~~SAITOHさんよりコメントをいただきました。

信仰の自由 (SAITOH) 2006-04-15
クェーカーの礼拝風景の画像は初めてみました。興味深いですね。
ところで、アメリカの自由な信仰のあり方について聞くと、私たちはただ、うらやましいと思うのですが、これとて、決してタダで得られたものではないのですね。
信仰の自由を求めて新天地に渡った人たちが理想とした社会は、信仰の自由など認めないものだった! クェーカーやアナ・バブテスト(再洗礼派)は絞首刑にあったりしましたし。
あとから来た人たちは、あまりの狭量さに唖然としつつも、自分達のコミュニティを築いて行く。やがて、ロジャー・ウィリアムスとか、ウイリアム・ペンといった人たちが出てきて、信仰の自由を打ち出していくのですが、理念主導の戦いを続けなければならなかった。
だから、もともと自由な風土だったとか、なんとなくそんな社会になったというのでは決してない。アメリカ史を学ぶ上で、最も重要なことではないかと思います。


信仰の自由 (SAITOH) 2006-04-15
クェーカーの礼拝風景の画像は初めてみました。興味深いですね。
ところで、アメリカの自由な信仰のあり方について聞くと、私たちはただ、うらやましいと思うのですが、これとて、決してタダで得られたものではないのですね。
信仰の自由を求めて新天地に渡った人たちが理想とした社会は、信仰の自由など認めないものだった! クェーカーやアナ・バブテスト(再洗礼派)は絞首刑にあったりしましたし。
あとから来た人たちは、あまりの狭量さに唖然としつつも、自分達のコミュニティを築いて行く。やがて、ロジャー・ウィリアムスとか、ウイリアム・ペンといった人たちが出てきて、信仰の自由を打ち出していくのですが、理念主導の戦いを続けなければならなかった。
だから、もともと自由な風土だったとか、なんとなくそんな社会になったというのでは決してない。アメリカ史を学ぶ上で、最も重要なことではないかと思います。
