今日11/3、13:00から「ハーモニーホール座間」において座間市に明治時代から受け継がれている「<入谷歌舞伎会」主管による秋季恒例の「第24回 座間入谷歌舞伎会公演」開催された。この入谷歌舞伎は江戸時代末期頃から入谷地区の人々が農閑期に大歌舞伎の役者から指導を受けて祭礼などで演じたのが始まりと言われている。明治・大正・昭和初期にかけて隆盛を見たが社会の変動や後継者不足などで戦後に演じる機会が減少し活動は中断したが、復活をの声に平成8年に活動が再開された。主賓、来賓の開会式の後、第一部「歌舞伎 寿式三番叟」、第二部は鈴鹿長宿はやし保存会による「種蒔き」、第三部は子供たちによる「歌舞伎 弁天娘女男の白波五人男」、「稲瀬川勢揃い之場」、第四部は「舞踊」、第五部は歌舞伎 狩場曽我富士之曙「對面之場」が演じられた。文化の秋、芸術の秋に相応しい歴史深い歌舞伎を見ることができた。(1911)
本日(11/3)10時より快晴の秋空の下、相模原市南区磯部に縄文時代中期大集落跡がある国指定史跡「勝坂遺跡公園」において、縄文時代の歴史に触れ体験するという「第16回 勝坂縄文まつり」が開催された。相模原市のゆるきゃら「さがみん」も来てくれ開会式が始まった。開会式では市長、来賓の挨拶の後、3組の人が昔ながらの木をもむようにして火起こしを行い「松明」に移し来賓のリレー式で「火入れ式」が行われ、いよいよ本日の「縄文まつり」がスタートした。お祭りはバラエティに富んだプログラムで「太鼓」、「土器野焼き」、「弓矢狩猟」、「差笹」、「縄文服試着」、「石器づくり」、「火おこし」など古代体験、「発掘調査」、「勝坂遺跡クイズラリー」、「谷戸の暮らし」や河川生物に触れる自然体験、縄文クリの試食、縄文汁が振舞われた。受付周辺にはテントが張られ飲食品の販売が行われていた。祝日とあってまた古代=縄文を体験・楽しむことができるとあって子供連れのファミリーで大賑わいであった。またすぐお隣では「ざる菊花見会」も行われておりここ勝坂(磯部)の秋は熱く盛り上がっている。(1911)
勝坂歴史公園の南側方向遠く丹沢山系が望め里山の風情が残る相模原市南区磯部「新磯ざる菊愛好会」が栽培している「新磯ざる菊園」がある。緩やかな斜面に赤、白、黄色、紫のざる菊10種類、1300株が綺麗に植えつけられている。本当に「ざる」を伏せたようにこんもりと丸い形をしていることから「ざる菊」と言われている。先月27日から開場し一週間が経過、満開に近く達して見事なざる菊模様、グラデーションを創り出した本日(11/3)11:00から天候が心配されたが快晴の秋空のもと既に1000人近い人が会場を埋め尽くすほどの盛況ぶりで相模原市南区長や多くの来賓を迎え華やかに「第11回 ざる菊花見会」開会式が行われた。入口前ではうどんのサービス、地元野菜、卵、焼き鳥、飲料の販売のテントが張られ買い求める客でごった返していた。開会式の後は「勝坂はやし保存会の太鼓」が打ちたたかれた。今や新磯の名所、名物となって開催期間中は毎年1万人を超す花見客、鑑賞客が訪れるこのイベントは13日で終了である。(1911)
川崎市麻生区高石に多摩区菅の寿福寺末、臨済宗建長寺派寺院「萬松山潮音寺」はある。創建(再建)は承応年間(1652〜1655)、地頭加賀美金右衛門正吉が三男十左衛門潮音の死を悼み当地に移し再建。また中興には隣にある「法雲寺」と関係があるようである。本尊は聖観世音菩薩で、胎内に行基の作の聖観音像が入っている。「寺号標」、「山門」を抜けると植木が手入れされた境内が広がり正面に入り母屋づくりの「本堂」、右に庫裏、「鐘楼」がある。境内にはいくつもの石像、石碑などが配置されている。当寺は武州稲毛七福神の「福禄寿」を祀っている。(1910)