初代教会は「個人の聖句解釈自由」の原則で活動した。
それでも実際には、教会員たちが各々が全く勝手放題に聖句解釈し教会がバラバラになるようなことは、起きなかった。
彼らは、各自の解読をたずさえて、所属する(数人の)聖句吟味グループに集まった。
「聖句には究極の真理がある」という希望を共有して自由吟味会を実施した。
これによって、思いっきり深く広く聖句を吟味することができた。
また、合意・共有できる基本原理も見えてきた。
それらが積み重なって、共有する聖書の世界観も形成されていった。
だが、その見解が個々人の解読を束縛することはなかった。
「個人の聖句解釈自由」の原則が根底で効いていたのだ。
<グループとしての結論は出さない>
グループリーダーは細部での違いは尊重してグループとしての結論を出さずに解散した。
それらの吟味は将来の課題として残した。
吟味・解読していくと「これは真理だ!」と皆で確信する解読に至ることもある。
それは彼らの心に、深い感動を沸き上がらせた。
<「しるし」も現れた>
神髄に触れるような解読に至ると、ちから(「しるし」という)が現れることも多かった。
それによる感動とよろこびもメンバーの心深くに浸透した。
「家の教会」(小グループ)は、教会発足後30年で、全ローマ帝国に散在するようになった。
(続きます)