今回は~
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「①信じる人々には②次のようなしるしが伴います。
すなわち、③私の名によって
④悪霊を追い出し、
⑤ 新しいことばを語り、
⑥ 蛇をもつかみ、
⑦たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、
⑧病人に手を置けば病人はいやされます」
(マルコによる福音書、16章17~8節)
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~の最後のフレーズ「⑧病人に手を置けば病人はいやされます」である。
これも、前回の「毒を飲んでも害を受けず」に共通した原因による。
病人は、物質的にせよ、霊的にせよ「死の波動(いのちのマイナスの波動)」に侵入されている、というのが聖書の論理だ。
だが「信じる」の第(III)ステージに到達している人間は、イエスと同一化している。
だから彼の身体は~イエスがそうであるように~創造神から放射されている「いのち波動」が通過しやすくなっている。
その波動が、置いた(按手した)手を通して、病人の身体に流れ込むのだ。
すると病の真因である「死の波動は楽々と相殺され、消滅してしまう。極当然の論理として、そうなるのだ。
<癒しは神の光線>
こう述べながら、筆者は、多くの病人を按手でいやしていた女性伝道師のことばを思い出す。
今は老齢となって癒しもされなくなっているが、彼女は「癒しは難しくない、神の光線ですから」と常々言っていた。
筆者がここでいまいう「いのち波動」を彼女は「神の光線」と表現しておられたと思う。
まだ、言いたいことはあるが、今回はここまでにしよう。