相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

佐賀歴代鍋島藩主の菩提寺「興国山賢崇寺」

2016-07-26 20:52:07 | 寺院
港区元麻布に佐賀歴代鍋島藩主の菩提寺として知られている曹洞宗寺院「興国山賢崇寺」はある。創建は寛永12年(1635)、開基は鍋島忠直。本尊は釈迦。麻布十番駅より「大法寺」の手前の仙台坂脇を左折し、石畳の参道を上りきると右に重厚な「本堂」、参道正面に「鐘楼」がある。空襲焼失前の伽藍は「本堂」、「庫裏」、「開山堂」、「霊廟鐘」、「土蔵」、「位牌堂」があり大規模な建造物群であった。「鍋島家の墓所」は参拝叶わなかったが、江戸時代の大名家の墓級に匹敵する一族の統一された五輪塔の墓が並んでいる。二・二六事件の「青年将校のお墓」もあり、江戸時代における「プロシアの交使館」でもあった。400年近い寺歴を有する古刹の本堂と境内裏に聳える独特の形をした「元麻布ヒルズのビル」の新旧の構図の今ならではのものである。(1607)










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徳川家葵の紋を寺紋としている「医王山妙清寺」

2016-07-26 11:33:11 | 寺院
文京区白山に東陽寺末で曹洞宗禅寺院「医王山妙清寺」はある。創建は慶長11年(1606年)。明暦3年(1657)現在地に移転。1700年代から江戸駒込、鶏声が窪の「薬師寺」と言っていたが「妙清寺」に寺名を変更した。本尊は薬師如来。徳川家と同じ葵の紋を妙清寺の寺紋としているが、それは江戸時代将軍が休み処として妙清寺を利用の際におもてなしをした事から徳川家と同じ家紋を授けられた由来がある。中山道 (国道17号線) との合流地点に「山門」(門柱)、階段を下りた所に崖を背にするように平成6年(1994)再々建の「本堂」、その右に「庫裡」、本堂の前に松、閼伽井があり、階段脇には2体の地蔵像がある。(1607)








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