今日(1/6)正午前から関東圏は「初雪」となった。テレビ各局は東京駅、渋谷、新宿、赤坂、お台場、横浜、箱根の降雪の模様を映し出している。日本付近は冬型の気圧配置は緩み、日本海側の雪の範囲は狭くなる見通しのようであるが、本州の南の海上を低気圧が進む予想。いわゆる「南岸低気圧」といわれるもので寒気の入り具合、低気圧の進むコースや発達の程度によって、都心部を含む関東地方の平野部にも雪をもたらしている。積雪5センチほどに達するようでもううっすらと雪化粧した。我が家の前の公園の木々たちも雪の衣を纏い凍えているようである。新年らしいといえる光景であるが、「初雪」はその冬初めて降る雪、または新年になってから初めて降る雪のこと。あるいはその雪が降った日(雪の初日)のこと。反意語は「終雪」である。雪が降る様は風情があるが、交通マヒ、事故を引き起こす厄介さもあり注意しなければならない。(2201)
大和市下鶴間に浄土宗鎌倉光明寺末寺の「寳亀山鶴林寺」はある。創建は永禄12年(1569)。本尊は阿弥陀如来像。鶴林寺境内奥の一角に建つ「下鶴間不動尊」では毎年1月末に開かれる初不動「だるま市」は多くの人で賑う。「下鶴間ふるさと館」から、小川を渡り直進すると右手に「下鶴間不動尊」の案内板、急勾配の石段を上がっていくと「不動堂」がある。左手に「天神・蚕神」が祀られている。境内の正面中央に入り母屋造りの大「本堂」がある。「鐘楼」、六地蔵、即身仏となった瀬沼嵩信を弔う「地蔵」、「瀬沼家墓所」があり、鐘楼側に「鶴鳴学舎跡」(下鶴間学校)の石柱が建てられている。広大な寺域には450年の歴史が脈々と息づいている。当寺の前の道路は「矢倉沢往還」で、江戸から三島へ至る街道で「大山街道」、「富士道」と呼ばれ、ここ鶴間は交通の要で、「宿場」が置かれた場所でもある。(2201)
不動堂
鶴鳴学舎跡
不動堂
鶴鳴学舎跡
大和市下鶴間、矢倉沢往還(大山道)の下鶴間宿があったところに大和市指定重要文化財施設の「下鶴間ふるさと館」はある。あいにくの旧館であったが、この「ふるさと館」には江戸末期に薬など雑貨商を営んでいた「旧小倉可光家住宅」の母屋と白壁の「土蔵(袖倉)」がある。宿場の商家建築としては県内でも数少ない建物である。母屋は1856年に建築されたもので宿場町時代唯一の商家建築である。平成7年の解体調査の際、ザシキの床板から墨書きの落書が見つかった。「安政3年」の年紀、大工と思われる「石田利三良」という名前に黒船の絵などが書かれている。矢倉沢往還(母屋の裏)には幕府や領主が決めた法度や掟書などを木の板札に書き人目の惹くように高く掲げておく場所であった「高札場」の「説明板」がある。高札場は神奈川県の東海道では9つの宿場にそれぞれ1ヶ所ずゝあったという名残である。母屋は江戸時代の建築遺構で「木造銅版葺き」、「入母屋造り」、「四間取り」となっている。大正から昭和初期の大和の歴史を学べる場所となっている。(2201)