人間がどうしたらやる気になるかという動機づけの研究は古くから行われていて、一番有名なのはマズローの欲求5段階説です。最初の欲求は、「食べる」「寝る」など人間が生きていく上で最低限必要な「生理的欲求」で、それが満たされると、自分自身の身体、財産などを危険から守る「安全の欲求」が続き、それが満たされると家族や所属する社会的立場など「所属の欲求」になり、続いて人に認められたいという「承認の欲求」になり、最後に自分のあるべき姿を目指す「自己実現の欲求」に至るというものです。これはなるほどなあと思うところがあるので、広く知られるところになりましたが、必ずしもすべての人がこの段階をたどるということでもないという結果が出ています。
理論の中でもっとも妥当性があると言われているのが、期待理論と言われるものです。これは、あることが出来るという期待と、それが出来たら得られる報酬(金銭に限りません)、その報酬の魅力の掛け合わせで、動機づけの度合いが決まるというものです。自分の能力×うまく出来た時の報酬×その報酬の魅力という式になります。野球に例えると、「僕は頑張れば野球が上手に出来る(自分の能力への期待)。野球が上手の出来れば、レギュラーになれる(報酬)。レギュラーになることはゲームをすることやお小遣いよりも大切だ(報酬の魅力)。だから、僕は練習をガンバル(動機づけ)」というようなことです。しかし、この理論は合理的な人間を想定しており、自分がうまく出来ないと思ったからといって、全ての人が諦めるわけではありませんし、何を報酬と思うかは人によって異なります。つまり、何が人を動機づけるかという万人に当てはまる理論はないということです。
身も蓋もないように思うかも知れませんが、考えてみれば当たり前の話ですよね。信頼している先生や上司などの一言でやる気になったなんてことは、誰にでも経験があると思います。うちの息子も、O副会長の一言でその気になって散ドラに入団したのですから。このように、人を動機づける要素は人により異なりますが、あえて「散ドラ」をやる気にさせる要素をあげるとすれば、それは「刺激」ではないかと思います。散ドラ諸君も野球を始めたばかりの頃は出来ないことだらけで、何とか出来るようになろうとガンバッタと思いますが、少し出来るようになってきて、各自のポジショニングが何となく固まってくると、みんな低位停滞というか、「このままでもいいか」という雰囲気になっているのではないかと思います。ポジションを代えてやってみるとか、新しい部員が入ってくるとか、静かな水面に波紋を起こすような「刺激」があってもいいのかな…なんて思います。