1945年に日本は太平洋戦争に敗戦しました。
中国大陸ではその後も日本軍人の残党や技術者はいて様々な活動はしました。
戦後中国のために映画を初めとする技術で役立った人もいました。
だが中国の支配権をもくろむ大軍隊は消滅しました。
蒋介石の国民党軍と、毛沢東率いる共産党軍には共通の敵はなくなりました。
両者は再び中国の統治権を求めて戦いを始めました。
国共内戦の再開です。
勝敗は4年後に決しました。
1949年、蒋介石は戦に敗れて台湾に逃れました。
そして台北を臨時首都としてそこを中華民国の本拠地としました。
蒋介石は中華民国は健在で首都を台北に遷都したにすぎないという立場で、
中国全土の統治権を主張しました。
米国はこれを支持しました。
他方、中国大陸の支配権を確保した毛沢東は、共産党政権による
中華人民共和国の建国を宣言しました。
そして逆に台湾も含めた全土の主権を主張しました。
ソビエト連邦はこれを支持しました。
その後、ソ連は崩壊しましたが、以来、基本的にはその状況で今日まで来ています
<軍事力、逆転する>
内戦の前半二年間は、蒋介石の国民党軍が圧倒的に優勢でした。
だが、二年を過ぎたあたりから、毛沢東の共産党軍の方が優勢に転じました。
その根底原因は必ずしも明示されてきたいませんが、それを知ることは、
今日の中国を理解する上での鍵知識になると鹿嶋は感じています。
そしてその知識のキーになるのは「国民国家」の概念だと鹿嶋は考えています。
<国民国家>
国民国家(nation-state)とは、
「国民が最大の価値を認める社会集団が国である状態の国家」です。
人間個々人は様々な社会集団をつくり、所属します。
国もその一つにすぎません。
江戸時代の日本における藩も、また戦国時代の大名国家のような地方政体もまた社会集団です。
家族、血族、氏族もまた社会集団です。
諸集団に属しながらも国民が、国に最大の優先順位を認めているのが国民国家です。
国家の強い軍事力を作るには、こういう国家が出来ていることが大前提です。
武器の優秀さも大切ですが、とにかく国民国家の意識がが確立していないことには
どうにもならなりません。
人民も兵士も国旗の下に一つにまとまる(一体化する)ことをしないからです。
<日本の廃藩置県は大英断だった>
明治維新の元勲たちが、維新がなると速やかに版籍奉還と廃藩置県を強行したのも
その洞察の故でした。
明治維新がなった時点で、日本人民が最大の優先順位におくのは自分の属する藩でした。
藩の重要度は家族、血族を遙かに超えていました。
とりわけ武士階級にはそれが顕著でした。
藩命は絶対で、血族の絆を断とうとも、家族を不幸にしようともそれは従うべきものでした。
その状態は藤沢周平が小説の中で繰り返し克明に描いてみせてくれています。
武士以外の人民にとっても、自藩は最大の所属集団でした。
だが当時西欧列強はすでに国民国家を実現していました。
藩優先意識を持った軍隊のままでは、日本はこれに太刀打ちできません。
それを洞察した新政府指導者は廃藩置県を強行しました。
これには藩主(大名)も驚いた。
武力でもってこの政策を阻止しようとした大名もいたようです。
だが、これは日本が列強の植民地にされないために不可欠なことでした。
西郷隆盛などは、従わない藩は薩長の大軍を持って踏みつぶす覚悟であったといいます。
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版籍奉還には皇室、天皇の権威も役立ちました。こうして日本は速やかに国民国家を実現しました。
それなくして日清、日露両戦争における勝利はありえませんでした。
日本はその後も、「♫見事散りましょ、国のため・・・♫」といった軍歌が
自然に受け入れられる国家であり続けました。
その国民意識が、強大な軍国国家日本を形成しました。
最後は敗れたとはいえ、極東の小さな島国が太平洋から東南アジア、中国全土という
広域にわたって戦争を続けられたのは、国民国家だったがゆえでした。
<孫文の洞察>
日本での生活を通して孫文もそれを洞察していました。
彼の新国家建設のビジョンにも、中国を国民国家にすることは
大前提になっていました。
その仕事を、清王朝打倒の革命を仕掛けることから始めたのです。
遠大な理念でした。
彼の三民主義の最初の項目「民族主義」も、彼のビジョンを知ると
わかりやすくなります。
彼の民族主義とは「民族共和主義」でした。
そして、それは多民族国家中国における全民族が、
平等原則の下に共和制政府を樹立するという思想でした。
彼の時代の中国には非常に困難な課題でした。
だが、孫文にとっては絶対の実現目標でした。
彼は国民国家にせねば諸外国は中国を尊重しないことを透視していました。
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前回登場した陳炯明(ちんとうめい)は、孫文の思想を
そこまで認知することはできませんでした。
国民国家を目標にしないならば、陳の言うように地域連合型の国家にする方が
遙かに建設が容易で現実的です。
陳炯明が同じ国民党にありながら、これを主唱して孫文に何かにつけ
反対したのもまた自然なことでした。