妻は友人夫妻と三人、実家がある延岡へ泊りがけで出かけた。(今日の宮崎は県知事選挙があり、「そのまんま東氏」が当選したらしい・・・)そこで、図書館へと出かけることにした。あいも変らずコピーに明け暮れる。「有禄士族基本帳」の二冊目の残り約100ページ他、先祖附など合わせて計200数十枚をコピー。「有禄士族基本帳」のコピーは2/3を完了した事になる。約二時間半の作業と相成った。帰ってそれらの史料に目を通しながら、又新たな発見があり嬉しくなってしまう。「風林火山」を見た後は、ただひたすらタイピング。明日は五時半起き、時計を気にしながらの作業である。
万延元年の、幕府遣米使節団の九ヶ月に及ぶ世界一周の記録は、肥後藩士木村鉄太の詳しい同行記「航行記」がお馴染である。そんな使節団に今一人、荒木数右衛門なる肥後藩士が同行していることが分っている。新見豊前守の従者としてである。記事はこの荒木数右衛門を調べておられる平田氏によるものだ。懸命な捜索調査をされたようだが、未だ詳細は不明らしい。日本カメラ博物館が所蔵するという彼の写真は、刀の長さからすると背は余り高くないように見えるが、写真の裏には「非常に筋肉質な侍」と書き込みがあるという。袴が破れているように思えるがご愛嬌である。平田氏は「有禄士族基本帳」なども調べられたようだが、これとても本人以外の名前(親・兄弟)では判明しない欠点がある。「有禄士族基本帳」を公開(一部です・・)してから、二三の照会を受けたが、同様の条件で判明に至らない。陪臣であった方々については、旧主筋の家が管理する先祖附を調べる必要がある。公開したそれぞれの方々に、「旧主家」を書き込みたいと思うのだが、数が余りにも多すぎて、現実問題として不可能だろうと悲観的になっている。