津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

旧加藤家臣

2005-09-24 12:09:21 | 熊本
 ある方から、旧加藤家(清正・忠広)家臣が何人くらい細川家家臣になっているだろうかとのお尋ねをいただいた。40人くらいは確認しているが、昨日の細川家家臣先祖附の閲覧を通して、相当数になることを実感した。あと100人くらいは確認できるような気がする。
一時期細川を離れ、加藤家にいた志水宗加、元五(日下部与助)の親子が帰参、元五が旧加藤家家臣の細川家仕官に尽力したと伝えられている。その働きは顕著のようだ。
また、そのリストを作る必要に迫られそうだ。でも1000家の先祖附を確認する必要がある。・・・・・・・・・・・疲れる・・・。
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蒙古襲来絵詞

2005-09-24 07:50:24 | 徒然
 一昨日仕事の関係で、旧松橋町(宇城市)竹崎の区長をお尋ねした。
お隣が「竹崎季長生誕の地」とある。度々来ることもできないので、ちょっと離れた竹崎城跡も見学。この場所から、海東が広がっている。鎌倉まで出かけて得た領地なのだと思うと、いろんな意味でぐっとくる。甲佐大名神に収められたこの「絵詞」は、縁有って天草大矢野氏が所蔵することになる。祖・大矢野十郎親子も「絵詞」に登場している。
明治23年旧肥後藩士大矢野家から、皇室に献上され「御物」となった。竹崎氏は絶えたというが、肥後の一介の御家人が残した遺産は、燦然と輝いている。

 昨日、図書館でしばし「蒙古襲来絵詞」を拝見した。
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