相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

県西部のターミナル駅「小田原駅」の全貌!!

2020-12-28 16:17:03 | 
神奈川県小田原市栄町1丁目~城山1丁目に東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・日本貨物鉄道(JR貨物)・小田急電鉄(小田急)・箱根登山鉄道・伊豆箱根鉄道(大雄山線)の駅「小田原駅」はある。古くから城下町、東海道五十三次のうち、江戸より数えて第九の宿場町(110軒を数える旅籠があった)として栄えた小田原市の中心的な駅であり、神奈川県西部のターミナル駅、箱根観光の拠点ともなっている。今月初め新しい「ミナカ小田原」もグランドオープンし駅前の目玉名所となった、近年は外国人旅行者も多い。当駅は大正9年(1920)に国府津駅を起点とする熱海線(東海道本線)の終着駅として開業した。1927年に小田原急行鉄道、1935年に大雄山鉄道と箱根登山鉄道が乗り入れた。1964年には東海道新幹線の開業と同時に駅が設置された。1日15本の「ひかり」と「こだま」が停車する。現在は1日約15万人の利用がある県西部の主要ターミナルである。(2012)
 
 
 
「みなか小田原」より全景


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「県立相模原公園」では「白梅」が開花!!

2020-12-28 15:41:02 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に県立都市公園のひとつで相模原のオアシスとなっている「県立相模原公園」はある。この時季はさすがに花が少なく撮影機会がない中、イベント広場からグリーンタワーに移動する左側に紅&白梅4本、「紅葉の丘」、「衆遊の庭」周辺に紅梅と白梅が5~6本ある。今年の開花はと訪れるとイベント広場前「白梅」が50輪ほど開花し可憐な花びらを見せほのかな甘い香りを漂わせていた。梅は百花に先駆けて春の訪れを知らせてくれる花でもあるが、まだ12月、これから冬本番である。余り寒くもない今年の師走、梅も春到来間近と錯覚しているのかもしれない。(2012)
 
 
 
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小野路町の観光拠点「小野路宿里山交流館」

2020-12-28 11:41:28 | 建造物
東京都町田市小野路町、多摩丘陵の原風景を残す町田市北部の小野路地域には江戸時代に宿場として賑った小野路宿があり、そこにあった町で一番大きかったという建物の一軒の旅籠「旧角屋」を改修し、歴史と文化を継承し、地域住民と来訪者が交流する場所としての観光交流拠点として再整備した施設「小野路宿里山交流館」がある。町田市が2009年作成の都市再生整備計画に基づくもので土地と建物は町田市の所有、NPO法人「小野路街づくりの会」が運営する施設である。面積約1500㎡敷地内には「主屋」(交流スペース、地域住民や来訪者が飲食しながら休憩・交流できる場)、「和室」(食事処としてご利用できる)、「物産販売コーナー」(地元産の野菜・果物・花や工芸品等を販売)、「情報コーナー」(散策コースやバスの時刻表などの情報を提供)、「土蔵」(展示ギャラリーとして企画展を開催)、「製茶場」(うどん作りなどの体験教室を実施)などがあり小野路の歴史・自然・文化に触合う拠点、訪問者の休憩施設となっている。地域内には中世前期(推定)の「小野路城址」、すぐ傍には小野路の鎮守「小野神社」がある。都内有数の里山地域であり江戸時代には大山街道の宿場町として栄え、小野路宿通りは当時の雰囲気を今も残しておりどこかノスタルジックでタイムスリップしたような不思議なエリアである。(2012)
 
 
 
 
 
 
 

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座間栗原の鎮守「栗原神社」

2020-12-28 09:35:31 | 神社
座間市栗原中央に栗原の鎮守で「相模の弥市」と言われた当地の豪農「大矢家」の先祖が天正元年(1573)に「王子大権現」を勧請して祀ったのが始まりとされる「栗原神社」はある。創建は天正元年(1573)。祭神は豊受大神、天御柱命、稚日留女命、道反大神、国御柱命。44号線、246号線立野台信号を左折、坂の左側目久尻川傍に鎮座している。「鳥居」を抜け境内へ入ると正面に「拝殿」、右に社務所、その前には石橋が掛けられた「小さな池」がありコイが泳いでいる。「社殿」左奥に市の天然記念物の樹齢500年の古木「シラカシ」が聳えている。平成25年(2013年)放火により「社務所」や「神楽殿」が全焼、当社の古文書「栗原寺社村鏡」の写本なども焼失したが再建された。江戸時代からこの地区の鎮守であり今も伝わる祭囃子は昭和43年(1968)市指定重要文化財に指定されている。(2005)
 
 
 
 
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江戸時代に宿場町として賑った「小野路宿通り」を行く!!

2020-12-27 15:33:41 | ホテル・旅館
町田市の北部、緑豊かな多摩丘陵地域に位置する「小野路町」は、江戸時代には東海道と甲州街道を結ぶ脇街道として、また埼玉方面から大山詣でに往来する人々で賑わう宿場町であった。「小野路」の地名の由来には諸説あり、①大日本地名辞書では平安時代の牧場地帯「小野牧」への入り口、また②武蔵名勝図会によれば武蔵七党の一つの横山党の祖である小野氏との関係による、③鶴川村誌では「小野郷」への道筋であった等々。江戸時代には近隣の35ヶ村を纏める組合村の寄場として「見張り番所」が置かれ、明治時代には「登記所」や「郵便局」などの公的施設ができ、小野路は地域行政の中心的な役割を果たしていた。江戸時代には「角屋」、「福島屋」、「池田屋」、「煙草屋」、「河内屋」、「中屋」の6軒の旅籠があった。この旅籠のうち旧「角屋」がここ小野路町の観光交流の拠点として改修され「小野路宿里山交流館」となった。ここを起点として多摩センター方向数百メートルがメインストリートの「小野路宿通り」である。すぐ傍に当地の名主「小島家」、中ほどの「中宿バス停」前にはかつての伝言板「高札場」、「御取締見張番屋」跡があり、通りの左側には小川が流れ両サイドは板塀が続き宿場の名残り・ノスタルジーを感じさせてくれ、江戸時代にタイムスリップしたかのような不思議な空間・エリアである。近くには小野路の鎮守「小野神社」や臨済宗寺院「小野山萬松寺」がある(2012)
 
 
 
 
 
 

小野神社

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