津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

最近の熊日新聞「言葉のゆりかご」から

2005-09-27 07:04:19 | 新聞
【その1】
加藤清正に仕えた飯田覚兵衛、加藤家改易後は京都に浪居、寛永九年(1632)九月十八日死去。(2005/9/21)

藤崎八旙宮の例大祭(随兵祭)、かっては馬追いの掛け声から「ボシタ祭り」と言っていた。清正が朝鮮を「滅ぼした」ことを語源として「ボシタ、ボシタ」と囃したてたとされてきたが、いつの間にかうやむやにされてしまった・・・証拠があった。
【その2】
明治二十六年九月二十三日、熊本にあった小泉八雲は「『没したり、朝鮮没したり』を口々に叫びながら、興味深い馬飾りをつけた馬たちを町通りに駆けるのです」と、友人に書き送っている。(2005/9/23)

  

  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする