鹿島春平太チャーチ

「唯一の真の神である創造主と御子イエスキリスト」この言葉を“知っていれば”「天国での永生」は保証です。

随想5.セルフバリュー意識と自己神欲

2016年10月24日 | 随想





少し理屈っぽい話をしましょう。




<自価感覚と自価理念>

セルフバリュー(自価)感覚の「感覚」とは感性の中に出来るものです。

他方、人間には理性という、物事に筋道を与える認識能力も与えられています。

人はそれでもって、多様で混沌として漠然としている感覚に筋道を与えて、イメージを加工し整理します。

すると、理念が形成されます。






<セルフバリュー(自価)意識は広い概念>

この二つを合わせて、私は「セルフバリュー意識」と読んでいます。

「意識」は感覚も理念も含めた広い言葉(概念)でして、これを使うわけです。

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感覚は感情となって(理念よりも)心を波立たせる力が大きいです。

だからこちらの心理の方が自覚しやすいです。

そこでそれが、セルフバリュー意識理解の近道と考えて、「感覚」の方から話を始めてきたのです。






<「自己神欲」との関係>

さて自価(セルフバリュー)意識に、かねがね私が用いてきたもう一つの心理用語「自己神欲」を、関係づけてみましょう。

自己神欲とは、「自分を絶対上位の存在にしたい」という欲求心理です。

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これは聖書的には、アダムとイブが悪魔にそそのかされて「自分も創造神のようになりたい」と思い、行動したことに由来する心理となります。

以来、人間にはこの心理が多かれ少なかれ根付いてしまっている、~というが聖書が示唆する人間認識です。

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が、ともあれ事実として、人間の心の底にはこの自己神欲心理が、多かれ少なかれ根付いている。

その欲求が肥大してしまっている人の悲劇と対策を、私は、アマゾンのKindle電子ブックで先行的に論じました。

『自己神欲が諸悪を産む』Kindle、がそれです。

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けれどもお読みくださった方には、何かもう一つハッキリしないところがあったと思います。

ここで、もう一つの心理「自価意識」と比較してみましょう。

そうすると,自己神欲の心理も、もう少し明確に浮上してきます。





<自価意識は大きいほどいい>

二つは一見似たようなものに見えます。

だが、その実、似て非なるものです。

セルフバリュー意識は、自分の存在が価値あるという意識です。

これは、あればあるほどいい。どんどん求めていい心理です。


この心理はたとえば、知識を得る際にも、大きいほど精神を活性化し、知識獲得にプラスに働きます。





<自己神欲は小さいほどいい>

対して、自己神欲は、出来ればない方がいいものです。

この心理は肥大しているほどに、知識の習得に害を与えます。

他者からものを学ぶ、という行動を、この欲求がブロックするのです。





<三枚目になれない>

なぜなら、他者からものを学ぶ場面では、教える側がかっこいい二枚目です。

教えられる側は、相対的に、ひょうきんな三枚目となります。

自己神欲が肥大した人は、自分を三枚目にすることがどうしても出来ないのです。

そうなるのは、「自分を神のようにしたい」という欲求に逆らうからです。


端的にいえば、この人は「三枚目になるのが死ぬより辛い」のです。


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余談です。

鹿嶋は教育の現場で40年働いてきて、自己神欲が強くなってしまっている学生をしばしば観察してきました。

中には数は多くはありませんが、こういう端的な例もありました。


大学には、ゼミという、一人の教師を選んでその研究室で彼の学問を集中的に学ぶ制度があります。

そのことを知ってゼミに入ってきながらも、自己神欲肥大の学生は、私からも、何も学びませんでした。

学んでいるというジャスチャーはしますよ。

だけど、心が三枚目になれないので、「まず素直に受け入れてみる」ということができないのです。


結局、教師の学問をなにも取得しないで卒業していく、という人もいました。

特別なケースですけどね。


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こういう人は、卒業後も知的に成長していませんでした。

会社に入っても、やはり、上司から虚心坦懐に学ぶと言うことが出来ないのでしょう。

その結果、普通の人なら他者から当然学んで持っているべき知識、・・・これのない大人になります。

知識が幼稚なままで、身体だけ大きくなったという観の大人です。




<ゴロニャンと可愛くなれるか>

鹿嶋は、人が知的に成長を続けるには、教えてくれそうな人の前で、瞬間的に三枚目になれる能力が必須に思っています。

端的に言えば、相手の懐に飛び込んで「ゴロニャンと可愛くなる」・・・これが出来るかどうかは、人生を左右すると思っています。




<自己神欲は誘惑多き劇薬>


話を戻します。

セルフバリュー意識と自己神欲との関係には微妙な面があります。

自己神欲の充足は、セルフバリュー増幅の一手段の位置も占めているのです。

つまり、人は自己神欲を充足すると、一時的ながら、セルフバリューが高まった気分になるのですね。

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ところが、これは長期的には邪道なのです。

自己神欲を満たしたとき、人は、他者の上位に自分を意識しています。

その意識は他者を下位に見下す香りを発しています。

時がたつと、人はそれを感じて不快感を抱きます。

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こうして結局長期的には他者に嫌われることになるのです。

そういうことは当事者も結局認識することになります。

そしてその認識は彼のセルフバリューを著しく損ないます。

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自己神欲の充足は、セルフバリュー増大を志向する人間には一つの誘惑になります。

だが、それは長期的には、自価意識を損なう劇薬になるのです。






コメント (2)
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