前回、罪の知識には[暫定的なもの」と「究極の真理」とがあることをみた。
そして真理は、聖霊が来て導き入れてくれる、とイエスは遺言していった。
今回は、その真理の中身を検討する回だ。
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結論から言うと、②「聖霊の導き入れる究極の罪知識」は、罪の完全な消去法を含んでいる。
消去は、イエスが身体から流し注いでおかれた血による。
これが罪が発生した瞬間に、それを溶かしてしまうのだ。
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イエスは最後の晩餐で葡萄酒の入った杯を掲げてこういっている。
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「みなこの杯から飲みなさい。これはわたしの契約の血です。
罪を許すため、.多くの人々のために流されるものです。」
(マタイによる福音書。26章27-28節)
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「多くの人々のために罪を許すため」というのだからこの罪は、人間の犯す全ての罪をさしている。
自分が(これから)自分の身体から注ぎ出す血は、これを相殺して消去するというのだ。
どうしてそうなるのか?
<人間の血とイエスの血>
そもそも血とは何か?
人間の身体に循環運動をさせるのは「いのちエネルギー」である。
血はそのエネルギーを携えて身体の各部に供給する。
だからその供給活動が途絶えたとき、つまり血液循環が衰えたとき、人の身体は死ぬ。
病院で血圧計が急低下すると、医師が「ご臨終です」というのは、それを示している。
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他方、創造神イエスの身体における血は、いのちのエネルギーの運搬液ではない。
いのち(エネルギー)そのものの凝集してなった液体である。
この「いのち」は罪を相殺してしまう。
罪は「死のエネルギー」を放射している。
イエスの血(「いのち」凝集体)は、罪のその(死の)エネルギーを相殺する無限の力を持っている。
これが罪という存在を瞬時に消滅させてしまう。
<ロゴスが人となった方~愛弟子ヨハネの洞察~>
ヨハネ伝の著者ヨハネは、イエスを最も深く理解した弟子だ。
その伝記で、「イエスが最も愛した弟子」と書いているのは、自分のことなのだ。
その彼は、「”人の子”イエスはロゴスが身体になった方」との洞察を記している。(ヨハネによる福音書、1章1節)
<ロゴスは血をまとっている>
「人の子」イエスのからだになるべきロゴスは、いのちの血をまとっている。
御子の身体になったロゴスは、骨肉とともに血も持っている。
その血は、注ぎ出されると凝集し、この地上に貯蔵され、いのちエネルギーを無限に放射する。
その血は、注ぎ出された後には、人間が律法違反をする前から、すでに待ち受けているのだ。
そして違反によって発生した罪を瞬時に溶解し、消滅さすのだ。
イエスが「罪を許すため、.多くの人々のために流されるもの」といったのは、その血なのだ。
<効能を持つのは「血」>
イエスの血は全ての罪を、発生後瞬時に溶解・消去する。
そういう波動を持っている。
それを約束した最後の晩餐での言葉もまた波動である。
そのことを明かした量子物理学は、まことに恐るべき物理理論だ。
その波動は、受け入れた人には、約束を実現する波動に変化する。
かくして、血を信じる人は、罪なき存在とされるのだ。
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一般には、罪を許すのは「イエスの死」とか「十字架死」とか言われてきている。
それは間違いではないけれども、Sサイズの身体にXLサイズの下着をあてがうようなところがある。
漠然としている。焦点が絞られていなくて図星ではない。
図星は「注ぎ出されたイエスの血」だ。
イエスの血が罪を溶かしてしまうのだ。
そしてその血を信ずるものが、即座に「罪なき人」となる。
これが罪の究極の奥義である。
<奥義を悟らせるのは聖霊の助け>
イエスは、この奥義(真理)は聖霊が悟らせてくれる、と遺言した。
前回に掲示した聖句~
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「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなた方を全ての真理に導き入れます」
(ヨハネによる福音書、16章12節)
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~は、それを言っている。
聖霊は創造神と同じく創造霊だ。
この霊は創造神の意識波動、真理の意識波動を発している。
その波動と共鳴共振することによって、人間は奥義(真理)を悟る。
驚くべきは聖霊の波動力だ。
イエス昇天後の地上に住む人間は、聖霊の助けを受けて、真理を悟れるのだ。
正しいと悟れば、人はそれを心に受容し、血の効能を受ける。
さすれば罪責感の奴隷となった状態から解放され自由になる。
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重要なところなので繰り返す。
まず聖霊の助けで罪の真理を悟り、罪責感から解放される。
それから、イエスとの同一化に、全身全霊を尽くす。
これによって、イエスの「夢の約束」ステージ(III)への道は開かれるのだ。
今回は、ここまでにしよう。