京都では成功しなかった拙宗が大内氏支配下の山口に移り、雪舟を名乗り巧みな自己プロデュースで頭角を現し、遣明使として中国に渡り、中国の著名画家の作風に倣った作品で売り出し、応仁の乱後の将軍家の跡目争いの一方の雄であった大内氏の意を受けて拠点となる地の状況を探り報告するなどの役割を果たしていたことを論じた本。
天橋立図を特に取り上げて、これが両陣営の前線で後に戦場となることが想定された天橋立、府中の地理、町並みを写し取ったものというのが、論述の骨になっています。
雪舟の絵と確定されているものは少ないので、京都時代の絵がどうだったのか、同じような作風だったのか、山口に移りまた中国で見聞して画風が変わったのかがよくわからず、この本でもそのあたりは紹介されていないので、納得できるようなできないような読後感です。
国宝指定の作品が多いのが、作品自体の評価によるのか、有力者の地元で京都から来た画家という立場を利用して京都から来訪した禅僧に次々と詩文を書いてもらうなどして大家であるとアピールした文書等の歴史資料に幻惑されたのか…というあたりがこの本を読んで生じる雪舟観ですね。
島尾新 朝日新書 2022年4月30日発行
天橋立図を特に取り上げて、これが両陣営の前線で後に戦場となることが想定された天橋立、府中の地理、町並みを写し取ったものというのが、論述の骨になっています。
雪舟の絵と確定されているものは少ないので、京都時代の絵がどうだったのか、同じような作風だったのか、山口に移りまた中国で見聞して画風が変わったのかがよくわからず、この本でもそのあたりは紹介されていないので、納得できるようなできないような読後感です。
国宝指定の作品が多いのが、作品自体の評価によるのか、有力者の地元で京都から来た画家という立場を利用して京都から来訪した禅僧に次々と詩文を書いてもらうなどして大家であるとアピールした文書等の歴史資料に幻惑されたのか…というあたりがこの本を読んで生じる雪舟観ですね。
島尾新 朝日新書 2022年4月30日発行