前々回と前回で、
「名という記号は認識対象にスポットライトを当ててその輪郭を明確にする」ことと「名は対象のシンボル、
すなわち、認知代行物にもなる」ことがわかりました。
<統治領域も示す>
今回はその次に行きます。「統治領域を持つ実在の名は、その領域をも示唆しうる」というのがそれです。
理屈っぽくいうとそうなりますが、例を挙げるとわかりやすいでしょう。
太平洋戦争当時、硫黄島は日本の統治領域でした。そこには日の丸が掲げられていました。
その国旗はただかっこよさのために掲げられているのではなく、この島が日本の統治領域だということをも内外に向かって示していました。
統治領域は領有領域といってももぼいいでしょうが、英語ではドメインとかテリトリーとか言います。
ところが第二次大戦が終盤になると米国がそこに戦を仕掛けました。
そして戦いのなかで米国の優勢が明らかになると、幾人かの米国軍人が丘の頂上に星条旗を立てました。
まだ日本兵の残党が撃ってくるかもしれないのに、危険を冒してそれをした。
この島が米国のドメインになったことをいち早く示すためです。
このように、国旗はただ国家のしるしであるだけでなく、そのもとにある空間はその国の統治領域であることをも示しています。
そういう機能を持っているのです。
この旗に、日本とかアメリカとかいう国名が書かれているとイメージしたらいいでしょう。
日の丸や星とストライプの図柄は国名を迅速に認知するための代行認知物の役割をしています。
イエスの名は創造神の名でもあります。万物の創造神は万物の統治者です。
ですからイエスの名はやはりその名のもとにある統治領域をも意味しえます。
<天国には創造神の名が置かれている>
聖書にはその思想が出ています。
「第一列王記」を開いてみましょう。8章29節。
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「そして、この宮、すなわちあなたが『わたしの名をそこに置く』とおおせられたこのところに、
夜も昼も御眼を開いて下さって、あなたのしもべたこの所に向かってささげる祈りを聞いて下さい」
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この聖句はソロモン王が神殿を建設する際に、創造神に祈った言葉です。
ここでの「あなた」は創造神であり、その方がソロモンに「わたしの名をソロモンが造って捧げたこの神殿に置く」といっています。
かっこいいからそうするの? それだけでないでしょう。この神殿が自分のドメインであることを明示するためです。
旧約聖書の幕屋や神殿は、天国(天の創主王国)の模型(ひな形)です。
聖書はそういう論理になっています。だからこの聖句は、天国にも創造神の名が置かれていることを示唆しています。
そして、天国は王である創造神の統治があまねく貫徹した領域であることを、この名は示しています。
<「世」におけるイエスの名>
さて、17章11節の聖句に戻りましょう。
ここでイエスは弟子たちに自らが運んだ父なる創造神のことば(天の言葉)を宣教させようとしています。
舞台はこの「世」です。
「世」(宇宙)は創造神が一時的ながらサタンに統治権を与えた空間です。
サタンの名が書かれた旗がはためいているとイメージしてもいいでしょう。
弟子たちの宣教はそのなかでなされるものです。
教えを心に留める人の集まりは、創造神のドメインとなります。
それは悪魔のドメインのなかに天の王国の論理が貫徹する空間を作っていく活動にほかなりません。
敵国のなかに、自国の陣地を造っていくようなものだ。
出発点では、まず弟子たちの心にイエスの言葉が留まっています。
その一点だけが創造神のドメインだ。四面は敵の領地です。
<名によって弟子を一つに>
聖句におけるイエスの祈りは、この小さなドメインに創造主の名を掲げて下さいと、願い求めています。
その名が掲げられれば、この空間は創造主の統治領域であることが「明確に」内外に対して宣言されます。
内に対してとは、弟子たちに対してです。
弟子たちは、自分たちが「世」とは対極の性格を持った領域にいることを明確に自覚できるようになります。
するとこのドメインでの基本理念が、これまた明確になる。
それによって彼らはそれを共有することをまた明確に自覚できるようになる。
基本理念の自覚的な共有は人間集団が一体化する鍵です。
このようにして、イエスの名は弟子たちを「一つに保つ力」を持つのです。
外に対してはどうか。イエスの名は、万物を統治する創造神の名です。創造神は全能で全てに勝る王です。
この名が掲げられたドメインには、敵は戦いを挑むことは出来ません。
悪魔の攻撃手段の一つは、相手を分裂させることです。
サタンの原語は、ギリシャ語でディアブロス。「わけへだつもの」という意味です。
悪魔はなんとかして弟子たちを分裂させよう、一つにさせないようにしよう、とする。
だがイエスの名が掲げられた領域には、その力は及ばないのです。
対外的にもイエスの名は、弟子たちの一体性を守ります。
だからイエスはその名を弟子たちの上に掲げて下さいと、祈り求めているわけです。
今回は、ここまでにしましょう。