相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「相模原麻溝公園」のオープンカフェに「ヒヨドリ」さん来店!!

2022-04-07 17:49:45 | 公園・庭園
相模原市南区麻溝に四季の花が絶えない「相模原麻溝公園」はある。今当園は桜が終焉を迎えようとしており代わって「芝生広場」では白、赤、ピンクの「ハナモモ」がグラデーションを描き満開を迎えている。そして間もなくつる性植物の女王と言われるクレマチスが開花スタンバイ中である。樹林広場の一角にオープンカフェ「カフェ コモン」が営業している。カフェの前にはテーブル数が9卓あり椅子が数脚置かれている。その椅子に一羽ベージュか灰色ぽい「ヒヨドリ」がちょこんと留りご来店である。本来なら花の吸蜜のはずであるが食べ物の甘いにおいを嗅ぎつけたのか、お客のおこぼれを頂戴しようとやってきたようである。「ヒヨドリ」は全体が灰色、やや茶色に見える鳥で、花の蜜や果実が大好物である。以前は渡り鳥であったが近年は留鳥として棲むようになっている鳥である。(2204)
 
 
 

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「相模原麻溝公園」では可愛らしい「クロッカス」の花が!!

2022-04-07 10:52:10 | 公園・庭園
相模原市南区麻溝に四季の花が絶えない「相模原麻溝公園」はある。今、園内の各所で「クリスマスローズ」、「桜」、ハナモモ、コブシ、モクレンなど終わろうとしているもの、今から咲き始めのものと華やかさを増してきている。「花の谷」のミニ花壇では可憐な「クロッカス」の花が数輪咲いている。「クロッカス」と言えば早春に紫や黄色、白色をした可憐な花を咲かせる球根性の植物で欧州では古くから春の訪れを知らせてくれる花として扱われている。この季節に黄色や紫、白などの可愛らしい花を咲かせてくれる希少な花である。クロッカスには春咲きと秋咲きがあるようで、秋咲は(10月頃)にひよっこり地上に現れることから「オクトーバークロッカス」、「コルチカム=イヌサフラン」とも言われている。地中海沿岸が原産、アヤメ科クロッカス属の球根植物である。花の特徴は花びら(花被片)は6枚、花の大きさは4~6cm位で細長い糸のような雌しべに因んでギリシャ語で糸を意味する「crocus」が語源となっている。(2203)
 
 
 
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「靖国神社」の「遊就館」を訪問して!!

2022-04-07 10:04:01 | 史料館
「靖国神社」境内の桜の標本木、能楽堂の右奥に明治15年(1882)に開館した同社の祭神ゆかりの資料を集めた宝物館の「遊就館」がある。遊就館の由来  中国の古典、「荀子」勧学篇「君子は居るに必ず郷を擇び、遊ぶに必ず士に就く」から「遊」「就」を撰んだものである。当館は国のために尊い命を捧げられた英霊のご遺徳に触れ、学んでいただきたいという願いが館名には籠められています。当館は幕末以来、国のために尊い命を捧げ、靖國神社に祀られた御祭神の貴重な遺品、さまざまな戦争に関する史資料、武具甲冑、宝物などを保存、展示している。戦没者や軍事関係の資料を収蔵・展示する日本における最初で最古の「軍事博物館」である。1階玄関ホールには第32軍直轄の最大長射程火砲部隊として沖縄戦を2ヶ月以上にわたり戦った独立重砲兵第100大隊所属の「89式15糎加農砲」、同じく沖縄戦を戦い連合軍総指揮官サイモン・B・バックナー・ジュニア中将を戦死させるなど大戦果を挙げた野戦重砲兵第1連隊所属の「96式15糎榴弾砲」、「零式艦上戦闘機52型」、大戦中に泰緬鉄道において鉄道連隊将兵が運用した「C56 31号蒸気機関車」が展示されている。特に復元機ではあるが「零戦」と言われた「零式艦上戦闘機」は第二次世界大戦期における日本海軍の艦上戦闘機には特攻機としての悲哀も感じられる。(2203)
 
 
 
 
 

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「東叡山寛永寺」の伽藍の一つ「不忍池弁天堂」

2022-04-07 07:32:02 | 寺院
台東区上野桜木一丁目に天台宗関東総本山の寺院「東叡山寛永寺」は鎮座している。開基は徳川家光、開山は天海、本尊は薬師如来である。京の都の鬼門(北東)を守る比叡山に倣い「東の比叡山」=「東叡山」とした。江戸時代後期、最盛期の寛永寺は寺域30万5千余坪、寺領11,790石を有し、子院は36ヶ院に及んだ。現存するのは19ヶ院である。現在の上野公園のほぼ全域が寛永寺の旧境内にあたる。最盛期には今の上野公園の2倍の寺地(域)を有する大規模なもので、現在の東京国立博物館の敷地は「本坊」跡、博物館南側の大噴水広場は「根本中堂」であった。当園には寛永寺の「清水観音堂」、「東照宮」、「大黒天堂」、「弁天堂」などの伽藍が数々が建ち並んでいる。その代表格である「弁天堂」は江戸初期の寛永年間に天台宗東叡山寛永寺開山の慈眼大師天海大僧正が建立、「不忍池弁天堂」と呼ばれている。この堂は日本一大きな湖琵琶湖に浮かぶ竹生島「宝厳寺」をモデルとし、宝厳寺から招いた「弁財天」を祀っている。不忍池にまるで浮かぶように建立された独特の八角形の「弁天堂」は昭和33年(1958)に鉄筋コンクリート造りで再建されたもの。八角形のお堂は不忍池のどこからでもお参りができるようにと配慮されている。当寺は上野王子駒込辺33ヶ所観音霊場の30番札所である。(2203)
 
 
 
 
 

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