鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

米国への無知を正す35 ~聖書解読の例題~

2015年09月12日 | 米国への無知を正す





アメリカは聖句自由吟味者が、信じがたいほどの長期にわたって、奮闘努力して造った国である。

~そういわれても、読者はまだ、雲をつかむような気分の中にいるだろう。

これを脱却するには、やはり聖句自由吟味活動に、たとえ少しでも具体的に触れることが必要である。

そこで若干それを試みてておこう。




<吟味の「型」>

自由吟味といっても、思いつくまま好き放題に聖句を解釈することを意味してはいない。
スモールグループで自由い語り合う際にも、、そこには一つの型がある。

それは、「旧約聖書の記述(聖句)の中に、新約聖書に記されたイエスを浮上さす」という型である。

この枠の中で、聖句解読という知的・霊的作業を行うのだ。




<旧約聖書は私〔イエス)を述べた本?>

新約聖書に、イエスのこういう言葉が記録されている。

「諸君〔ユダヤ教の僧侶たち)は、聖書の中に永遠のいのちがあると考えて、聖書を研究している。 だが、聖書はわたしについて証言するものなのだよ。」
              (ヨハネによる福音書、5章39節)


イエスの時代、新約聖書はまだ出来ていなかったので、ここで聖書とは旧約聖書のみを指す。

イエスは「旧約聖書は私のことを述べた本だ、といっているのである。

自由吟味者の聖書解読とは、このイエスの言葉を受容して行う精神作業なのだ。


<比喩の解き明かしになる>

だけど、旧約にはイエスという名は一度も出ていない。

なのにイエスのことを述べているとなれば、これはもう、別のストーリーでもって、
つまり、比喩でもってイエスを述べている、ということにしかならない。

そこで聖句吟味の基本は、旧約で述べられている比喩を解き明かすこととなる。

そして奥義として埋め込まれているイエスを浮上さすことなのだ。

いまその解読課題を一つ示そう。






<解読例題>


旧約聖書に収録されている『民数記』という書物に、次のような出来事の記述がある。

モーセという預言者が、エジプトの地に奴隷として暮らしていたイスラエル民族を、いまのイスラエルの地(カナン)に引き連れていく。

そうせよと創造神に命じられてのことである。


人民はモーセに率いられて、目的地に向かって旅をする。

結果的に40年間に及ぶ長旅だ。

旅は苦しく、途中で、民は神とモーゼに逆らって不平を言う。

すると「燃える蛇」が天から降ってきて、民たちの多くは噛まれて死んでいく。

彼等はモーセと創造神を非難した罪を認め、蛇を取り去ってくれるよう祈ってくれとモーゼに頼む。

モーセはこれを聞き入れて祈る。
すると創造神はこう応答する。

「燃える蛇を造って、旗ざおの上につけよ。それを仰ぎ見れば、噛まれたものは、生きる」~と。

モーセはそれに従う。

すると、創造神の言葉通りのことが起きる。

聖句ではここはこうなっている~。、

「モーセは一つの青銅の蛇を造り、それを旗竿の上につけた。
        すると蛇が人を噛んでも、
その者が青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きた。」

(民数記、21章9節)

    
ーーーさて問題である。

この出来事はイエスがこの世に出現する1450年ほど前に起きたことである。

「この話がイエスのことを述べているとすれば、それはどのようにして述べていると考えられるか。

比喩を解読して、奥義を示せ」

読者は、解読をコメント欄に書いてくださってもいい。

+++

聖書を持っていない人は、手に入れて、解読を試みてられたい。
〔大きめの本屋でも、また、アマゾンでも簡単に手に入る)

この例題を解くためだけでなく、アメリカを知るにも、聖書を開かないでは無理なのだから。








コメント (2)
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