ねぎを入れると、kekeが「これは量が多いんじゃないか?」と言うので、玉ねぎは熱を通すとペシャンコになるからこんなもんだろう、と言い、レシピの調味料を醤油は入れすぎると訂正利かないから少なめで水分少なそうだから酒は多目、焦げるとイヤだから水も入れた方がいいだろう、とか適当にアレンジを加えて入れて行った。

kekeはそれでもまだ玉ねぎが多いのではないか?と言うので、その分肉も多めに入れればいいんじゃないか?と言い、そこらも適当に肉量もアレンジを加えて、煮込んでおしまい。

kekeは味見をすると笑いだした。

何がおかしいんだ?と尋ねると、「sakeのいつもの豚丼と同じ味になった、薄すぎる。まずい。」と言う。

「そりゃそうだ、水を余計に加えたり、いつも通りのアレンジをしているからいつも通りになったんだ。」と答える。

kekeは醤油を足して、しばらく煮た。

そして食べると、また苦笑した。

「いつもの味じゃん。(作った)意味が無い。」
「やっぱりレシピ通りに作れば良かったのか。今度はそうしよう。」

今度はそうしようと言ってみたものの、次にkekeが台所に立つのはいつなのか。。。。
年に1度か2度のkekeの今年の料理は、こうして幕を閉じた。。。

昼食の父

2011-06-12 | 父の記録と母の思い出
今日は昼時に父の所に行った。

父は箸を使ってご飯を食べていた。
ご飯の上に隣に居るばあさんが、おかずを乗っけてくれて、それを父はかきこむようにして食べているのである。
(目も悪いから、つまむ事は容易ではなかった。)

どうしても上から食べてしまうので、先に乗せたおかずがなくなってしまうと、またばあさんが頃合を見計らって、残っているおかずを父のご飯の上に乗せてくれる。そして私に「さぁ、食べさせて上げてくださいよ」と言う。

私はどうもあれこれ率先して手を出すのが苦手なタチなので(そう言う所はkekeとよく似ている)、いつも病院に行っても、父の食事を手伝うか、様子を隣で眺めているだけが多い。

今日は50半ばぐらいだろうか。お母さんにご飯を食べさせている男性がいた。
たぶん息子だろうと思われるが、お母さんの頬をなでながら、何度も笑顔で話し掛けながら、ご飯を食べさせている。自分のまだ小さい娘なら、こんな風に話し掛けながらご飯を食べさせる男の人もいるだろうけど、たぶん母親だと思う。こんな男の人もいるのか。。。

すると、男の人はハッとして、お母さんらしき人のスカートをめくって下着の中を確かめた。(たぶん粗相してしまったと思ったのだろう。)そして、何もなかったのを確かめると、また頬をさすりながらお母さんにご飯を食べさせるのである。
このお母さんらしき人も、今まで見たことがなかった人なので、これからこちらに入院する事になったのだろうか。
この息子さんは、今までお母さんと一緒に住んでいたのだろうか。

妹は「なるべく覚えていてほしいから」と言っていたから、同じように父に一生懸命語りかけているのかもしれない。

父は食べ終わると、ばあさんに茶碗を差し出して「もう置いてくれ」と言う合図である。
(目が悪いので、どこに置いてよいのか分からないのだ。)
ばあさんは、父が鼻水が出ると言っては、ちり紙を差し出し、食事が終わればお茶を差し出した。

父は80年の人生で、いつも誰かがこうして傍についていてくれると言う星の下に生まれてきたのだろうか。
そんな事を考えた。
だって、父とシアワセばあさんの、この組み合わせがすごく不思議な気がして、そう言う星回りと言うのが、やっぱりあるような気がするんだ、最近の私は。

父は目がよく見えてないし、すぐに存在を忘れてしまうので、最近は挨拶もせず、そっと帰ることが多い。
たぶん、妹もそんな感じだと思う。

最近は父が楽しそうで良かったなと思うために会いにいっているようなものである。
先週はkekeの事を「今度免許取りたいらしい」と話してみたけれど。

ウォークマンも持っていったので何か聴く?と訊いてみたけど「今日はもう疲れたからいい」と言う。
最近は父が眠いと言うと、ばあさんが「私は良い人形オメメぱっちりで」みたいな歌を歌うことが多い。





人生案内を読んで(認められなくてもいい)

2011-06-11 | 母子家庭だから思うこと
私も時々読んでいる「人生案内」である。

6月3日の「心満たすほめ言葉がほしい」と言う相談者に対して、海原純子先生はこのように書いた。

「あなたが心を揺さぶられ思わず立ち止まるすばらしい絵を描いた作家は、ほめ言葉がほしくて絵を描いたのでしょうか。すばらしい曲を作った音楽家はほめられるために作曲したのでしょうか。皆それぞれ才能に磨きをかけ、他人の評価やお金もうけなど無関係に、必死に努力し身を削って命がけで表現したのです。
 多くの作家たち、作曲家は世間から認められず、不遇のうちに亡くなりました。彼らは不幸だったのでしょうか。ほめ言葉やお金がなくともしっかりと自らの表現を貫いたその姿勢に、人は心からの称賛をおくるのです。ほめ言葉を手放した時、自分の本当の人生がはじまります。」

   ↑
上の「ほめ言葉」を好きな言葉に置き換えてみよう。


例えば、私だったら「愛される人」かな。

「sakeさんは誰かから愛されるために勉強やドライブやカラオケをしているのでしょうか。いいえ、それとは無関係に必死で努力し命がけで表現したのです。sakeさんは愛される人もなく不遇のうちに亡くなりましたが、不幸だったでしょうか。それを手離した時、sakeさんの本当の人生が始まります。」

こんな感じかな。。。。(^_^)


ゼミ仲間のM君が「人は何かのために生かさているものだ。息子さんも早くそれがみつかるといいのに。」と言うようなことを言った。
私は思わず、「M君はそれがみつかったの?」と尋ねると、「まだみつかってないよ」と笑った。

私もそう言う「何かのため」とか「生かされている」とか、運命だとか神様だとか、そう言うのが好きである。
宗教だの霊だの天国だの、非科学的なものは一切信用してないが、運命とか神様の存在は好きなのである。
これは矛盾しているようだが、私の中では一本線が通っているのである。

ふいなきっかけで、車に乗り始めたときに私の中に「ピタッ」と何かが宿ったのである。
これだ!と思ったのである。
そして、とりつかれたようにグルグル車を乗り回したのである。

私は常人なので、日常レベルの範疇内でとりつかれているが、そのレベルが上がると、芸術家や科学者のように人生を掛けて追い求めるようになるのだろう。それは賞賛のためにやっているのではなく、結果的にその姿勢がそれにつながったのである。

そうか!

結婚していた時はいい母、いい妻をめざして、毎日花粉を除去するために布団にまで掃除機を掛け、料理を手作りし、布オムツも洗濯していた日もあったっけ。


転落人生。
「不遇」と呼ばれようと、呼びたい奴は呼べばいい。

「いい妻」から転落した私。
ある意味いいきっかけだったかもしれない。歌の神様と運転の神様が私に「行け!」と命ずる合図だったとしよう。
「いい母」からも転落しつつある今日この頃。

私は思いのままに走り続けるのだ。

昭和だったら

2011-06-10 | 資格の勉強
昼休み、精算表をコツコツ解いてみる。

機械装置の減価償却や退職金の引当金、貸倒引当金辺りは毎年出題されるので、解けるようになってきた。
が、新しいパターンの出題になると、答えを見ないとお手上げである。

もう6月も半ば・・あと3ヶ月か。。。><
まだ手つかずな原価計算も明日からテキストを読み始めようと思う。

今となっては2科目申し込んでしてしまったのが悔やまれるが、片方0点と言う訳にはいかない。受験料がもったいない。

課長が昼休みに「sakeさんのうちは新聞を取ってるの?」と言うので取ってません、と答えた。

「ほんとは読みたいんですけど、月に4,000円は高いですからね。」
「要らないよなぁ。」
「うちなんて7月からTVもどうするか?って話ですよ。NHK料金だってバカにならないので、見れなくなったら解約しようかとさえ思ってます。新聞どころの話ではありませんよ。」
「カツカツだよなぁ。」
「そうですよ。」

         ↑
これが今の時代の普通の一社員の会話なのだ。
昭和時代だったら、新聞もTVも当たり前にそこにあったのに。

いくらネオンが輝いてもブランド物が発展しても、おいしいものばかりが1人歩きしても、昭和時代に比べると、心は貧しくなったものだ。
私に言わせれば、自分1人だけ金を消費すればいいと言うお偉いさんが何人も居るからだろう。

ほんとにバカめ。
周りがみんな貧しいのを知っているのか知らないのか、自分1人だけなんて、やがて崩れる前兆なのに。


さて、今の私は勉強の次には放射能だが、こちらは相変わらず、少数派の悲観的な人は相変わらず「極めて危険だ」と言い、そうでない人は何でもないように日常を過ごしている。
しかし、最近気づいたのは、横断歩道で子供達を渡らせるのに旗を振っている児童のお母様方達の中にマスクをしている人が居る。(いつも同じ人とは限らない。)

放射能の話をすると、目くそ鼻くそみたいなバカにされそうな世の中だが、それでも、やっぱりマスクをしている人はいる、ごくごく少数派だけれども。
隠れながら、キリシタン信仰をしているのである。

私もこっそりコンビニでお茶を買って、会社に持ち込んでいる。味噌汁やラーメンスープは水道水を使っているが、何となくお茶はコンビニや自販で買ってみたりする。

「なるようにしかならない」と言う気持もそうなのだが、それでも「kekeがいるから」とか何となく理由をつけてお茶を買っている。健康でありたいと言う生理的欲求がそうさせているのだろうか。

これから日本は、関東周辺はどうなるのだろう。
心配性な私は、このブログが「アンネの日記」のようになってしまったらどうしよう?と思うのである。
アンネさんも、それを書いている時にまさか自分達の行く末がそのようになるとは思ってなかっただろう。

時間は刻々と進み、しかしそこに乗っている我々は何も気づかないまま、流れて行く。
そして、やがて着くべき所に着くのである。
もう立ち止まる事も、戻る事もできないから。
その時にどう思うかと言えば、やはりその日まで何も気づかず考えずにいた方が勝ちなのかもしれない。

不謹慎かもしれないが、戦争中も悲観的なことなんて大きな声では言えなかったんだろう。
こうして日常は案外淡々としていたのだろうか。
それも両親も祖母もいないから、もう分からないや。

時間プール

2011-06-09 | 息子keke
kekeは今日はどうしているかな~

バイトもする気があるんだか、無いんだか、免許も取りたいんだかどうだか、良く分からず、昨日はしぶしぶ住民票を取ってきたらしいヨ。

そして私に対しては「うるさくてくどい」そうである。
例えば「PCを動かすのには電源を入れるんだよ」と言うような事を毎日毎日言っているのだそうである。
(そんなことぁねぇだろう・・)

家でゴロゴロしてても何も変わらないから免許でも取ったらどうか、と言ったのは先週だったのか。いつになったら申込みに行くんだろうねぇ。
そのうち夏休みになっちゃうだろうねぇ。

秋からはいったいどうするんだろうねぇ。

遊園地とかによくあったよね、ボールプールみたいな名前の、てのひらで握れるぐらいのゴムボールがいっぱいプールみたいに入ってて、中に入って子供が遊ぶの。
kekeの頭の中には、ああ言う風に「時間」がいっぱい入ってて、ゆったりゴロゴロしてるんじゃないか、って。

それで投げたり、ぶつけたり、いろいろしているの。

一昨日は一度も顔を合わせていない。
kekeは夜までチャットだか何だかしていたからである。
ゼミ仲間のM君曰く「昔俺達がサテンでたむろっていたのが今はネット」になっているそうで、そう言われてみればそうかもしれない。
楽しそうだったので、私は9時半に寝た。

免許を取ると簡単に言うけれど、金のこととか考えてないだろうな。
上がらない給料と上がって行くだろう年金(払う方)と消費税。
下がるだろう手取りと。

いつかは手離すだろう車と。

kekeは乗れるようになるのかね。

いつかはプールから出て行くのかね。

sakeの車窓から(大黒ふ頭)

2011-06-08 | 車の練習
これはだいぶ前に撮った写真です。^^;
まだブログにのせてなかったので。。。


こういう看板を見るのが好きです。^^
自分でここまで来た!と言う達成感があります。



大黒ふ頭は大きな駐車場があります。
PAそのものはいたって普通でしたが。。


モコもこの中のどこかに居るのですが。。。^^


こちらはベイブリッジです。

第3問 文章作成問題

2011-06-07 | 資格の勉強
第3問は3つのグループから1つづつ文章を選んでつなげていく文章作成問題だ。

それも引掛けのようにちょっとした違いがあり、いい加減では解けない。
きっちり内容も把握していないままなので、解ける訳もなく、解答をみてから、もう一度テキストに戻って復習・・と言う日が続く。

日曜の午前中に、使いかけの小さいノートに要点をまとめてみるが、翌日になると、全て忘れ去られている。
こんな状態でも、コツコツ精算表を解いてみたり、昨日より今日と言う感じで進んでみたりする。

今日の昼休みは会社で、テキストにインデックスを貼ってみた。
後で分からなくて、読み返すにもいちいち索引を引いてページを探していたのでは、かったるいからである。


nanuさんはもう試験が迫っていて勉強していたが、通っている学校の模試ではもう合格ラインに行っているそうだ。
4択で6割取れればいいのだと言う。(但しその後に二次試験があるそうだ。)
昼休みも一人言で「そうだった」とか「ああだった」と言っていた。

それでご飯を食べ終わると「今日はこれでオシマイ」とテキストを片付けていたので、「さすが余裕ですね。」と言うと、当日にならないと分からない、と言う。

「でも4択なら、まだいいですよ。私は今回は難しくてどうにもなりません。論述式もあるので、単語もきっちり覚えてないと書けませんから。」と言うと、「何受けるの?」と言うので、テキストを見せながら「これですよ」と言うと、見せてみろと言うので見せるが、さっぱり分からん、と突っ返された。

しかし、私がnanuさんのテキストを見てもさっぱり分からなかった。

でも、4択で6割取ればいいのなら、4つの選択肢のうち確実に2つは落とせるぐらいの勉強をしておけば、(二つにしぼれたら後は半分は当たる確率なので)6割も不可能ではないように思う。

「私も宅建の試験の時は、最後の2択で悩んだ問題が15問ぐらいありました。それで半分は正解だったんです。確立1/2の通りです。」と言い、だから2択まで持って来れれば確立半分で当たりますよ、と言った。

こうして、nanuさんはかなり希望の光が見えてきているが、私は相変わらず勉強も記憶は次から次へと去るばかりだった。
その上、まだテキストも全部見終わってなくて、最後の方の減損会計や資産除去の所は読んでもいない。
パタ解きの表紙カバーの裏に「合格ポイント集」と言うのがあって、その続きがネットでダウンロードできるので、それもプリントアウトして覚えようとしているが、覚えようとしているだけで、何度やっても覚えられていない。

2科目申し込んでしまった原価計算もあるのに、1科目でもう溺れている。

とりあえず、過去問を完璧にして、テキストの演習問題と仕訳例は完璧に覚えられるぐらいにしておきたい。
それから論述式対策も要るだろう。
それはテキストから、幾つか用語の定義を拾い出して(そんなに細かい所までやらなくてもいいと思う)、それは完璧に覚えたい。

これぐらいできるようになっていれば、かなり希望も見えてくるのだが。。。。
もうこれ以上は手が広がらないと思うので、今回の試験はこのテキスト一冊で精一杯だろうと思う。

再来週になったら、原価計算のテキストにも入る予定なので、来週いっぱいでどこまで行けるかな。

良くも悪くも男と女

2011-06-06 | 女だから思ったこと
G子のお母さんのお通夜に行った。
突然のことだったらしい。

直接会った事のないお母さんだったが、遺影の写真は、私の母の笑顔を思い出した。
同じような表情だった。
「お母さん」。

それは一昔前のお母さんなのだろう。

今の私らは、子育てに悩みもがき、原発におびえ、将来を嘆き、生きる事に途方にくれている。
M君と居酒屋で飲んだ。
他に誰かいたら、断って帰るつもりだったんだけど。

M君はG子のことを心配していた。
T男のこともそうだし、元旦那が自己破産するんではないかと思っていたし、どうしてこうなるまで信頼していたのだろうと思っていた。
だから、T男のこともいいように騙されているのではないかと思っていた。

「誰かに頼りたくなる気持ちも分かるんだよ、でもね」とM君は言った。
私はしらばっくれて黙っている訳にはいかなかったから、自分の事も白状した。

「G子はちょっと私を(母子家庭の)目標にしているような所があったんだよね。でも、M君が心配してるより大丈夫だと思う。3~4年ぐらいして落ち着いたら、少しづつ別れられると思う。」と言った。
M君は驚くようなリアクションもしなかったし、そんなに(私らが思うほど)こだわりが無かったような気がする。と言うか、男性全般にそんな程度の反応でしかないんだと思う。

M君が1つだけ私に質問したのは、「どうして落ち着いて(自分の気持が見つめられる)まで何年も掛るんだ?それまではどんな気持ちなんだ?」と言うことだった。

私はう~んと考えて、「怒りかな。」とボソッと言った。
M君は「怒りか!」とそこだけウケた。

私はいつも電話でG子にこんな風に言っているんだ、と言うのをかいつまんで話した。
そう言う風に言っておかないとT男の話がつながらないと思ったし、私は自分だけ黙ってしらばっくれているのは、(相手から今後どう軽蔑されるか以上に)イヤな事だった。G子は「sakeちゃんの事はM君に話してないよ」と言うので、私は自分から言う事にしたのだ。
G子が素直な分、そうしないと後で何かと混乱してしまう。

M君は「G子の娘のことを心配してるんだ。それが最優先だと思うから。」と言った。
それで何度も時計を気にして、そろそろ帰ろうと言った。

M君の重要性のない話しぶりで、こう言うのの本当の所は女同士で無いと分からないんだろうな、と私は思った。
男と女では、こう言う部分では隔たりがありすぎる。

良くも悪くもそう言うものなんだろう。
だから期待することじゃないし、卑下することでもない。