安倍首相の突然の辞意表明、びっくりしましたねエ~。既にTV、新聞で報道されているように、どうやったらこの時期に出来るのだろうというくらい、まったく最悪のタイミングで、国際社会の信用も失いかねない前代未聞の事件です。この一報を聞いた時に最初に思ったのは、若いサラリーマンが任された仕事をこなすことができず、それを上司にも報告できず、期限ギリギリになってとうとうバンザイをしてしまったケースに似ているなということです。会社なら文句を言いながらも、これも勉強だと説教をされて済まされるところですが、よりによって一国の総理、会社で言えば、社長がやっちゃったようなものですから、口があんぐりという感じです。初の戦後生まれの首相と持てはやされましたが、血みどろの権力闘争で勝ちとった地位ではなく、イメージ、ビジュアル先行ですからひ弱でしたね。
プロ野球は実力の世界ですから、辞め方はいろいろあっても、安倍首相のように「情けない」ことはありませんね。昨年の新庄選手の「辞意表明」も前代未聞で驚きましたが、結果的にあの決意がチームを一つにし、日本一に導いた原動力の一つになったわけですから、小泉前首相の「郵政解散」のように見事な引き際でした。ソフトバンクの王監督は、現役最後の年、打率こそ.239と低調でしたが、本塁打30本、打点も80と40歳とは思えない成績を残しましたが、自分が思うプレーが出来ないとして引退しました。それも、最終戦が引退試合となり、華々しいセレモニーが行われたライバル・長嶋選手と異なり、シーズン終了後のひっそりした引退表明でした。これも人柄を表していますよね。とはいえ、王さんも惜しまれながらの引退ですが、プロにはもう一つの引き際のパターンがあります。楽天・野村監督のようにボロボロになるまでプレーするということです。野村監督のような華々しい成績を挙げながらも、「ボロボロ」になって最後は控えになってくると、ファンの関心も薄れ、「野村監督って、最後どこのチームだったっけ?」ということになります(確か西部だったと思いますが)。しかし、王さんが自分のプレーを出来なくなったから辞めたように、野村さんもあくまで「自分」がやりたいからやったのであって、人がどう思おうと関係ないんですよね。今だったら、桑田投手がそうですね。パドレスを戦力外になり、晴れやかな表情で会見した時は、もう引退かと思いましたが、まだまだ粘りますね(ところで、野茂は投手はどうなってるんでしょうね?)。メジャーでは、毎年引退して毎年復帰するロジャー・クレメンスのような選手がいたり、50歳近い選手が現役で活躍していたり、驚異の世界ですが、日本でも小宮山投手は一時期戦力外となってどこからも声がかからず、誰もが実質的に引退と思っていたら、いつの間にかロッテにいましたね。自分で辞めるにせよ、辞めさせられるにせよ、プロの世界の引き際はみな「自分」がどうするかにかかっており、それぞれの個性がありますね。
今管理人が気になっているのは、村田兆治の引退です。村田は「プロ野球」の世界はとっくに引退していますが、引退後に熱心に取り組んでいる、子どもたちの野球教室で本物のプロの姿を見せられなくなったら(140㌔を投げられなくなったら)、辞めると言っています。つまり、彼の中では「プロ野球」は引退しても、まだプロ選手なんです。恐るべし。