16節からイエスは聖霊についての教えを言い残します。
それをヨハネは記録しているのですが、その第一弾が本日の聖句です。
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「私は父に求めます。そして父は別の助け手を諸君に与えてくれます。
その方は、諸君と永遠に共に居ます」(14章16節)
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次の17節ですぐにわかりますが、この「助け手」とは聖霊です。
何を助けるか?これからイエスが地上にいなくなって、弟子たちは
イエスをのべ伝えなければならなくなる(宣教はイエスの命令ですから)。
その宣教活動を助けるのですが、今回はまず、聖霊なるものを理解してみましょう。
聖霊は英語で Spirit と頭文字が大文字になっています。
これをたんなる霊と訳したらいけません。
聖霊は、「創造主から出た、創造主と同質の霊」です。
創造主によって「造られた」被造霊でなく、そこから「出た」同質の霊、となれば、
聖書の論理ではイエスもそうです。
しかし、イエスは同時に、唯一の霊でもあります。
創主なる父の「ひとり子」というのですから、そういうことになります。
イエスは、創造主が造った「創主の王国」である天国を相続する権限を与えられています。
その意味でも「子」なわけです。
<一にして多、多にして一>
他方、聖霊は、無数に出て送られ存在します。
だから、後に、イエスを証言するあらゆる人をあらゆる場所で
同時に助けることが出来る、となります。
しかし、全て創主からの霊であり、同質です。
だから、一つといってもいいのです。
これを「一にして多、他にして一」と称することも出来ましょうか。
「一は一で単数あり、多は多で複数だろう。そうしてそれが同じになるのか」
という反論もでるでしょう。
そういわれれば、そうでもありますけれども、聖書の論理には、
形式論理をはみ出た論法もある、と理解しておいたらどうでしょうか。
「ダブルミーニングのままで受け入れる」わけです。
これは聖書解読のもう一つの技法です。
<類例無き思考力育成素材>
蛇足ですが、これは高級編の技法です。
そしてこれは人の知性を育成してくれます。
頭脳を柔軟で弾力的にし、その働く範囲を広げてくれるのです。
その意味で聖書は、学問・科学の文献を遙かに超えたユニークな勉強素材でもあります。
堺屋太一さんが「21世紀は知価時代(知性、知識が大きな価値を持つ時代)」だと、
繰り返し言っておられます。
こういう時代にこそ、先駆けて聖書解読をしたものが勝ちです。
学問・科学文献の解読も有益ですが、聖書ほどの思考の幅広さを身につけさせる力はないのです。
前回、
Vol.225『「愛するものは命令を守る」と付加したのは』(14章15節)
に付加した写真を、もう一度今回も載せました。
この教会は、米国アラバマ州バーミングハム市の都心にある教会です。
メンバーの人々は「ここはブルーカラー(肉体労働仕事)の人々が中心の教会だよ」
と明るく公言していましたが、写真のスモールグループリーダーの人は、みなブルーカラーです。
(だからといって、「ああやはりアメリカは階層社会だ」と思うのは一面的です。
同じ職業状態の人で教会をやる方がコミュニケーション効率がいいことが最大の理由で
そうなっているのです)
でも、この顔付を見てください。日本のブルーカラーの人々と大きく違うでしょう。
知的でしっかりしているでしょう。自尊の精神に満ちているでしょう。
(福沢諭吉翁はこれをみて、文明の民には「自尊」が大事、一国の独立はこの精神からなる、と確信したのですね)
人生に対して投げやりなところが無く、みな人生思想、世界思想を深く持ち、
意志も強いです。
礼拝後の交わりにおいて、彼らは、人生も世界政治も国内政治も深く確信持って語ります。
鹿嶋は、見聞上、知的職業人や資産家が中心の教会にも出入りしましたが、
これらの教会人と少しも違いません。
これがスモールグループで聖句を吟味する方式の力です。
そしてこれが米国民主制度を実効あるものにしているのですね。
それをヨハネは記録しているのですが、その第一弾が本日の聖句です。
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「私は父に求めます。そして父は別の助け手を諸君に与えてくれます。
その方は、諸君と永遠に共に居ます」(14章16節)
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次の17節ですぐにわかりますが、この「助け手」とは聖霊です。
何を助けるか?これからイエスが地上にいなくなって、弟子たちは
イエスをのべ伝えなければならなくなる(宣教はイエスの命令ですから)。
その宣教活動を助けるのですが、今回はまず、聖霊なるものを理解してみましょう。
聖霊は英語で Spirit と頭文字が大文字になっています。
これをたんなる霊と訳したらいけません。
聖霊は、「創造主から出た、創造主と同質の霊」です。
創造主によって「造られた」被造霊でなく、そこから「出た」同質の霊、となれば、
聖書の論理ではイエスもそうです。
しかし、イエスは同時に、唯一の霊でもあります。
創主なる父の「ひとり子」というのですから、そういうことになります。
イエスは、創造主が造った「創主の王国」である天国を相続する権限を与えられています。
その意味でも「子」なわけです。
<一にして多、多にして一>
他方、聖霊は、無数に出て送られ存在します。
だから、後に、イエスを証言するあらゆる人をあらゆる場所で
同時に助けることが出来る、となります。
しかし、全て創主からの霊であり、同質です。
だから、一つといってもいいのです。
これを「一にして多、他にして一」と称することも出来ましょうか。
「一は一で単数あり、多は多で複数だろう。そうしてそれが同じになるのか」
という反論もでるでしょう。
そういわれれば、そうでもありますけれども、聖書の論理には、
形式論理をはみ出た論法もある、と理解しておいたらどうでしょうか。
「ダブルミーニングのままで受け入れる」わけです。
これは聖書解読のもう一つの技法です。
<類例無き思考力育成素材>
蛇足ですが、これは高級編の技法です。
そしてこれは人の知性を育成してくれます。
頭脳を柔軟で弾力的にし、その働く範囲を広げてくれるのです。
その意味で聖書は、学問・科学の文献を遙かに超えたユニークな勉強素材でもあります。
堺屋太一さんが「21世紀は知価時代(知性、知識が大きな価値を持つ時代)」だと、
繰り返し言っておられます。
こういう時代にこそ、先駆けて聖書解読をしたものが勝ちです。
学問・科学文献の解読も有益ですが、聖書ほどの思考の幅広さを身につけさせる力はないのです。
前回、
Vol.225『「愛するものは命令を守る」と付加したのは』(14章15節)
に付加した写真を、もう一度今回も載せました。
この教会は、米国アラバマ州バーミングハム市の都心にある教会です。
メンバーの人々は「ここはブルーカラー(肉体労働仕事)の人々が中心の教会だよ」
と明るく公言していましたが、写真のスモールグループリーダーの人は、みなブルーカラーです。
(だからといって、「ああやはりアメリカは階層社会だ」と思うのは一面的です。
同じ職業状態の人で教会をやる方がコミュニケーション効率がいいことが最大の理由で
そうなっているのです)
でも、この顔付を見てください。日本のブルーカラーの人々と大きく違うでしょう。
知的でしっかりしているでしょう。自尊の精神に満ちているでしょう。
(福沢諭吉翁はこれをみて、文明の民には「自尊」が大事、一国の独立はこの精神からなる、と確信したのですね)
人生に対して投げやりなところが無く、みな人生思想、世界思想を深く持ち、
意志も強いです。
礼拝後の交わりにおいて、彼らは、人生も世界政治も国内政治も深く確信持って語ります。
鹿嶋は、見聞上、知的職業人や資産家が中心の教会にも出入りしましたが、
これらの教会人と少しも違いません。
これがスモールグループで聖句を吟味する方式の力です。
そしてこれが米国民主制度を実効あるものにしているのですね。