鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

Vol.14<中国論(5)>「宿命の“なぞり”文化」

2012年09月03日 | 政治見識のための政治学





 巨大国際都市長安と日本からの留学生、
~この二つは、以後の日本における学問知識の性格を決定づけました。





<なぞり体質が決定する>

長安と留学生の祖国日本との知識文化の格差は想像を絶するものでした。
 
長安には漢字という高度に成熟した文字があり、それで記録された経文や書籍がありました。
律令制、均田制などを可能にする法文がありました。

~留学生たちは、唯々感嘆したでしょう。

知識格差が巨大な場合、遅れた側の行為はそれをコピー輸入することだけになります。
それだけで十分母国に大きな益となるのです。


+++

輸入した留学生は、母国では学者になります。
この状況のもとで最も評価されるのは、外国の知識を手際よく紹介する学者です。

そのことは日本の学問知識の性格を決定づけました。

そもそも学問知識というものは、作成者のうちで次のような三段階を経て形成されます。

① まず認識対象に関する漠然とした雰囲気としての情念が意識に浮上する。

② それを様々な言葉に納めて、断片知識群を形成する。

③ その断片群を論理的につなげて(整理して)理論知識(学説)にする。


 ~これが知識の全体像です。「論語」の理論も孔子様のうちでそうした過程をたどってできあがりました。
理論に限らず、漢字の文字だってそうした心理プロセルを経て作られてきています。

知識の「全体的な」修得は、この三つを一体として体得することによって実現します。

けれども、留学生たちにはそんな余裕はありませんでした。
③の部分だけをぞって習得することしか出来なかった。そしてそれでよかったのです。
それを手際よく母国に紹介すれば、母国では最高の学者として遇されました。

このことが日本の学問世界に運命的な習性を確定します。
「外国の進んだ知識の要点をいち早く紹介する人が最高の学者」という思考習性がそれです。





<哲学なき理論知識>


 このことは「ものごとのプリンシプル(基底原理)を把握する」という能力を
日本人が形成するのに巨大な妨げになりました。

 プリンシプルとは具体的にどう説明したらいいでしょうか。
通常言う「哲学」のようなものといったらいいかな。
他の“知識たち”の基底原理と相互関係をもつ「共通則」のようなものといったらいいか。

  
 ともあれそれは、知識作成者の心に浮かぶ①当初の「雰囲気」の中にあるものです。
それを把握するには、学習者は知識作成者のうちに芽生えた雰囲気を追体験せねばなりません。
そうやって底流にある「哲学」を感知せねばならなりません。

だが、留学生にはそうした精神作業をする余裕はなかった。
その結果、日本人は③の理論部分だけを先進国の知識のすべてと考えて
吸収することになったのです。




<明治維新の奇跡も生んだ>

だが、歴史は奇なるものです。
この知識習得習性がプラスに働くこともありました。
明治維新後の日本ではこの習性能力が効果を発揮したのです。

明治初期の日本人留学生は、西欧知識の①の部分だけを素速く抽出して、日本に紹介しました。
明治20年の東京には、西欧科学技術の成果がワンセットできあがっていました。

我々は当たり前のように受け取っていますが、これはほとんど奇跡的です。
こんな能力は中国も朝鮮も持ち合わせていませんでした。

知識の上澄み(①の部分)だけを素速く要領よく抜き取るという資質がこれをなさしめました。
これは、鍛えられずして出来上がるものではありません。
日本ではそれは長安留学生以来延々と反復育成された能力だったのでした。

以後も日本人は、英国などから購入した軍艦や大砲を操作する知識を素速く身につけました。
そして日清、日露戦争に勝利した。第一次大戦にも勝ち組の側に参戦して、利益を得ました。




<長期にはマイナスにもなった>

しかし、この資質はマイナスも生みました。

さらに日本人は、輸入した軍艦に込められた知識を抜き出して、
武蔵、大和といった自前の軍艦を素速く作りました。

けれども技術の根っこにある哲学を吸収してないので、大局観が芽生えなかった。
戦争の主力が飛行機になっても、それに技術を適応させていく視野は生まれませんでした。

共通則までさかのぼって知識を吟味していくと、
創案者のうちにある精神も吸収することが出来るます。
それが大局観をもたらしてくれるのですが、上澄みの知識だけではそれは得られませんでした。

日本は飛行機の知識も輸入して無敵の「零戦(ゼロセン:零式艦上戦闘機)」も作りました。
これは米国の戦闘機に圧勝しました。

だが米国はそれに応じて、新たに対抗できる機種を開発しました。
ゼロ戦は勝てなくなりましたが、日本ではそれに対応する新機種は開発できませんでした。
「プリンシプルへの鈍感さ」がそういう限界を形成するのです。





<歴史的偶然の所業>

どうしてそんな資質を日本人の知識層は持つようになったか。
DNAに責任はありません。

これはひとえに歴史的偶然によるのです。
隣接する地にたまたま知識文化に飛び抜けた国があった。

それがあれば、自分で一から知識を作るより、そこから知識を輸入した方がはるかに国造りに効率がいい。

知識後進国は、自然に隣国の知識を素速く輸入しようとしていきます。
これはどうしょうもなくそうなっていきます。

では、そういう先進国が往来可能な地になかったら?
そうすれば日本人も、オリジナリティ能力の強い民族になったことでしょう。

今の日本の知的資質・習性は、たまたま歴史的偶然がつくったものです。
DNAのせいではない。

日本民族は状況次第ではオリジナリティ重視の姿勢濃厚な民族にもなり得た。
そういう潜在能力をも持った優れた民族ですので、夢を持って下さい。





コメント (2)
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