鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す33 ~自由吟味活動を覆うキリスト教の通念~

2015年09月06日 | 米国への無知を正す






「アメリカへの無知を正す」と言っておきながら、聖書の話を細々としてきた。

何故だ? とおもう人も多いだろう。

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思考の流れはこうだ。

米国の卓越した政治見識は、つまるところ、聖句自由吟味活動によって造られている。

その実状を知るには、吟味する書物の類例のない特性を知る必要がある。
内容の、深さ、広大さ、多様さの極致とも言うべき性格を知らねばならない。

でないと、それを吟味する活動が、人間の知力を異例に強化することが感触できない。
そこで結局、筆者がなにを言っているかわからなくなる。

だから、聖書という書物の特性を述べてきたのだ。





これを理解した上で、小グループでの吟味活動をある程度実地体験してみる。
すると、感触できるようになる。

だが、このブログの場でそれを試みるのは無理だ。

幸いなことに、これを通信教育でもって行いたいと申し出てくださっている教育機関がある。
実現するといいと思っている。

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しかし、今はともあれ、前に進もう。

多くの読者は、ここで説明された聖句吟味活動など、みたことないよ、というだろう。
そんなキリスト教知らないよというだろう。

代わりに、キリスト教活動には、こんなイメージを抱いているだろう。

~大きな教会堂があって、ステンドグラスの窓から神秘的な光が差し込んできて、カンタータ(賛美歌)が流れ、神父さんや牧師さんが華麗な衣装で登場し、礼拝行事をする。

キリスト教とは、そういう儀式をする活動だと思っているだろう。

いま、我々一般人の目に入るのは、それだ。

これと繋がらないじゃないか。
一体、この辺りはどうなっているのか、~となる。




<カトリック方式>

結論から言うと、あれはカトリックという教団の活動方式である。
それは初代教会の100年以上後にできた、初代教会の変異バージョンである。
現在プロテスタントと言われている教会も、カトリック方式の亜流である。

我々はそれをみているので、キリスト教活動とはああいうものだと思ってしまっている。

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カトリックとは、どういう教団か。
いまその成立過程を示そう。

こういう事象の文献資料はない。
あるかもしれないが、我々が見られる形では、存在しない。

だが、経営学を研究し、実際に数多くの企業に接触してきた筆者には、その経緯が映像を見るかのごとくにわかる。

前に述べたことの繰り返しも多くなるが、要約して再記しておこう。






<教会参加者の変質>

初代教会は成長を続けた。
教会開始後30年で、聖句吟味のスモールグループはローマ帝国全土に散在するようになった。

新らしい宗教運動が急成長すると当初、近隣者は恐怖を感じる。
怒りを抱いて信徒の集会を襲撃することも起きる。

だが、キリスト教会が普及して、100年も経つと、世間の教会へのイメージは変化した。
それにつれ、迫害も和らいでいった。

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初代教会では発足以来、参加者は生活面でも助けあっていた。
参加すればそういう利得が受けられる。
そして加わっても、もうそんなに迫害されなくなった。

さすれば、生活の世話や癒やしを受けられること主たる目的にして教会に参加してくる人が急増する。

すると教会員の質は変化していく。

このころ、イエスの直接の弟子たちは、もう死んでいなかった。





<担当指導者が聖書の要約を教える>

キリスト教会は「来る者拒まず、去る者追わず」の人間集団だ。
新参加者は増える一方だった。

こういう人々は旧約聖書への探究心はあまりもたない。
裕福だがビジネスが忙しく、教会活動に多くの時間を割くことが出来ない人もいた。

こういう人々には、聖句自由吟味活動はほど遠い。
だが、担当指導者としては、一定の聖書の教えは知ってもらわねばならない。
結局、指導者たちは教えを簡素に要約して、「これがキリスト教の教えだよ」と示すしかなかった。




<霊的感動を補填する>
 
こういう風な要約からは、聖句自由吟味活動で得られるような醍醐味は得られない。
聖句自由吟味を活動の中核に置く教会では、スモールグループで語り合って奥義を発見できる。
そのとき「真理を見出した!」という確信と、震えるような霊的感動がある。

だが、聖書の要約からはそれはえられない。

この霊感の充足不全を、担当指導者は様々なサービスでもって補填せねばならなかった。

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日曜日に厳粛な礼拝儀式を開催して敬虔な気分にしてあげる。

献金でもって荘厳な礼拝堂(聖堂)の建設して、気分を盛り上げる。

音楽は霊感を開く効果を持つので賛美歌の合唱も取り入れる。

礼拝には僧侶は壮麗な式服で、おごそかに登場してあげる。

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担当指導者たちは週日にも、儀式サービスを提供した。

近親者が死んだら葬送の儀式をしてあげた。

信徒が結婚する時には結婚式をしてあげる。

子供が生まれたら祝福の儀式をサービスする。

神秘感ある儀式サービスの中にいると、信徒はあらたまった霊的な気分になる。

それはなかなかいいものだった。

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もちろんそれは聖句の奥義を見出したときの感動には及ばない。

だがそんなもの知らなければ、これがキリスト教の神髄と、人は思えるのだ。

要するに、新教会を担当する指導者は、聖句吟味活動者が得ていた感動を、様々な演出でもって再現しようとしたのだ。




<大量処理が可能な方式>

この方式のもとでは信徒の教会生活は楽である。

日曜礼拝はみな担当指導者がお膳立てしてくれている。

信徒は日曜ごとに礼拝に出て座っていて、礼拝が終われば献金して帰ってくればいい。

教会はまた、結婚式や葬式も厳粛にやってくれる。
これは大衆にとって、とても属していやすい教会なのだ。

他方、担当指導者にとってこの方式は、一度に大量の信徒に対応しやすいものである。
加速度的に増大する大衆信徒は、こちらの教会に吸収されていった。

献金総額も膨大になり、教会は多国籍マスプロ大学のような大機関となった。

これがカトリック教会と、後に言われるところの教団となる。




<指導者が職業僧侶化>

新方式教会は急成長した。

担当指導者の仕事は膨大になり、指導者需要は急増した。

教会は、指導者を専門職として雇う体制をとらざるを得なくなった。
こうして指導者は、職業僧侶となった。

教会は彼等に、一般信徒とは別格の権威を与えた。




<初代教会との違い>

これは初代教会の方式とは対照的だった。

初代教会の聖句自由吟味方式では、グループリーダーが特別な権威を持つことを極力避けた。

もてば、彼等の見解が上位の権威を持ちつことになる。
さすればメンバー間の闊達な自由吟味が機能しなくなる。

この平等鉄則を明確に戒めるために、彼等は後に強烈な言葉を作り出す。
「万人祭司」がそれだ。

祭司とは、職業僧侶を意味する言葉だ。
彼等は「もし祭司が必要だとしたら、全員が祭司になるのだ」といって、身分的な権威の差異を徹底して避けたのである。

このもとには、「個人の聖書解釈自由(personal freedom of Bible interpretation」という大原則があった。
聖句自由吟味方式の教会では、教会員個々人の精神の自由を生命線としていた。

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これがカトリック方式では、真逆になるのだ。

職業化した僧侶に一般信徒よりも上位の権威をあたえる。

その僧侶たちが相談して、聖書に関して教団の正統解釈を一つ決める。
(これがいわゆる「教団教理」である)

これを大衆信徒に与えて、受容させる。

教団教理に従わせるのは、教会の一体性を維持する重要手段でもあった。
だから、一般信徒が聖書そのものを読んで、色々解釈を為てもらっては困る。

かくして信徒の聖書吟味を禁止にする。
これらの原則は、ごく自然に出てくるものであった。

(カトリックは今でも、「カトリック教理書」をもっている)






<僧侶も階層化する>

教会という人の集いには、集団が一体性を保つことが必要である。
それを維持するには、多数の僧侶自身も管理階層を形成し整然と行動する必要があった。

その命令系統の中でまず自分たちが統一的に行動し、信徒をその管理体制の中に組み込むのだ。
こうして教会はピラミッド型の階層組織となった。

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職業僧侶の管理階層の職位は、司祭、司教、大司教であった。

司祭の職務は、各地の教会の礼拝や聖餐(せいさん:イエスの肉と血を記念するため、パンと葡萄酒を口にする行為で、イエスはそれを命じていった)の儀式を執り行うこととした。

この職位は会社でいえば課長、係長に相当する。

司教の職務は、そうした教会や司祭を地区ごとにまとめて統率することであった。
これは部長だ。

大司教のそれは、司教の管理する地区をさらに複数集めて管理統率することであった。
これは会社では重役だ。

教団全体に関わる事柄は、当初は大司教の会議で決めた。

だが後年、教皇(法王ともいう)という職位を出現させる。
会社で言えばこれは、最終決定の絶対的権限をもった社長だ。

会議で意見が分かれても、この鶴の一声で結論が決まる。
かくして大司教会議で膠着状態が続くようなこともなくなった。

すっきりしたもんだ。




<僧侶の専門化と能力の洗練>

職業として専念させると僧侶の仕事能力は洗練され、専門家、多様化していくものだ。

あるものは、会堂設計に優れた能力を発揮した。

音楽編成能力に卓越したものも出た。

神学(聖書解釈学)能力に秀でた者は、神学校設立に貢献した。
そこで、後継僧侶が養成される。
カトリックでは僧侶の内部自己生産体制ができていった。




<五大教区と教皇の出現>

新方式の教会は布教地域を五つの大教区にに分けて広域運営をした。
ローマ、コンスタンティノープル、アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムがそれで、五大教区と呼ばれる。

そのうち、ローマ大教区の大司教は、常にローマ帝国政庁と直接交渉する地理的状況にあった。

当時は、電子メールもファックスもない。
制度上は五大教区の大司教の会議で決定すべき事項も、実際にはローマ大司教がローマ帝国政庁と話し合って決定することが多くなる。

それを事後的に大司教会議が追認するのだ。

この状況を背景として、ローマ教区から、自らの大司教を教会全体の教皇にすべき、という案が出てきた。
もちろんそれには相応の聖書的な根拠がつけられていた。

他の大司教はそれを受け入れた。




<ギリシャ正教会>

だが、コンスタンティノープル大司教だけはそれを容認しなかった。

彼はそのような聖書解釈には無理があると主張し、最後に、他者と別れて独自な教団としてやっていく道をとった。
これが後のギリシャ正教である。

英語ではグリーク・オーソドックスだ。

グリークは主要テリトリーがギリシャだということを示している。
オードドックスは「正統」という意味である。
つまり、われわれこそが正統なキリスト教会、だと言ったのだ。




<ローマカトリック教会>

ローマ側も対抗した。

彼らは従来内々で用いてきたカトリック(普遍的)の語を使って、自らをローマ・カトリック教会と公言した。
「ローマ」はその中心的拠点が都市ローマにある、という意味である。

こうしてカトリック教会という語が一般に用いられる名称になった。

要するに、カトリック、ギリシャ正教は互いに「俺たちが正統」「俺たちこそ普遍的」と主張しあったのだ。

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以後アレクサンドリア、アンティオキア、エルサレムの大教区は事実上、ローマ大教区に吸収併合されていく。

他方、ギリシャ正教会は、後にイスラム教勢力に押されて、ロシアを本拠地にするようになる。
名前はギリシャ正教会のままで、今日までロシアをテリトリーにしてやっているのだ。

他方、ローマ・カトリック教会は後に、ローマ帝国に公認宗教とされる。

その後まもなくして、帝国の唯一国教となる。
欧州一円をテリトリーとして統率する、国家権力の一部となるのだ。




<カトリック方式は目立つ>

ローマカトリックもギリシャ正教も、教会堂や僧侶がよく目立つ。

建物は豪華だし、僧侶は階層をなして、それが一目でわかるような、豪華な僧服を着ている。

欧州では、カトリックがキリスト教の代表として見られるようになった。

これに比べると、初代教会方式の聖句自由吟味教会は、地味で目立たない。
形態としては草の根運動的なものになるからだ。

かくして、今日われわれのキリスト教への通念が形成された。
キリスト教と言えば、カトリックやギリシャ正教方式のようなものだという通念である。

これが本家本元の初代教会をオーバーシャドー(自らの影で覆い隠すこと)してしまい、今日に至っている。

そのカバーをかけられて隠された聖句自由吟味活動が、実は米国という国家、米国社会の精神基盤になっている。

それをわかってもらうために、筆者は聖書という吟味素材の性格を細々と述べてきた。

ある程度知ってもらわないことには、話にならないからだ。









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