創造神の名を吟味することによって得られた副産物は他にもありました。
今回は、祈りの終わりに発する言葉について追記します。
<「インザネーム」の意味>
クリスチャンがお祈りをするとき最後に発する言葉があります。
英語で書くと(in the neme of Jesus)です。
これを日本では通常「イエスの名によって」とか「イエスの名を通して」とかいっています。
だけど、「インザネームオブジーザス」という英語はそういうふうに訳すのには基本的に無理があります。
「イン(in)」というのは本来、一定の広がりのある空間(質量といってもいい)をイメージして、
「その中において」という意味の語です。
(新約聖書の原語であるギリシャ語の聖書では、「エン」となっていますが、これは英語の「イン」に対応する語です)
だから文字通りで行きますと、「イエスの名『において』」となる。
だけど「名」というのは質量も空間的広がりももちませんから「名において」では意味をなさない。
困ってしまって、当初は苦し紛れに「名によって」とか「名を通して」をとかを考案したのでしょう。
以後、これが慣習化しているだけです。
だから「名によって」にも「なお通して」にもいまいちはっきりしないところがありますよね。
それが苦し紛れのごまかしの痕跡になっています。
本来の意味である「(一定の空間)のなかで」を活かした訳語はできないでしょうか。
<「名」が示すドメインのなかで>
この問題の解決にこれまで考えてきたことが生きてきます。
「名」はそのもとにある領域をも現しうる、ということを我々は知りました。
これを援用すればいいのです。
イエスの名が三位一体の創造神のドメインを指していることを用います。
すると、適切な訳語は「イエスの名のもとで」であることがわかってきます。
この言葉は大きな役割を果たします。
祈っている自分が「三位一体の創造神『イエスの名』が示すドメインに属しています」ということを創造主に表明するのです。
創造主にとって祈っている当人が、自分のドメインに属しているかどうかは、大切なことだとかなりな確信を持って推定できます。
主はそれによって祈りに応えるどうかを判断するようにおもわれます。
創造神はもちろん「世」のドメインにいる人間の祈りには応じないでしょう。
また「そのどちらかをはっきりさせない祈り」にも応じないのではないかな。
その意味で、「イエスの名のもとで」と明示して祈ることは意味深いことなのです。
そういうことも17章11節を吟味したことによって鹿嶋にはわかってきました。