Sightsong

自縄自縛日記

チャプチェを作ろうとして気がついた。春雨は、緑豆だけでなく、ジャガイモやサツマイモでも作られている

2008-08-31 22:50:28 | 食べ物飲み物

土曜日、何気なくテレビ朝日の『二人の食卓』を見ていたら、勝野洋が韓国料理のチャプチェと海鮮チヂミを作っていた。両方とても旨そうにみえたので、さっそく作った。

チャプチェだが、番組ホームページのレシピ(>> リンク)では、太い春雨について「(日本製)」と書いてある。これは手に入れやすい日本製でいい、ということだろうか、それとも何か意味が。

しかし、東西線南行徳駅近くにある、中国や韓国の食材を売っている店に行ってみると、緑豆の春雨は日本風の細いものしかなかった。太いものは、ジャガイモやサツマイモの澱粉から作られている。それで、今回はサツマイモの春雨(中国製)を買った。これまで、同じ店でビーフンやフォーの麺(これは米粉で作られている)を買っていたが、同じ棚にあるこの事実を知らなかった。

なお、米粉による麺は、中国や台湾のビーフン、ヴェトナムのフォー、スリランカのアーッパ(いろいろあるがシャワーヘッドのようなところからにゅうっと押し出すもの)、カンボジアのクイティウなどいろいろある。太さや形が似たものの違いが何なのか、いまだにわからない。アジア食材店はワンダーランドである。はまると脱出できない場所は、本屋、レコード屋、アジア食材屋の3つだ、と思いついた。

番組のレシピにあるのは、牛肉、椎茸、人参、玉葱、絹さや、それから錦糸卵。調味はにんにく、醤油、はちみつ。適当に従い、適当に背いて作った。旨かった。あとで他のレシピを見たら(たとえば、「ニッコリア」 >> リンク)、茸が多く(しめじ、きくらげ)、絹さやではなくほうれん草を使っている。私はピーマンを使った。まあ何でもいいのだ。

海鮮チヂミのほうは、粉もんを焼くのが苦手なので、ツマにやってもらった。番組では、ジャガイモのすりおろしたものを搾って水分をきっていたが、ツマは勿体ないといって全部使った。

韓国に行きたいなあ。


コーヒー(5) やんばるのコーヒー

2008-07-09 06:21:50 | 食べ物飲み物

コーヒーベルト」という概念があって、一般的に、コーヒーは北回帰線と南回帰線との間が栽培に向いていると言われている。


コーヒーベルト (National Geograhicより)

沖縄は北回帰線よりもちょっと北側だが、本島でもコーヒーが作られている。よくとりあげられるのが、東村高江にある「ヒロ・コーヒーファーム」(>> リンク)。居心地もいい。

同じ東村の民宿「島ぞうり」(>> リンク)には毎年のようにお邪魔しているのだが、ここでも作って販売している。昨年末に訪れたときには、ちょうど豆をざるの上で乾かしていた。なくなるといけないと思って、先日慌てて電話して購入した。香ばしくてとても旨かった。

東村はパインの一大産地でもあるから、ついでに1個入れてもらった。甘くて、争奪戦になるのだった。


挽いたら良い香りが。


せっかくなので読谷のカップで飲む。


パインの蜜


ヒロ・コーヒーファーム(2004年) Pentax MZ-3、FA24mmF2、フォルティア、ダイレクトプリント


コーヒー(4) 『おいしいコーヒーの真実』

2008-06-24 22:42:12 | 食べ物飲み物

渋谷アップリンクXで、『おいしいコーヒーの真実』(マーク・フランシス、ニック・フランシス、2006年)を観た。エチオピアのコーヒー農家を上流とすれば、下流は嗜好品や日常的な消費財となる。映画は、その両端を交互に示すことにより、矛盾を誰の目にも明らかなものにしようとする。

エチオピアはコーヒーの生まれた国として紹介される(実際のところは、シバの女王とまったく同様に、イエメン説とエチオピア説とがある)。そこで、この映画で大きくフィーチャーされる、農家に多くの収入をもたらそうと努力する取次人が、農民たちに「このコーヒー豆から出来るコーヒーを、先進国では幾らで売っていると思う?」と問う。農民たちは想像もできない。一次買上価格の100倍を超える価格を示されたとき、あまりの非現実的な乖離に、彼らはとまどう。このアンバランスな流通構造を、知らされていないのである。

これが貧困と直結している。現在の買上単価を最終消費価格の1%とすれば、これが5%となれば生活は劇的に改善し、10%となれば生活のみならず教育も改善するという構造改革となることが示される。10%であっても、100%のうちの取り分なのであり、どう考えても不当ではない。

現在のコーヒーの国際価格は、かなりニューヨークの取引所における指標が左右している。そして、取次人によれば、流通プロセスにおいて6回の取引があり、この利益構造に手を入れれば、原価の60%を削減できるはずだとする。当然、浮いた利益は、生産者のものとなるべきだ、という前提だ。

一方、取引所などを通さない流通を志向する下流部の人々には、このようなフェアトレード的な発想だけでなく、「いいもの」だから選ぶのだという嗜好の極みもある。もちろん悪いことではない・・・がしかし、流通の末端の大手コーヒーショップ(シアトルに1号店がある・・・)において、サービス展開している姿は、どうしても浮かれたものに見えてしまう。むしろ、この映画はあえて意地悪な仕掛けをすることで、もっと上流に思いを馳せようよというメッセージを発信したいのだろう。

エチオピアのコーヒー農家のなかには、より儲かる「チャット」の栽培に切り替えるところもあるようだ。映画では、「チャット」はアフリカでは消費されているが欧米では禁止されている麻薬的なもの、として紹介されている。イエメンにおける「カート」と同じものだろう。ただイエメンでは、カートは対人関係をスムーズにするための嗜好品であり、「悪い麻薬」的に扱うこと自体が西側的ではないかと感じた。

踏み込みに迷いが感じられるのはもうひとつ、WTO(世界貿易機関)の紹介の仕方だ。この、GATT時代から「例外なき関税化」を進め、グローバルに平準化された貿易を志向する取り組みは、実際には、大国(米国)が市場を拡大するための装置になっている側面がある。映画では、アフリカ諸国は、欧米はWTOの理想どおりに自国内の農業保護を撤廃しろ、そうすればアフリカにも富がもたらされる、と主張している。しかしこれは、農業全般の話であり、主に途上国で生産されるコーヒーのことではない。また、WTO的なグローバル化が貧困の解決に向かうとは思えない。各国内の農業保護は必要な面もあるだろう。このあたりも、認識したうえでの確信犯的な映画作りなのだろうか。

気になる点はありつつも、「おいしいコーヒーの真実」がこの映画には散りばめられている。何しろ、私たちはコーヒーショップやスーパーの棚のなかには、そこにコーヒーが辿りつくまでの姿を垣間見ることはまったくできないのであり、見ようとしないことは罪と言うことすらできるのだ。

●参考 カート、イエメン、オリエンタリズム

●参考 「Coffee Calculator」 映画(原題『Black Gold』のウェブサイトにある)


コーヒー(3) 『珈琲相場師』

2008-05-27 23:59:20 | 食べ物飲み物

デイヴィッド・リスによる、文庫本500頁を超える長編『珈琲相場師』(2003年、ハヤカワ文庫)。舞台は17世紀のオランダ・アムステルダムであり、ちょうど先物取引というと引用されるチューリップ・バブルが起きたちょっと後という設定となっている。つまり、先物を含め、金融派生商品のさまざまな方法について模索していたに違いないころだ。この小説でも、新手の神秘的な飲み物として現れてきたコーヒーを使って、市場の操作を行い、大儲けをたくらむ人物が主役である。

コーヒーはといえば、『コーヒーが廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎、1992年、中公新書)によれば、この時期はイエメンから他のイスラーム圏に流通させて利益を得ていたオランダ商人が、本格的に輸入するようになった時期にあたる。そしてこの後まもなく、「買って売る」から、「作って売る」にシフトしていく。セイロン(スリランカ)やジャワ(インドネシア)でのプランテーションのはじまりであり、すなわち、土地の支配者、植民地政府、東インド会社、商人という流れの利益構造ができていくわけである。当然不利益は生産者に強いられる。何のことはない、こう書くと、現在の流通構造と本質においては変わっていない

商品としての利益のあり方が変わり始めるだけでなく、コーヒーがヨーロッパ人たちの体内を循環しはじめるころでもある。この小説でも、コーヒーを充分に買ってくれないトルコ人の夫たちは妻が離婚できるそうだ、とか、コーヒーハウスでケシの抽出液と混ぜて肉体の歓楽を得るらしい、とか、ヨーロッパ人にとってのワインのようなものだ、とか、商人たちがまことしやかにコーヒーの魅力を囁く様子が楽しい。

決してストーリーテリングが上手いとはいえないし、徒に長いが、それらを差し引いても、コーヒーが西側世界を浸蝕する一断面を描いていて、面白い。


コーヒー(2) 『コーヒーが廻り世界史が廻る』

2008-04-28 23:59:25 | 食べ物飲み物

臼井隆一郎『コーヒーが廻り世界史が廻る 近代市民社会の黒い血液』(中公新書、1992年)は、コーヒーの誕生からはじまり、中東、アフリカ、南米、そして欧州などで文字通り歴史を駆動する「黒い血液」ぶりを描いた、途轍もなく面白い本である。書棚から引っ張り出してきて、10年ぶりくらいに読んだ。

なぜコーヒーが歴史を動かしてきたのか。その答えのひとつは、終章において著者が書いているように、コーヒーを飲むということが前提としている条件が、極めて不自然、人工的、文明的であることに起因する。すなわち、ヨーロッパから遠い世界でコーヒーが生産され、最終的に届くまで一切の産業構造が機能していなければならない。この地域や開発水準の偏りは、奴隷や植民地支配といった血塗られた歴史に結びつく。

この過程で、中東とヨーロッパの果たした役割が大きかったことが、さまざまなエピソードとともに示されている。これらが、頭を揺さぶられるようでとても興味深い。

○15世紀イエメンにおける起源伝説からコーヒーの歴史もはじまる。当初はスーフィーたちの宗教上の飲み物であり、「黒いザムザムの聖水」であった。いうまでもなく、ザムザムの泉はメッカにある。
○イスラーム世界において、コーヒーを飲む場は、公共浴場(ハンマーム)のような、新種の社交場となった。
○ほどなく17世紀、「コーヒーの家」は、ヨーロッパにも広がった。そのころ、コーヒーの唯一の供給源はイエメンであった。港町モカの特殊性は、ここだけがヨーロッパの船舶が寄港を許されたことにある。イエメンは「幸福のアラビア」であり、紅海は「ルージュ色の海」であった。
○この頃から既に、当然のように商社機能が発達し、現代にもなお残る大きな差額構造が出来上がった。
○17世紀の「コーヒーの家」は、「カンバセーション」という、市民社会で必須の技術を開発するにあたって大きな役割を果たした。ここには、判断を異にする人々が集い、宮廷社会などとは異なる多種多様な層と会話・討議が交錯した。すなわち、近代市民社会は、じっくりものを考えるということよりも、情報、敏捷性、社交性などを徳として、血の廻りを促進するものだった。
○ロンドンのコーヒー文化は男性偏重であることから定着に至らず、特に女性を捉えたのが紅茶文化となった。一方パリでは、逆に女性の存在が鍵となり、カフェ文化が根を張った。このことは、フランス大革命の盛り上がりに無縁ではなかった。
○ナポレオンの大陸封鎖により、ポルトガルが海を渡り、ブラジルという国家を誕生させた。同時に砂糖の欠乏は甜菜糖業を発達させ、やがて砂糖を輸出できないブラジルがコーヒー栽培へと大転換することとなった。
○17世紀から18世紀にかけて栄華を誇った幸福のアラビア、イエメンは、20世紀には近代の国際商戦に破れ、寂れきっていた。

まだまだあって、コーヒー好きには、このうねりの中に身をゆだねることを勧めたい。

強調された差異がもっぱら自然的な差異であり、社会的歴史的差異を隠蔽するのは商品フェティシズムの常である。商品フェティシズムは、商品の社会的由来が意識できないものとなり、商品を一種の自然物として存在させてこそ真の商品フェティシズムである。人類と社会の生産・交通関係の結果として遍在しながら、その社会的由来を隠蔽する、この遍在と隠蔽の共存する存在様式こそ、商品フェティシズムの神秘である。」(本書227頁)

なお、メインストリートのコーヒーからはさらに外れた話。かつての「幸福のアラビア」、いまでも少ないながら独特の味を持つモカ・マタリを生産するイエメンでは、輸出した残りである皮殻を煮だして飲んでいる。街の中で「コーヒー」を頼んで出てくるのは、この「ギシルコーヒー」だ。決して不味くはなく、お茶のようなものだが、そこにある社会構造と歴史は苦い。


イエメン・サナアのギシル売り、1997年 PENTAX MZ-3, FA 28mm/f2.8, Provia 100


コーヒー(1) 『季刊at』11号 コーヒー産業の現在

2008-04-12 15:01:44 | 食べ物飲み物

コーヒーは、中毒とまでは言わないが毎日手で挽いて飲んでいる。仕事中もないと困る。昔、イエメンのバニーマタル地方にモカ・マタリの木を見に行ったことや、コロンビア大使から直接コーヒー豆を頂いたことなんかを自慢にしている。しかし、いまの流通のことや、フェアトレードの背景のことなんかは今ひとつ知らなかったので、『季刊at』11号(特集・コーヒー産業の現在、2008年3月)を読んだ。

まず辻村英之「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動 生産国タンザニアと消費国日本を事例として」によって、生産者価格と消費者価格とのあまりの乖離、それから、その乖離から得られる利益の大半が日本に輸入されてから発生しているとする分析に驚く。

論文から、2時点のグラフを作ってみた。


図 タンザニアから日本までのキリマンジャロコーヒーの価格変化(1998年、99年)
(辻村英之「コーヒーのグローバル・フードシステムと価格変動 生産国タンザニアと消費国日本を事例として」により作成)

こうみると、極めてアンバランスである。その上、他の論文も含めて読んでわかってくることは、

○輸出入価格は、概ねニューヨーク先物価格で決まる。従来は、この価格をブラジル産豆の収穫状況が大きく左右していたが、その比重は近年弱まり、投機的にもなってきている。
○輸出入価格の変動は、生産者価格に直結するが、消費者価格にはあまり影響を与えていない。すなわち、国際価格が暴落したときにダメージを受けるのは専ら現地の生産者である。
○コーヒーは、現地での生活の糧として依存度が高く、国際価格によって生活が左右されてしまう。また、たまに高騰すると植付が増え、再度の供給過多を招くという「悪循環」がある。
○国際コーヒー機関(ICO)では、国際価格安定化のためにさまざまな統制を行ったが、うまく機能しなかった。一方ではWTO体制は価格安定政策を嫌っている。
○最大のコーヒー輸入国である米国は、中南部の貧困層向けに安いコーヒーを確保したい思惑がある。また長らくICOに加盟していなかったが、2005年に再加盟した理由は、テロ対策としてコーヒー社会での国際協力が有効だとする安全保障面の考えが働いたと言われている。これによらず、極めて政治的な側面が多い。

といったところ。日本国内で単価が上がっているとはいっても、チェーン店以外の喫茶店はたぶん苦しいのだろう。高田渡のうたう「コーヒーブルース」や、旨いコーヒーを飲むたびに「ヒクヒク」していた殿山泰司の日記なんかを思い出したりして、最終消費地での喫茶文化と生産者の経済とを同列に並べて考えるわけにはいかないとも思う。とは言っても、本誌には東ティモールやタンザニアでのコーヒー生産確立に向けたいろいろな取り組みが紹介してあり、一概には判断できないだろうが、大手チェーンでコーヒーを飲むことの消費者としてのスタンスを考えてしまう。


旨い水炊き

2008-01-12 23:59:15 | 食べ物飲み物

このあいだ、たまたまNHKの『ためしてガッテン』という番組で紹介していた水炊きの作り方に目を奪われ、作ろうと決意してから楽しみだった週末を迎えた。ここでの水炊きのポイントは、

●ゼラチン質のあるスープで鶏肉を煮れば、肉の繊維の間にゼラチン質が入り込み、煮込んでも固くならず「ほろほろ」になる。
●博多では、そのため、従来は鶏がらを使っている。
●しかし、手羽先を使っても短時間でいいゼラチン質が出る。

ということだった。

レシピは番組のサイト(→リンク)にあったが、実に簡単だ。

●手羽先30分。ひたすらアクを取る。
●さらに、もも肉を入れて30分。
●30分放っておく(余熱を利用する)。
●鶏スープ完成。
●野菜を投入。あとでご飯や麺を投入。

本当は鶏団子も作ることになっているが、食べすぎなので省略した。

実際に白濁したスープができて、肉も本当に柔らかく旨いのだった。大満足。また作ろう。


手羽先と、一口大に切ったもも肉


ひたすらアクを取る。30分+30分+30分で鶏スープ完成。


大量のキャベツ、大根、湯がいた蒟蒻を投入。別に、醤油2+酢1+柚子でタレを作る。


完成。もも肉は柔らかく、手羽先は骨から取れ、キャベツは甘い。


マルちゃんの「鍋用ラーメン」(ちびまる子の絵)を投入。


納豆ダイエット、キャベツダイエット、ダイオキシン

2008-01-01 20:17:22 | 食べ物飲み物

これでも学生時代には結構スリムで、割ともてていた(と評価してくれる人も居なくはない)。

その前、高校生の頃は、受験勉強しかしていなかったこともあって、相当に太っていた。大学に入ってから、東京の地形の成り立ちについて調べようと思い立ち、貝塚爽平『東京の自然史』(紀伊国屋書店)とそれをもとにした白地図を手に東京中を歩き回ったりしたこともあって、痩せたのである(1日10時間くらいは歩き続けた)。そうでなくても、所詮大学生などヒマであり、都会が珍しい田舎者は毎日毎日あちこち歩いていた。待ち合わせにも平気で1時間かけて歩いていった。若いので代謝が良く、有酸素運動を続けたので、効果があったのだろう。

仕事を持って給料をもらうようになってから、身体のエネルギーバランスは激変した。要は動かなくなり、代謝も年々悪くなり、その割に頭を使う(と自分では思う)仕事とストレスで腹が減った、ということだ。学生時代の栄光はどこへ。決して無策だったわけではないが、根本的に散歩以上の運動は嫌いなので仕方ないのである。

そしてついに今年になって、高校生のころの体重にカムバックしてしまったので、相当に危機感を抱いた。まずは、テレビで話題になった「納豆ダイエット」を試してみた。ミソは、食べても納豆の効力で痩せてしまうのだ、ということだった。しかし、これは食べたら食べただけ体重が増えるという結果に終った。このテレビ番組はまもなくヤラセであることがわかり、また、発酵食品で有名な小泉武夫氏(東京農業大学教授)も、新聞で、納豆は旨いからその分ご飯を余計に食べてしまうじゃないか、と、至極真っ当な意見を述べていた。

次に、テレビで目を奪われた「ビリーズ・ブートキャンプ」をやってみようかと思った。しかし、何だか恥ずかしく、ふて腐れて選択肢から消した。

今度は、やはり話題になっていた「キャベツダイエット」を試してみた。これは、食前に10分程度、生キャベツをもぐもぐ噛んで食べることによって、食べる量のかさをかせぎ、満腹感を得るというものだ。すぐに食べられないよう、キャベツは千切りよりもすこし大きめのほうがよいらしい。 これがドラスティックに効いた。グラフで見ると一目瞭然だが、1ヶ月に2キロ以上の減量である。もちろん、本人の意識が伴わなければ効果が出ないのは何でも同じだから、外で何かを食べるときは、大盛は頼まない、シンプルなメニューにする、揚げ物は頼まない、といったことをなるべく心がけた。


図1 体重減少の推移(今年の最大値をゼロとする)

ただ、限界はある。まず、3ヶ月も続けると(平日は朝食のみにも関わらず)、かなり飽きてくる。グラフでも、減少曲線が鈍化するのがわかる。私の体重的経験則(笑)によると、体重の変動には慣性があるから、一旦勢いがついて動き始めるとなかなか止まらない(つまり、勢いをつけるのも大変)。ここまでくれば、以前の量を食べることができないようになっているので、敢えて暴飲暴食の生活に戻そうとしなければ大丈夫に違いないわけだ。したがって、このキャベツダイエットは相当におすすめである

よく、ダイエットは食べる量を減らすだけでは駄目で、筋肉が減るだけだと言われる。私の記録から分析したところ、減った体重のおよそ70%が脂肪減少によるものだった。それに、筋肉と骨の量はバランス上問題ないようだ。精神上のストレスも感じなかった。

体重激減中に気になる現象があらわれた。両手の甲に、吹き出物が(なぜか妙にシンメトリックに)幾つもできてしまったのだ。なかなか治らなかったので、私はこの原因を、脂肪中に蓄積されていたダイオキシン類が放出されていたずらをしたものだ、と勝手に推測した。なぜなら、ダイオキシン類は脂肪に蓄積するからだ。 ウクライナのユシチェンコ大統領は、選挙前に、政敵にダイオキシンを盛られたと言われている(何でも異変を感じる前に食べたのはザリガニと寿司だったとか)。そのために、彼の顔は別人のようになってしまった。


図2 ユシチェンコ大統領のダイオキシン摂取前後(出典:The Times、2004/12/8)

安井至氏(東京大学教授)の『市民のための環境学ガイド』によると、ユシチェンコが体内に取り入れてしまったダイオキシンの量は400マイクログラム程度で、そのために0.8~2ミリグラム程度のダイオキシンを食物として摂取したはずだとしている。 ここに示されているデータを使って自分の場合にあてはめて計算してみると、今年の減量によって、200ナノグラム程度が脂肪にためておけなくなって、どこかに放出されたことになる。これはユシチェンコ大統領が一晩で取り入れた量の2000分の1である。安心した。(もちろんこれは机上の計算であって、手の吹き出物との関連については何の根拠もない。)

ところで、納豆ダイエットを笑い飛ばした小泉武夫氏の著作に、『納豆の快楽』(講談社文庫)がある。あまりにも奇怪な話が多くて圧倒される本だ。小泉氏は、どこへ旅行するにも大量の納豆パックを持ち歩いている。ラオスで間違って生の鰻を食べてしまったときや、ヴェトナムで明らかに危ないスッポンスープを飲んでしまったときに、納豆を即座に2パック食べてなんともなかったそうだ。

この年末に沖縄に行ってきたのだが、その際、嘔吐と下痢に悩まされた。当然、胃が弱って、食べるべきものをあまり食べられなかった。帰宅してから、あっ納豆で胃の調子を回復させればよかったのだと思い出した。それはそれとして、さぞ今年の締めくくりとして体重も減っただろうと体重計にのったら、旅行前と変わっていなかった。なかなか難しいものだ。


図3 小泉武夫『納豆の快楽』(講談社文庫)


粉もん、『かもめ食堂』

2007-09-18 00:00:07 | 食べ物飲み物
大分県のかぼすを頂いたので、すりおろして練り合わせ、なんちゃって「くがにめん」(本家はシークワーサーの絞り滓を使った、大宜味村の「笑味の店」)になった。なお、作ったのは妻である。



そのあと、パンを作成。チョコチップでイヌガミスケキヨが幾つもできていく・・・なお、作ったのは息子である。



『かもめ食堂』(荻上直子、2006年)を観たら、シナモンロールを作って、旨そうに食っていた。ちょうどタイミングよく、『東京新聞』日曜版で、ロケに使われたフィンランドの食堂が出ていた。映画のあとで読もうと思っていたら、油断した隙に、赤ん坊にむしゃむしゃ食われてしまった(もちろん、出させたが・・・)。フィンランドの1人当たりコーヒー消費量は世界一だそうだ。


新聞の残がいと『かもめ食堂』のシナモンロール製作場面

余談のついでの余談。

週末、浦安魚市場の「えびの桑田」で鮪と青柳を、「丸善青果」で山形のだだちゃ豆、船橋の白茄子を調達した。鮪は少し残ったので、づけにしておいて焼き、「わしたショップ」で量り売りで買ったもずくと和えて食べた。白茄子は初めて食べたが、焼いても焼き茄子独特のにおいが無く、えごま味噌を付けるととても旨かった。



ニライカナイからの大蒜

2007-06-24 23:06:00 | 食べ物飲み物
妻が、映画『ニライカナイからの手紙』(熊澤尚人)を観て、蒼井優とそのおじいが食べる大蒜漬けを作った。

ちょっとググって、『雨のち晴れ「安里家のニンニク漬け~♪」』を見つけたようだ。

漬けはじめてから2週間くらいでかじると、息子はぐわっと言って出した。妻は、作っただけで満足だと言明した。

1ヶ月が過ぎたので、食べることのできる唯一の者である私が食べた。
舌はもうあまり痺れないが、もの凄い匂いが鼻腔を直撃する。嫌いではないが強烈すぎる。

まだ早いのだろうか。
島大蒜でないと駄目なのだろうか。
明日の朝は元気になっているだろうか。
本当に蒼井優はこれを食べたのだろうか。

と書いてから、あらためてググってみると『島にんにくの地漬け』のレシピに、「6ヶ月から1年」とあった・・・。待てばきっと旨くなるんだな。


たくさんの瓶漬け、2週間もの、1ヶ月もの

以下、上記ブログ『雨のち晴れ「安里家のニンニク漬け~♪」』の転載

<準備>
(1)ニンニク 1kg(外皮はむいておく)
(2)氷砂糖 200g
(3)酢 50CC
(4)塩(粗塩)50g
(5)水 600CC
(6)漬物容器(梅酒用の容器等)

<作り方>
(1)ニンニク(大)は小さくばらして水に2時間位つける(内皮付)
(2)水の中でふやけて皮がむきやすくなるときれいにむき、根の部分を切り取る
(3)むいたニンニク1kgに対して塩50gを入れて全体にまぶす
(4)1~2日おいてニンニクの水を切る(しぼる)
(5)水600cc、氷砂糖200gを鍋で煮て十分に冷やす
(6)酢50ccを冷やした汁に入れ、よくかきまぜてからニンニクを漬ける


牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境

2007-04-15 10:51:39 | 食べ物飲み物

日本で日常的に飲まれている牛乳のほとんどは、超高温短時間殺菌法(UHT)によるもの、つまり120~135℃・2秒間などの方法である。一方、低温殺菌によるもの、つまり63~65℃・30分間の殺菌方法による低温殺菌牛乳も数%程度のシェアがあり、少しずつではあるが割合を増やしてきている。なかには72~85℃・15~40秒間という方法もあり、これも「低温殺菌牛乳」として売られているようだ。

大きな違いは賞味期限と、それから製造時の経済性(30分より2秒のほうが時間もお金もかからない)だろう。

殺菌効果については、生乳そのものでない限り、衛生基準がある現在はコンマ数の違いを云々することにはあまり意味がない。栄養の吸収されやすさなどについても、それぞれの立場から異なった結果がでているから、本当に検証せず言及することは軽率である。

味も当然重要だが、慣れ親しんだUHTの方を好む人もいるから、一概に優劣を語ることはできない。したがって、私がここで味について言うことはあくまで主観的な意見である。

私は、10年程度前は、低温殺菌牛乳こそを旨い牛乳だと思っていた。その後、我が家では、『日本の牛乳はなぜまずいのか』(平澤正夫、草思社)との出会いから、さらにノンホモジナイズドの低温殺菌牛乳、つまり製造段階で加圧して均一(ホモ)にしない牛乳を飲み始めるようになった。東毛酪農の「みんなの牛乳」である。今は、これが私の体験上いちばん旨い牛乳の位置を占めている。

ノンホモの場合、放っておくと上下分離して上に「クリームライン」ができる。ここだけを取ってクリームとして使えるし、ノンホモなので小さくされていない分子どうしがさらにクラスターとなりやすく、要は自宅でも振り続ければバターができる。私は、ビンの開けたてを振らずに注ぎ、旨いところを頂くというエゴイスティックなこともしている(別に残りがまずくなるわけでもない)。どうもノンホモであれば、製造段階で機械にへばりつくなどの弊害があることも、ホモ牛乳が多いことの理由らしい。

『幸せな牛からおいしい牛乳』(中洞正、コモンズ)によると、牛乳のイメージは「牧場」であるが、実際には日本の多くの牛乳は、牛舎に押込められて不自然に人工授精され、輸入飼料を与えられている乳牛から生産されている。そして搾乳後は経済合理性至上主義により、製造され、流通される。

中洞氏が主張していることは、①牛乳は日本という気候風土にあった方法で不自然・危険な方法ではなく生産されるべき、②乳脂肪分至上主義(濃い方が売れる)はおかしい、③安全で旨い牛乳を作れば安売りはできない(しかもマージンが取られる)、といったことだ。実際に、乳脂肪分が3.5%を切る生乳を供給する酪農家は、そうでない場合の半額程度の卸値で引き取られるそうである。また、スーパーでも、広告の目玉商品として、客寄せのため原価割れでも販売していたりする。


『幸せな牛からおいしい牛乳』(中洞正、コモンズ)他により作成

このような経済合理性に基づく大量生産・大量流通により、安価に消費者が牛乳を飲めるのであるから、一概におかしいというわけにはいかない。しかし、不健康な牛から牛乳を搾り取り、酪農家がコスト的に窮々とし、安全性や旨さを犠牲にするあり方は、やはり歪んでいる。大規模乳業メーカーのモラルハザードなども、起こるべくして起こった事件なのだろう。

すなわち、なるべく地産地消のスローフードに近いもの、そして国内ではあるがフェアトレードの概念を働かせるべきだということになる。

中洞氏は、さらに、環境容量の思想にまで到達している。つまり、生鮮食品であるから、不自然に遠距離輸送・長期間保存を行うことは必要最低限にとどめ、安全性を優先させ、さらに穀物輸入を通じて貧困地域の間接的な抑圧を回避するには、日本国内の酪農は一定の条件を満たしたものに限るべきとする考えである。

中洞牧場」の課している条件は、放牧する牛は1ha内に2頭以内(=50アール/頭)、輸入飼料は使わず天然の植生を活用する、といったものである。なお、東毛酪農が他の酪農家から仕入れる基準は、牛1頭あたり10アール以上の牧草地+10坪(=33m2=0.33アール)以上の運動場とされており(『日本の牛乳はなぜまずいのか』、平澤正夫、草思社)、単純比較はできないが、中洞氏の条件は相当に厳しいものだ。

我が家で購入している「みんなの牛乳」(東毛酪農)、さらにまだ飲んだことはないが「四季むかしの牛乳」(中洞牧場)は、スーパーで購入できる普通のUHT乳や低温殺菌牛乳に比べて相当高い。産地直販や、生協などを通じての共同購入には難しい点もあるだろう。しかし、とにかく低温殺菌ノンホモ乳は旨いのである。安全かつ日本(間接的に海外)の環境を害していないのであればなおさら良い。

まずはどちらの本も面白いので、一読をおすすめする。

ところで、榎本牧場(埼玉県)に遊びに行って話を聞いたときのこと。「低温殺菌牛乳が一番旨いですが、さらに絞りたての牛乳のほうが旨いです。しかし、商品として提供できないので、あなたがたは飲めません」・・・心底羨ましいと思うのだった。


右端は「なのはな生協」のチラシ、「夫」は私(笑)


6年目の味噌作り

2007-02-12 14:19:28 | 食べ物飲み物
妻と子供が今年の味噌を仕込んでいた。私は見ているだけ。

茹で大豆をつぶすために昔の餅つき器を借りてきたらしい。
糀を入れて、またこねて、空気を抜いて、出来上がり。
1年後が楽しみだ。いま食べているのは2年ものだと言われた。


いただき物のデジカメで撮影してつなぎ合わせた