
角栄さんに続いて、小沢一郎さんについての論考も試みましょう。
前回に続いて、
「小沢さんが座敷牢に入るにつけては、米国と日本の同調者が黒幕だったという仮説」
に立っての分析です。

<司法試験勉強中に急遽政界へ>
小沢さんは、角さんと違って、二世政治家です。
父・小沢佐重喜は岩手県人ですが、一郎が生まれた当時弁護士にして東京府会議員でした。
1946年、戦後初の総選挙で岩手県にて自由党から出馬し衆議院議員となり、
1948年に第二次吉田内閣で運輸大臣、以後、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官
などを勤めた政治家でした。
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一郎さんは3歳の時、父の生まれ故郷の水沢に疎開し、そのまま、中学校2年までその地で暮らします。
以後、東京に移り父と同じ弁護士を目指して勉強を続けています。
慶応大学経済学部に入学しても、経済学よりは法律関係の授業を熱心に聴講し、
卒業後も日本大学大学院で弁護士試験の勉強をしていました。
彼が、経済学部出でありながら、資本主義、共産主義という経済体制の実体にうとく、
角さん同様に中国との親交に注力していったのは、一つにはそのせいかもしれません。
もう一つは、角さんでした。
1968年、父が急逝したのを機に、彼は政治に転向し、翌1969年岩手から自民党公認で
衆議院選挙に立候補し当選します。このとき彼は27歳の若さでした。
そして、この総選挙で党幹事長として彼を指導・援助したのが角さんでした。
父・佐重喜は以前より一郎が政治家となることを望み、高く評価していた角さんに
その指導を頼んでいたようです。
この選挙以後、彼は角さんをオヤジと呼び、角さん門下で一筋に政治を学びました。

<角さんの分身に>
角さんは、選挙技術と政治資金調達の名人でした。天才でした。
おまけに苦労人で暖かく、物心両面で面倒見のいい大物でした。
その反面、たたき上げてきた政治家の常として、国際外交にはほとんど盲目でした。
小沢さんは、東北・岩手人の純朴さを精神基盤に持っている人のように見えます。
もちろん政治家としての権謀術数も身につけていきますが、角さん同様に
心の底には田舎者の純朴さを濃厚に持っている人と鹿嶋はみます。
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彼は角さんと違って、経済的には海外に遊学する余裕は十分ありました。
だが、政治に転向する直前まで司法試験の勉強に注力していて、すぐに、国会議員になった。
そのため、結果的に遊学はしませんでした。
遊学しないで角さんの懐で一筋に育ちました。
だから、角さんに同化し、その利点も欠点をもそのまま模倣吸収した分身のようになったわけです。

<民主党を率いて圧勝>
その小沢さんが、民主党を率いて、選挙で圧勝しました。
彼は、幹事長として角さんの中国親交の志を受け継いで行動しました。
そのやり方は、強烈でした。
自らを名誉団長として、民主党議員143名と一般参加者など483名からなる大訪中団を結成し、
2009年12月10日から4日間中国を訪問しました。
またこの訪中には民主党と中国共産党との定期協議も兼ねさせました。
小沢さんは、随行した143人の現役国会議員の一人ひとりに、
胡主席主席とのツーショット写真撮影をとらせました。
さらに帰国後の12月15日には、次期最高権力者が確実視されていた習 近平に
日本の天皇を会見させています。
驚くべき中国志向です。
これはある意味では、東北風、田舎風と言えるかも知れませんが、
同時に事実上の中国との親交宣言でもあり、かつ恩師角栄さんの弔い合戦にもみえました。
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このように親交を深めていけば、外務機密もまた漏出します。
政権者の彼には、様々な機密情報も入ります。
これは米国には一大事でした。
そこでまた政治資金に関する事件(陸山会事件)でもって、
民主党幹事長の地位から1年で引き下ろしました。
のみならず、マスメディアに一斉に悪人イメージ情報を散布させ続けました。
ついでに鳩山首相も、母親からの政治資金問題を暴露して、辞任させてしまいました。
ともあれこうして小沢さんを座敷牢に閉じ込めてしまいました。
前述の仮説に立つと、こういう認識が自然に出てきます。

<地方人の純朴さ>
角さんも、小沢さんも、地方人に特有の純朴さを持っています。
むろん、政治権力の中枢を占めた人ですから、政治的な権謀術数も
身につけていますが、同時に、心の底に純朴さがあるのです。
小沢さんは、日本に政権交代可能な状況を作るという夢を持って、
自民党内で手にしていた権力をうち捨てて、党を出ました。
そして、細川政権を誕生させました。
これは,自民党が社会党を引き込むというウルトラC戦略を打ったことによって、
短命で終わりましたが、夢は抱き続けました。
そして2009年についに、民主党単独の圧倒的多数による政権を実現しました。
少なくとも形の上では、小沢さんの二大政党の夢はなりました。
だが、その政権は、中国との親交を深めることによって、
対米依存度の低下をはかるという動きに繋がっていました。
小沢さんには、それは正しいことでした。
でも、果たしてそうでしょうか?
その成否は、より広大な歴史観の中で定めねばなりません。
次回にそれを考えましょう。
