相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

「JAXA相模原キャンパス特別公開 2016」を見学!!

2016-07-29 15:27:28 | 建造物
宇宙を身近に感じる「JAXA相模原キャンパス特別公開 2016」が7月29日(金)・30日(土)の2日間にわたって公開されている。会場は夏休みの子供たち、家族連れで大賑わいで昨年は1万3000人が訪れたという年に一度の人気企画である。JAXA相模原キャンパスでは6つの会場に分かれて常見学できない施設の公開や最新の衛星やロケットの展示、研究、実験、エネルギー、ロボット、火星&月な着陸機、人工オーロラなど子どもから大人まで楽しめるイベントが盛りだくさん紹介されている。キャンパスには「M-Vロケット実機模型」と「M-3SIIロケット原寸模型」が展示されておりその大きさに驚く。入場時「JAXA オリジナルバック」を無料配布されていた。(1607)










 
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都内で浅草寺に次ぐ古刹「麻布山善福寺」

2016-07-28 15:45:25 | 寺院
東京都港区元麻布一丁目に都内では「浅草寺」に次ぐ古刹の一寺、浄土真宗本願寺派の寺院「麻布山善福寺」はある。弘法大師が天長元年(824)創建。本尊は阿弥陀如来。当寺は浄土真宗関東七ヶ寺の一寺で江戸時代には寺領10石の御朱印状を拝領、数多くの末寺を擁した。麻布十番駅より雑色通りを仙台坂方向へ進むと参道両側には「光善寺」、「善光寺」、「金蔵寺」、「善通寺」、「真福寺」、「専光寺」、「善正寺」が建ちその名残がある。「勅使門」(山門)を抜けると国指定天然記念物「イチョウ」、その先に当寺には港区指定有形文化財の「本堂」と「開山堂」、「柳の井戸」、「ハリス記念碑」(初代アメリカ合衆国公使館跡)、親鸞聖人像、福沢諭吉翁の墓、越路吹雪の碑がある。古刹の雰囲気漂う寺域であった。(1607)














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大黒天として親しまれている「榮久山大法寺」

2016-07-27 15:11:43 | 寺院
港区元麻布の門前の「大黒坂」の由来でもあり、港区七福神の大黒天(福徳や財宝を与える福の神)として親しまれている日蓮宗の寺院「榮久山大法寺」はある。慶長2年(1597)慈願院日利上人が創建。日舜上人法華経三万部読誦の功徳によって不思議な大黒天尊像を感得されたという。本尊は旧家伊勢屋長左衛門の秘像仏といわれている三神具足大黒尊天である。「大黒天大法寺」と書かれた山門(門柱)を潜ると正面に本堂、左側に稲荷が祀られその右には数体の石像が並んでいる。江戸時代は「赤門寺」と呼ばれており、当寺の近地には元禄時代、吉良上野介の下屋敷があったらしい。(1607)


 



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全長410mの鉄道橋「相模川橋梁」を撮る!!

2016-07-27 08:56:16 | 橋梁・鉄橋
相模川橋梁」は小田急小田原線・厚木駅~本厚木駅間にある相模川に架かる橋で全長は410mの鉄道橋である。1971年7月より使用開始(旧鉄橋は1972年3月撤去)。旧軌道の名残として相模線との交差部分とホームの小田原よりで道路と交差する箇所にコンクリート製の橋脚が残されている。本橋の形式は中間部は単純下路平行弦ワーレントラス式鉄道橋が6径間連続しているがトラス構体の上部を鋼材で接続のため遠目には「連続トラス橋」に見える。いつもは電車の中より目にする「相模川橋梁」を真下よりファインダーを覗くとその大きさに圧倒され、形状が手に取る様にわかる。すぐそばには最近開通した「圏央道」が跨る「相模川橋梁」~「相模川」の先には本厚木の街が広がる。(1607)








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佐賀歴代鍋島藩主の菩提寺「興国山賢崇寺」

2016-07-26 20:52:07 | 寺院
港区元麻布に佐賀歴代鍋島藩主の菩提寺として知られている曹洞宗寺院「興国山賢崇寺」はある。創建は寛永12年(1635)、開基は鍋島忠直。本尊は釈迦。麻布十番駅より「大法寺」の手前の仙台坂脇を左折し、石畳の参道を上りきると右に重厚な「本堂」、参道正面に「鐘楼」がある。空襲焼失前の伽藍は「本堂」、「庫裏」、「開山堂」、「霊廟鐘」、「土蔵」、「位牌堂」があり大規模な建造物群であった。「鍋島家の墓所」は参拝叶わなかったが、江戸時代の大名家の墓級に匹敵する一族の統一された五輪塔の墓が並んでいる。二・二六事件の「青年将校のお墓」もあり、江戸時代における「プロシアの交使館」でもあった。400年近い寺歴を有する古刹の本堂と境内裏に聳える独特の形をした「元麻布ヒルズのビル」の新旧の構図の今ならではのものである。(1607)










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