小田急線に乗車した時、新松田駅から開成駅のほぼ中間に広々とした湖上に浮かんだようなアメリカンカントリー風のレストハウスは欧州のどこか別荘かホテル的な公園のような景色が眼に飛び込んでくる。これは足柄上郡開成町吉田島に「開成町水辺スポーツ公園」に隣接する「開成水辺フォレストスプリングスFS Diner」である。ここは自然一体型ルアー&フライパークと銘打った首都圏最大級の広さを誇る管理釣り場である。3.1万㎡という広大な敷地に濃緑と白の2階半建ての「アメリカンカントリー風レストハウス」とその周りは美しい木々の植栽に囲まれた敷地には開成町の清涼な地下水を利用した「ファーストポンド」(水深1.5~1.8m)、「セカンドポンド」(水深1.3~1.6m)、「サードポンド」(水深1.2~2.0m)の3つの釣り池=ポンドが配置されている。そのスケールは首都圏最大級といわれている。国内最古参の養魚場の「林養魚場」(福島)は昭和10年(1935)創業以来、サケやマス、魚類の養殖に携わってきた。これまで培ってきた経験に加え、絶えず技術開発に努めてきた「林養魚場」を運営母体とするのが「開成水辺フォレストスプリングス」である。「フォレストスプリングス」はここ「開成」以外に「那須白河」、「蔵王」、「裏磐梯」にもある。ここ水辺のカジュアルレストランは自慢の自家製トラウト(ニジマス)サーモンを使用したオリジナル料理を中心に地元の足柄牛を使ったメニューはグルメ通が押し寄せる人気店である。その3つの釣り池の周りの丘や池の石の上には何羽もの「アオサギ」や「オオバン」が休息したり池に入っては餌と魚を狙っているようだ。ここは美味しい食事と広く美しい釣り場が融合した異国情緒たっぷりの癒しスポットである。(2201)
「小田急多摩線」は延伸計画として「唐木田駅」から「相模原駅」、「上溝駅」を2030年に結ぶということである。現在、多摩ニュータウンへのアクセス路線として「新百合ヶ丘」から「唐木田」まで整備運行中。その小田急多摩線について「町田市」=(小山田町付近に1駅設けられる予定)を通り、「JR横浜線相模原駅」、「JR相模線上溝駅」までの8.8km、更には将来的には田名地区を経由して「愛川・厚木方面」へ延伸する計画である。相模原市は町田市と相模原市を南北に結ぶ相模総合補給廠の一部返還予定地の2haを道路用地にし、その地下を路線化。既存の相模原駅の地下にホームを新設し、現在のさがみ夢大通りから横山公園を抜け、上溝駅には高架でつなぐ速達列車の運転も想定。この延伸により「相模原駅」から「新宿駅」までは48分で結ばれるという。延伸の効果は第1にJR横浜線やJR相模線との鉄道ネットワークの強化、第2は通勤通学等の時間短縮や混雑緩和解消、利便性の向上、第3は相模原駅周辺は多様な機能の集積により相模原市の表玄関にふさわしい土地利用、中心市街地として魅力と活力ある街づくり、JR相模線や新線の沿線土地利用の活性化などが期待でき、東京都と神奈川県を結ぶ首都圏南西部の交通軸の構築は広域交流拠点都市の形成に大きく寄与する。唐木田〜上溝までの一体整備にかかる総工費は約1,300億円ということである。(2201)
足柄上郡松田町松田惣領、酒匂川の左岸台地上に平安時代中期の「延喜式神名帳」にも記された「相模国延喜式13社」の一つに列せられる松田の守護神であり、松田町の古社「寒田神社」は鎮座する。創建は仁徳天皇3年(315)。主祭神は倭建命、弟橘比売命、菅原道真公、誉田別命。御神宝として弥生時代後期の白木の椀大小一組がある。寛永3年(1626)には徳川家光より150石朱印地を寄進されている。承応3年(1656)に酒匂川の氾濫により社殿等流出したが慶応4年(1868)に再建さる。明治7年(1874)に郷社、昭和16年(1941)に県社に列せられた。謂れでは日本武尊が東征の際に立ち寄ったとされ、境内には樹齢数百年以上の古木が残り、諸願成就の篤い信仰は今日に継承されている。嘗ては「相模田神社」、「佐武多神社」、「佐牟太神社」等と称した。延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」の記載がある。江戸時代には「寒田神社神田大明神」とも称した。松田駅より御殿場線をわたり酒匂川方向に進むと松田小学校の奥に鎮座し、大きい鳥居を抜けると正面に「社殿」(前に拝殿、奥に本殿)、右に「神楽殿」、左手に「参集殿」と「社務所」がある。境内には「寒田稲荷社」、「祖霊社」、「神明社」、「天神社」、「熊野社」と「小祠」が祀られている。他に「明治二十七八年之戦役陣兦軍人之碑」、「忠魂碑」、倭武尊の「腰掛石」がある。(2201)