<「究極絶対の解釈」は存在するが>
聖句自由吟味者は、聖書の「究極絶対の解釈」(真理)の存在を否定しない。
たが、それは創造主だけの知ることで、人間が限られた生涯のなかで到達するのは不可能だと考える。
その前提で日々の知識深化を求めて聖句の吟味解読を続ける。
実際、スモールグループ活動は、初代教会発足後2000年たったいまも続いている。
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自由吟味者のこの姿勢は科学者の研究姿勢と同じだ。
科学も、究極の真理には人間は到達できないと前提しつつ、それを遠望・憧憬して前進する認識活動だ。
具体的には、仮説を立て、それを限りなく修正し続け、途中で得られる仮説を、現実社会に活かしていく。
<主要対象領域は霊界>
だが、両者の探求する対象領域は異なる。
科学のそれは、宇宙や地上の事象、つまり物質世界である。
自由吟味者は被造界の全てを知ろうとするが、その主要対象は物質世界よりも霊的世界(霊界)だ。
彼らはまた、物質世界のことも、霊界からの影響を考慮して認識しようとする。
(続きます)