鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.268『人々は「正義のため」と信じて諸君を殺しに来るからね』(16章2~3節)

2009年10月14日 | ヨハネ伝解読
この時点の弟子たちには、とても理解できないようなイエスの仮説的な話は続きます。
 今回は、ドキッとするようなことを含んでいます。

BGMは相変わらずmariさんのこれを感謝して使わせていただきます。
( 今流れている賛美曲、春平太の好きな一つです)
http://aiai.hukinotou.com/

(クリックして最小化し、もう一つエクスプローラ画面を開いて
春平太チャーチを開くとBGMのある状態で読むことが出来ます)


                    
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=聖句=
 「人々は諸君を会堂から追い出すよ。
実際、諸君を殺すものたちがみな、そうすることによって、
自分が創主のための働きをしている、と思う時が来る。
彼らがそうするのは、父をも私をも知らないからなんだよ」(2~3節)
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 会堂とはユダヤ教の礼拝や説教をする教会のことで、シナゴーグと言います。
ユダヤ人は一定数が集まって居住すると、かならずシナゴーグを造りました。
もちろんイスラエルには至る所にありましたが、ローマ帝国においても、
ユダヤ人居留区があるところには、シナゴーグも又存在した。

ペテロやパウロが帝国内でイエスの教えを伝える時には、まずそこに行ってユダヤ人たちに語ることが出来ました。
イエスの教えは旧約聖書の新しい解釈ですから
~イエスがそれを教える時には権威に充ちていた~
シナゴーグでみんなが読んでいる聖書についてかたることが、
すなわちイエスの教えを伝えることになっていました。
会堂、シナゴーグはこのようにしてイエス信頼の教えが伝えられるのに、便宜を提供していました。

                    

<天と世との絶対的対立>

 イエスは、弟子たちがそこに行って伝道することを前提として話しています。
そして「弟子たちがそれを語ると会堂にいるユダヤ人たちは、諸君を追い出すよ」と預言しているのです。

 「それだけではない。ユダヤ人たちは諸君を殺そうとするし、あるものは殺されるだろう」
と驚くようなことを言います。

 イエスのこの言葉の背景には、次の認識があります。「天と世との絶対的対立」という構図がそれです。
天の創主王国の論理と、創主に対抗するデビル(悪魔)の支配下にあるこの世の論理とは、
絶対的な対立関係にある、という構図。

 イエスの教えは、この天の論理であり、シナゴーグのユダヤ人たちの聖書解釈は、この世の論理から出る解釈である。
だから、これは絶対的に対立することになるのです。

<「世」のイメージしかないと>

でも、もしユダヤ人たちが天の王国の論理は認知していれば、そうはならないでしょう。
けれども、アダムとイブが創主から意識をそらした時から、人間は天の論理を認知できないようにされてしまっている。
その結果、この世の論理だけがすべてだと思っているので、
それだけを当否の基準にしてものを考えざるを得なくなっている。


                    

 考えてみると、人間の認識能力はそういう構造になっています。
たとえばこの世で人間には女だけしかいなくて、子供は自分たちだけで自己生産できるとしますと、
彼女たちには女だという認識すらうまれません。
他の動物たちと区別して「我々は人間だ」という認識は出来上がりますが、それ以上はにならない。 
女という認識は、我々が今男と言っているような存在があって、初めて生まれるものなのです。

 人間社会には、同じようなことが繰り返し起きています。
昭和7年頃から20年までの軍国日本はそうでした。
軍部政権は、報道統制をして軍国主義に沿う情報しか国民に与えない。
米英は鬼畜で大東亜共栄圏のみが理想の幸福社会であり、日本はその頂点に立って
いずれ米英を含めた世界を全て統治するのが正義だという情報をだけを与えるという「情報たこつぼ状態」。
大敗した戦局も、わが帝国大勝利と報道した。
そういう世界では、もう他の論理は意識に昇らなくなりそれが真実となるのです。

 中世のヨーロッパでは、日本と同様な状況が形成されていました。
全欧州がカトリック教主義だけの情報しか与えられない「情報たこつぼ」状態が確立していた。
カトリックディズニーランド。
するとそれによってしか人々は正義が考えられなくなり、おびただしい数の聖句主義者を殺しました。

 筆者はこの度の欧州調査旅行でツールーズという地域も通りましたが、
そこはカタリ派と呼ばれた聖句主義活動の指導者が200人以上、順番に火あぶりで殺されていった地でもあります。
来る日も来る日も広場から人間生きたまま焼かれる臭いが流れてくるという状況を、
箒木蓬生(はばきぎほうせい)さんは『聖灰の暗号』(上)(下)、新潮社、で描いています。
このなかで作者は殺す側の人物に「正義のため」と語らせています。


                    

 話を戻します。この「世の論理」だけしか意識に出現しなかったら、それがすべてになります。
すると正義もこの世の論理だけからしか考え出されず、人々はその正義が正義のすべてだと思うしかない。

 これに対して弟子たちは、天の王国の論理をベースにしたイエスの教えを宣教します。
これはもうユダヤ人たちには、間違ったことだとしか思えない。

 「だから彼らは、自分たちは創主のために悪を滅ぼすのだ、
正義のためにそれをするんだ、と諸君を殺しにくるよ」とイエスは言うのです。

 そして、その理由は言葉で言えば簡単なことで、
「彼らは創造主なる父を知るための惟一の道である私を知らない、
だから父なる創主も認識でず、したがって天の論理も認知できてないからだよ」
とイエスはいっています。


                    


コメント (4)
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