
先回、イエス信仰者がローマの競技場でライオンに食い殺される時、顔に悦びが溢れていた、
それは恐怖を「創造主の完全な悦び」が優越したからだ、と申しました。
同種の状況を描いた聖画に、「聖セバスチァンの殉教」(ソードマ作)があります(写真参照)。
三世紀末のローマ帝国で、時のローマ皇帝ディオクレティアヌスの若き親衛隊長だった
セバスティアンがイエス信仰者として殉教する様を描いた絵です。
密かにクリスチャンを助けていた親衛隊長を皇帝は激怒しました。
帝は、親衛隊長を取り囲んで矢で射殺すように命じます。
聖画は裸の身体に矢を打ち込まれたセバスティアンに、
恐怖を凌駕した喜びの表情が現れているのを描いています。

さて戦前の日本に、この絵に異例な衝撃を受けた感受性豊かな少年がいました。
平岡公威少年、後の作家・三島由紀夫です。
彼はその絵から「崇高な価値を感じられる存在」をもつ国家社会を西欧に感知しました。
そして国民がこういう精神的存在を持たないと、
社会・国家は軸のない状態になって崩壊すると考えました。
戦後日本の進路に、それによる崩壊の危険を強く予感しました。

彼は日本を深く愛していて、その将来を憂えました。
そこで人気作家としての知名度と、得意の文章力を総動員して、
この「崇高な価値を感じられる存在」を日本民族に創ってあげようとしました。
彼の情熱はエスカレートしました。
革命を起こして憲法を改正し、こういう存在を国家に置くことを合法的にしようとしました。
西欧の「崇高な価値を感じられる存在」はイエスでした。
聖セバスティアンの聖画は、それが「自らの肉体的生命以上に価値ある存在」
になっていることを示していました。
三島はそれを一つのフォルム(型)として認識しました。
フォルムなら、他国にも移植することが出来ます。
日本のイエスを造ればいいことになる。
彼はこのフォルムの日本での内容は天皇以外にないと断じました。

このフォルムを日本に実現するために、彼は日本を天皇親政の国家にしようとしました。
そこではみな天皇を「自己の肉体的生命以上の存在」と意識して生きるのです。
そのための革命に展開することを念じてとった彼の行動と、それによる一連の事態がいわゆる三島事件です。
1970年(昭和45年)11月25日のことでした。
彼は私財を投じて創設した小軍隊「盾の会」のリーダーを率いて、
市ヶ谷にあった陸上自衛隊駐屯地の総監室に突入しました。
総監に陸軍決起の命令を発するよう説得したがなりませんでした。
そこで総監室のバルコニーの下に集まった自衛隊員たちに革命の必要を演説し、
割腹自殺して果てました。
(2階のバルコニーから自衛隊員に演説する最後の三島由紀夫。
クリックすると写真が見られます)
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/38/2fc27f6095da57d123acfed366f68598.jpg
総監室の床には、彼及び彼と死を共にした若き隊員の頭が胴体と離れた位置に転がっていました。
彼らは武士道の作法に則った割腹をしていたのです。
腹を切ると同時に、介添人が首をはねるというのがその作法でした。

有名作家の割腹自殺は、日本中に衝撃を与えました。
だが、この画期的事件は死後時がたつにつれて忘れ去られてきています。
もう若い人は、知らないんではないかなぁ・・・。
