鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.203『信徒が愛し合うのは、命令』(13章33~5節)

2007年07月17日 | ヨハネ伝解読


                    

「若き日に、汝の創り主を覚えよ。」(伝道者の書、12章1節)

 今日も創り主を想いましょう。

 生活の雑事の中で、創主を放念しがちになっても大丈夫です。聖句がありますから。創造主が意識からなくなっていく。そのとき「若き日に、汝の創り主を覚えよ」という言葉がありますと、また、創主を想う意識が再形成できます。

 御言葉はキリスト教信頼(信仰)の中核です。御言葉を抱いていきましょう。

 
                   


 本日の聖句は、前回と同じです。

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=聖句=
「私(イエス)は、今、新しい命令を諸君(弟子たち)に与えます。互いに愛し合いなさい。わたしが諸君を愛したように、諸君も互いに愛し合いなさい」(13章34節)
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 本日は、「命令」という言葉に注目しましょう。
イエスを信ずるものたちが愛し合うのは、自分が与える「命令」だとイエスはいっています。

 これは考えさせられるところですね。
普通、われわれ愛するというのは、その気になるからでしょう。人には自由意志というものがあります。好き嫌いもあるでしょう。生理的嫌悪、という言葉もあります。愛ですから、それに従ってするのが自然で、当然で、正しいことだと思いますよね。

だが、聖書ではそうではないようです。弟子たちが互いに愛するのは、命令に従うことによるのです。イエスの命令となれば、これは、もう、守るべきものなのです。


                    

<教会の出発点からのもの>

 ヨハネは、このことをしっかりと聞き届けているんですね。そしてこれがイエス教団のキーワードだと悟っている。だから、後に長老として、一般信徒に語りかける手紙でも「愛は命令です」と書いています。

 「・・・互いに愛し合いましょう。私はこれを新しい命令として書いているのではありません。これは(教団の)出発点から与えられている命令なのです」(ヨハネの第二の手紙、5節)


 こういうところにも、ヨハネが別格の弟子だったことを鹿嶋は感じ取ります。ヨハネに入れ込みすぎとお思いになるでしょうが、ヨハネは、イエスの教えるところを、ホントに深く、正確に理解していたのです。

 「命令」ときちんと捕らえているところにも、それが現れている。ではイエスの「命令」とはどんな意味を持つのでしょうか? それが「教え」だった場合などとはどう相違してくるのでしょうか? 次回に、それうしたことを考えましょう。


                    
    


コメント
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