水野仁輔『銀座ナイルレストラン物語』(小学館文庫、2013年)を読む。
東銀座にあるナイルレストランは、日本におけるインド料理店のパイオニアであり、鶏肉を目の前でほぐしてくれてご飯やキャベツと混ぜて食べる「ムルギランチ」が有名である。東京のインド料理好き、カレー好きの間で知らぬ者はないだろう。店主のG.M.ナイルさんも有名人で、芸能人の客も多いという。もう15年くらい前、ここで食べていると、SMAPのメンバーが外の行列で律義に待っていて仰天した記憶がある。
本書は、老舗というにとどまらない歴史をまとめていて、とても興味深い。創業者のA.M.ナイル(G.M.ナイルさんの父)は、インド国外にあってインド独立運動を進め、ラス・ビハリ・ボース(中村屋のボース)とも交友があった人物である。ここは評価の分かれるところだと思うのだが、大英帝国への抵抗の過程において、旧日本軍との関係が近かった。そのために、独立前は英国支配下のインドに戻れず、また、独立後もしばらくは、日本軍に協力したということでインドに戻ることができなかった。そのため、敗戦後の日本で食うに困り、日本人の妻の尽力で、日本初のインド料理店を開いたというわけである。
このことをカレー伝来史のなかに位置づけるなら、次のようになる。(小菅桂子『カレーライスの誕生』より)
18世紀、英国にスパイスが上陸。カレーは、上流階級のものとなった。
百年を経て、江戸末期から明治初期にかけて、英国からもうひとつの島国・日本に上陸。
日本では、当初上流階級の食べ物であり、やがて、独自の進化を遂げた。
1927年、新宿中村屋が、ボースのサポートにより、「カリ・ライス」を考案。
1949年、日本ではじめてのインド料理店として、ナイルレストラン創業。
A.M.ナイルは料理などまったくできず、すべて妻が南パキスタンの人たちから教わって考え出したものであるという。したがって、看板メニューのムルギランチを含め、そのはじまりから、実は伝統的なインド料理でも、もちろん日本料理でも、パキスタン料理でもなかったものだったのである。
実際に、ナイルさん父子が戦後はじめてインドに戻ったとき、オールド・デリーではじめてタンドーリ・チキンを出し始めた老舗「モティ・マハール」でも食事をして、その旨さにうなっている。それにもかかわらず、オリジナリティ追求のため、ナイルレストランでタンドーリ・チキンを出すことはしていない。
ところで、わたしも2010年に「モティ・マハール」で夕食を取ったことがある。そのとき、店員が見せてくれたのが、雑誌「Dancyu」での紹介記事だった。今も、日印のつながりがあるのだということができるかもしれない。なお、ここでは酒が飲めず、ナイルレストランではもちろん飲めるという大きな違いがある。
モティ・マハール、オールド・デリー、2010年
もう20年近く前、わたしの通勤列車の同じ時間・同じ車両に、お香の匂いを漂わせた方がいつも乗ってきて、誰だろうと思っていたことがある。その後、ナイルレストランにたまたま食事をしに行ったところ、ご本人が出てきて吃驚した。最古参の「番頭」のRさんだった。そんなわけで、朝の電車では頻繁に雑談をして、また食べに行ったりもした。
本書を読んだら、最近ご無沙汰しているお店に、またムルギランチを食べに行きたくなってしまった。
●参照
小菅桂子『カレーライスの誕生』
尾崎秀樹『評伝 山中峯太郎 夢いまだ成らず』(ボースと山中峯太郎)
内澤旬子『世界屠畜紀行』(角川文庫、原著2007年)を読む。
奇書である。しかし、なぜ奇書なのかと言えば、ほとんどの人が視ようとしない「屠畜」あるいは「」をマジマジと観察し、「なぜ肉屋は差別の対象となるのか」という点を、正面から問いかけるからである。
著者は、身銭を切って、世界中の屠畜場を訪ね、具体的に、家畜から肉が出来ていくプロセスや、そこで働く人たちのライフスタイル、意識といったものを掘り出し続ける。それらは国や地域によって驚くほど異なっている。差別も、あったりなかったり、隠れていたり。
日本においては、差別と歴史とが密接に関連している。しかし、本書を読んでいると、現在は、「視えない構造」による歪みをこそ問題とすべきではないのかと思い知らされる。「肉以前」について、向こう側として判断中止としているからである。
●参照
○平川宗隆『沖縄でなぜヤギが愛されるのか』(本書にも平川氏が登場)
○森達也『東京番外地』、『A』
○『差別と環境問題の社会学』 受益者と受苦者とを隔てるもの
小菅桂子『カレーライスの誕生』(講談社学術文庫、原著2002年)を読む。
日本独自の食べ物、カレーライス。ラーメンと同様に、他国をそのルーツとしながらも、日本で独自の進化を遂げ、バラエティに富んだ食べ方、作り方が普及している。また、ラーメンほどではないが(たぶん)、海外に店舗を持つチェーン店もある。
本書は、カレーライスが、どのような経路から日本に上陸し、どのように受容されていったかを追うものである。こと食べ物の話になると、やむにやまれぬ民族的本能のようなものが垣間見えて面白い。
大航海時代以来、多くのヨーロッパ人がスパイスを求めてアジアに渡航した。やがて、18世紀、英国のベンガル総督・ヘイスティングなる人物が、インドのスパイスや、それを調合したガラムマサラを母国に持ち帰る。これを、C&B社が調合しなおし、ヴィクトリア女王にも献上したという。すなわち、これが、『美味しんぼ』によれば「あらゆるものがカレー」であるインドの料理体系を、ひとつのレパートリーに単純化する歴史的な事件であったということができる。
英国では、カレーは、上流階級のものとなった。そして、百年を経て、江戸末期から明治初期にかけて、英国からもうひとつの島国・日本に上陸する。もちろん、「西洋料理」という触れ込みであり、最初は、西洋かぶれの上流階級の人びとが知るだけのものだった。
本書には、来日当初のレシピがいろいろと紹介されている。珍妙なものもあって面白い(作る気にはならないが)。
そして、ここから、日本独自の進化がみられる。玉葱、人参、ジャガイモという外来野菜の「カレー三種の神器」が入る。ラッキョウや福神漬けが添えられる。上野精養軒など西洋料理の老舗が情熱的にカレーを洗練させる。阪急などの資本が大衆料理としての普及に一役買う。既に、カレーは、和洋折衷の料理となってしまった。
興味深いことに、大阪と東京のカレーのちがいまでもが分析されている。それによれば、大阪では、牛肉が8割近く用いられ(東京は3割)、逆に東京では、豚肉が4割以上用いられている(大阪は1割)。明治の肉食は、とにかく牛であった。しかし、日清・日露戦争が起こり、牛肉の缶詰が戦地に送られた結果、牛肉の産地を控える関西と市場に流通する牛肉が減った関東では、人びとの嗜好までが違ったものになってしまったのだ、という。
なお、カレーに生卵をかける習慣も関西のものだということだ。東京丸の内に進出した、大阪の「インデアンカレー」も、生卵を載せるオプションを提供している。店名からして、カレー受容の奇妙なルートを示しているようだ。もちろん、インドのカレーとは似ても似つかないが、甘くて同時に辛いという変った味である。カレーひと皿にも、歴史の名残を垣間見ることができるというわけだ。
もっとも、インド料理がポピュラーなものになり、地方の差さえも多様化によって希薄化してくるのかもしれない。
インデアンカレー
■自分の「いま食べたいカレー」ベスト5(順不同、思いつき)
・「キッチン南海」(神保町)のカツカレー
・「ボンディ」(神保町)のチーズカレー
・「水主亭」(広島市)の豪快なるカレー(>> リンク)
・「ニューキャッスル」(銀座)の「蒲田」(>> リンク)
・「デリー」(湯島)のコルマカレー(もう15年以上食べていない)
編集者のSさんに、ご自宅での「鮭の会」にご招待いただいた。
以前は福島物だったが、原発事故があったため、今年は三陸物にしたのだということ。サラダ、フライ、ステーキ、イクラ丼、アラ汁。特にイクラ丼はねっとりとして、本当に旨かった。
ご馳走様でした。
ロッテのアイス「爽」は、アイス史に残るに違いない名作である。クリームの中に微細な氷の粒が混在していて、そのために表面はきらきらと光っている。ガリガリじゃりじゃりとしたかき氷的・シャーベット的な要素も、ねっとりとしたアイスクリーム的な要素もある。実は凄い技術なのではないか。しかもたったの百数十円。こんなもの昔はなかった(紙で包んであった30円の名糖ホームランバーも旨かったが)。
ちょっと前までは「バニラ味」だけだったと記憶しているが、そのうち「3種の果実入りヨーグルト味」が出て、ツイッターのC氏の情報では「ゆず味」も出て(まだ見つけていない)、そして、今月になって「粒つぶ苺&ミルク」がコンビニに並び始めた。冷静に横目で見るともなく見るふりをしていたが、今日、我慢できずに食べた。やはりシンプルな「バニラ味」には叶わないものの最高の食感、もう大人であるから勢いよく食べて後頭部が痛くなることはないが、それでも落ち着いて食べることができず胸が冷える。
アイス個人史上のベスト5(順不同)
●ロッテ・爽(バニラ味)
●ハーゲンダッツ(バニラ味)
●ハーゲンダッツ(抹茶味)
●根津・芋甚尾張屋のアベックアイス(バニラ味と小倉味)
●小さい頃親戚が御土産に持ってきた巨大なレディーボーデン(ノスタルジア)
ふとツイッターで知った無殺菌牛乳。いまでは北海道の想いやりファーム(>> リンク)だけで製造しているらしい。15年くらい前に農水省での展示を見たときには、いくつか無殺菌牛乳を作ることを許可された特別な牧場があるのだ、ということだったが。
ずいぶん前から、群馬県・東毛酪農のノンホモジナイズド・パスチャライズド牛乳「みんなの牛乳」の大ファンであり、自分にとっての究極の牛乳である。それと無殺菌牛乳がどう違うのか。ちょうど所用で札幌に足を運ぶ機会があり、大通り公園地下街の店で小瓶を買って飲んでみた。
ノンホモ・パス乳よりもさらりとしている。味は最初薄いように感じるが、上品で自然な甘みがある。「みんなの牛乳」のほうが好みだが、毎日飲んでいたらこちらが好きになるかもしれない。コスト度外視の商品だから、次に北海道に行くときまで飲む機会はないだろう。しかし旨いものは旨い。
狸小路にある「喜来登」のラーメン。ねぎラーメンではない
オーディオが凄いジャズ喫茶「ジャマイカ」
●参照
○牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境
- 平澤正夫『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社)
- 中洞正『幸せな牛からおいしい牛乳』(コモンズ)
○牛乳(2) 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』
- 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』(農文協)
○牛乳(3) 森まゆみ『自主独立農民という仕事』
○沖縄のパスチャライズド牛乳
ラーメンと同様、カレーも日本で独自進化を遂げた食べ物である。南アジアや東南アジアのカレーも旨いが日本のカレーも旨い、と一言で言えないほどの生物多様性がある。したがって、以下のカレーはどこを代表するわけでもない。
銀座の「ニューキャッスル」では、たぶん年に1回くらいの頻度でカレーならぬ辛来飯(カライライス)を食べる。気が付いたらご主人が2代目になっていた。ここのメニューは楽しくて、「大井」(多い)、その手前の「品川」、「大井」より多い「大森」(大盛り)、その先の「蒲田」と、量に応じて駅名が付けられている。とは言え、一番多い「蒲田」が普通盛りくらいだから、いつもこれを注文する。味はかなり濃厚で、目玉焼きを崩しながら食べると良い塩梅にマイルドになる。・・・と書いていたら、また食べたくなってきた。
ところで、仙台に足を運ぶたびに、古本屋「火星の庭」を覗くようにしている。
今日、ここで、はじめてカレーを食べてみた。「セイロンカリー」という名前だが、断言してもよい、スリランカにこのようなカレーはない。それとは関係なく、かなり旨かった。レンズ豆とひよこ豆が入っており、ココナッツミルクで味付けがしてある。ミルチャ・エリアーデや山上たつひこの掘り出し物を確保したこともあり良い気分だ。次はいつ食べられるだろうか。
ついでに行きの新幹線で食べた、崎陽軒の「シウマイ弁当」。コロコロとして固い崎陽軒の焼売は好物なのだ。
上からパリ、ロンドン、デュッセルドルフ。パリは現地の人たちで連日行列ができるほどの大賑わい。ロンドンはオリジナリティがありすぎてハズレ。デュッセルドルフは日本人駐在員たちのための日本人による日本のラーメン(だって西山製麺を使っている)。といっても、これが何も現地のラーメン事情を象徴するわけではない(たぶん)。
最近の粉もん与太話。
■王子「ロワンモンターニュ」のパンが旨い
昨日、王子の「北とぴあ」で講演したついでに、王子駅近くの「ロワンモンターニュ」というパン屋(>> リンク)に寄った。『アーバンライフ・メトロ』という地下鉄で配布している雑誌に、王子特集があって思い出したのだ。白神山地で採取した天然酵母と、北海道産の小麦を使っていることを売りにしている。ためしに、全粒粉を使ったパンにマカダミアナッツを詰めた「森の木の実」、それから「男のガーリックパン」、「クランベリーミルク」を買って帰り、夕食にした。
どれも本当に旨い。とくに「森の木の実」を手で割るとマカダミアナッツがごろごろと雪崩のようにこぼれてくるのには吃驚する。
■大阪伊丹空港から自宅まで「いか焼き」を鞄に入れて帰った
今日は大阪まで所用があって出かけたのだが、帰りが夕食には早い中途半端な時間だったので、伊丹空港の「たこ坊」で持ち帰り用の「いか焼き」を買った。ときどき鞄を開けると、ソースの匂いが鼻腔をくすぐり嬉しかったが、他の人の鼻腔も同時にくすぐっていたとしたら迷惑な話だ。帰宅してすぐに食べた。当たり前に旨かった。もちろん誉め言葉である。
■福岡の「博多通りもん」も旨かった
ちょっと前、所用で福岡に遠出したお土産に、定番の「博多通りもん」をお土産に持ち帰った。旨かったが、もう味を忘れてしまった(笑)。こういった、ふわふわした饅頭は、仙台の「萩の月」の方が好みだ。
■北海道・六花亭の「マルセイバターサンド」がやっぱり一番
自分の中でのお土産王者は(出場者が少ないが)、ずっと六花亭の「マルセイバターサンド」なのだ。お土産と言いつつ、自分も同じように食べることを念頭に買ってしまう。冷蔵庫で冷やすともう絶品。
先月札幌に所用で出向いた際、「マルセイビスケット」という新商品が出ていた。勢いでこれも確保してほくほく帰ったが、あくまで普通に旨い味だった。やはり「マルセイバターサンド」。
中国でも帰ってからもてんやわんやだったせいか、疲れがまったくとれず、今日の休日はぐうたらにしていた。夕方、幼児が寝てくれたので、ツマと示し合わせて、ビールの瓶詰め。5月末くらいにはチェリービールが飲めるはずなのだ。
1次発酵が終わったタンクの蓋を開けると、ものすごく良い匂いがした。もうウットリである。かなり自分の体力も回復したような気がする。(単純な。)
空き瓶を果実酒用のエタノールで洗浄する
打栓器と新しい王冠
なぜか鬼太郎ビールにも詰める
しばらくお休みなさい
夏に向けて、チェリー味の「クリーク」という、ベルギーではお馴染のビールを仕込んだ。(日本の酒税法では、1%未満の酒しか作ってはならないことになっているので、以下もそのように納得してください。)
麦芽やホップでできた酵母を湯煎し、お湯を加える。さらに砂糖と水、最後にイーストを入れてまずはお終い。いまから10日くらいで1次発酵が終わる。それを瓶詰めしたらしばらく2次発酵。
これが昨日のこと。
近所のスーパーマーケットで、鶏のキンカンを見つけた。何だか懐かしくて買ってしまった。モツとキンカンを、酒、醤油、砂糖、生姜と一緒に10分ほど煮つけた。アクがたくさん出た。自分でキンカンを料理するのははじめてだ。
焼きそばとキンカンを昼ごはんにした。ここにビールがあれば最高な組み合わせなのだが、クリークはしばらく待たなければ飲めないのだった。
気分はもうブリュッセルのバーに飛ぶ。2004年の秋に訪れたとき、安くて激しく旨いのでひたすら飲んだ。ああ出来上がりが楽しみだ。
シメイとムール貝 Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600
バー Leica M3、Summitar 50mmF2、スペリア1600
森まゆみ『自主独立農民という仕事 佐藤忠吉と「木次乳業」をめぐる人々』(バジリコ、2007年)は、牛乳を中心にした本ではない。あくまで、佐藤忠吉氏という魅力的なひとの活動や考えを紹介している本だ。著者は、タウン誌『谷中・根津・千駄木』発行の中心的人物だったこともあり、「ひと」という単位での見せ方がとてもうまく、引き込まれて読んでしまった。
木次は出雲にある。ここで佐藤忠吉氏は、日本ではじめて、63℃30分殺菌のパスチャライズド牛乳を売り出したという。独特なのは、日本の農政の乳量主義やコスト主義、牛乳濃度主義、単一作物主義、農薬多使用主義などにすべて反したスタンスだ。長い模索の末、あくまで気候風土に合った乳業のため、ジャージーやホルスタインなどの半分未満しか乳を出さないブラウンスイスという牛を育てている。
穴がぼこぼこあいたエメンタールチーズの製造については、平澤正夫『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社)にも中心人物として登場する乳業の技術者、藤江才介という技術者に指導を受けたようである。藤江氏も、パスチャライズド牛乳を推進していた。
木次乳業で抱いていた疑問は、「牛乳は日本人に必要ないのではないか」という思いだったという。そんななか、高温加熱の牛乳はたんぱく質の熱変性によりカルシウムの吸収が悪く、焦げたような匂いがすることを認識し、パスチャライズを開始する。ここでは乳糖の分解ではなく、可溶性カルシウムの消化吸収のよさをポイントとしているわけである。その思いもあり、何と、製品にも自動車にも「赤ちゃんには母乳を」と、牛乳メーカー自らが書き込んでいるのだ。
牛乳のほかにも、佐藤語録とでもいうべき言葉に含蓄があり、いちどお会いしてみたいとおもわせる魅力がある。
「人生、みんな愛しいです。いかなることがあっても愛しい。思い出しても難儀なときのことがいちばん愛しい。中途半端にいい目にあったことは忘れてしまう。ついでに中途半端につらいこともみんな忘れてしまう。難儀を乗りこえ乗りこえ来ることが、いちばん生き甲斐でしょうが。ちがいますか。うまくいくこともあるし、うまくいかんときもある。失敗のない人生は失敗でございます」
「もちろん並行して米をつくり、小麦、豆、芋をつくり、ナタネやゴマもつくり、養蚕もタバコ栽培も多少はやり、鶏も羊もブタも飼う。ほんとうに自給自足に毛のはえたものですが、ほとんどのものをつくっとった。でも我々には別の夢があった。牛を飼って乳をとり、それを加工して付加価値をつけ消費者に届けるという。素材の生産だけだったら我々は都市の奴隷にすぎない。」
「そもそもどんな農法でやるかは農民一人一人が考えて決めるもので、行政が有機農業をすすめるなんてのは私は大反対、納得して自らやるもので、お上が旗ふって上からやらせるべきものではない。それではそれを強いる者がおらなくなったら、それで自然消滅してしまう。あくまで農民は自主独立農民でありたいということです」
「弱肉強食、自由競争の資本主義が勝ったとは私は思っておりません。これは環境をくいつぶし、生存の基盤を掘りくずしている。それに変わる自立自治の生き方を『ゆるやかな共同』の中で考えていきたいと思っております」
この、「ゆるやかな共同」を模索するため、佐藤氏は、イスラエルのキブツを見にいき、米国のアーミッシュにも興味を持っているという。「ふところまで入りこまず、お互いをみとめあって助け合う」という、「個」と「社会」とのバランス感覚はとても興味深い。
●参考
○牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境
- 平澤正夫『日本の牛乳はなぜまずいのか』(草思社)
- 中洞正『幸せな牛からおいしい牛乳』(コモンズ)
○牛乳(2) 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』
- 小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』(農文協)
○沖縄のパスチャライズド牛乳
小寺とき『本物の牛乳は日本人に合う』(農文協、2008年)は、1982年に、群馬県の東毛酪農と共同で「みんなの牛乳」を開発したひとりである著者が、ノンホモ・パス乳の優位性について説いたものである。ノンホモとはホモジナイズ(均質化)していないこと、パス乳とは63℃30分などの低温殺菌を施した牛乳を意味する。
この「みんなの牛乳」は、生協を通じて取り始めてから、私にとって最高の牛乳の位置を占め続けている。なんともいえず甘く、さらさらして、じつに旨い。飲むたびに旨いと思う飲み物などそうはない。嘘ではない。
「みんなの牛乳」はすぐに無くなる
IDF(国際乳業連盟)の定義によれば、パス乳(63℃30分ないしは72℃15秒の殺菌)がスタンダードであって、日本でほとんどの牛乳が該当するUFT=超高温殺菌(120~140℃2秒の殺菌)は保存乳とされている。そして、生乳を輸入に頼っているイタリアのような国や、生乳の質が悪い昔の日本のような国を除いては、UHTを生産することは、コストや生産効率のみを重視した企業の論理なのだ、と本書は指摘する。そして、「よい牛乳がつくれるようになっても、乳業会社が楽に儲かる既得権を手放そうとせず、さらに行政が上塗りをしてつじつまを合わせてしまった」と、矛盾を指摘する対象は行政にも及ぶ。
感覚的に考えても、せっかくの生鮮食品を高温で滅菌する、などということが、たとえば野菜に対して行われるだろうか。その意味では、不祥事を解決してガワを取り替えても、大乳業メーカーはノンホモ・パス乳を依然として作ることはないのだ。
本書の後半では、UHT乳のたんぱく質などが熱変性を受けていて、味どころか栄養までも損なっているのだと指摘している。そして、乳糖を消化しきれず、牛乳を飲むと腹を壊す大人が多い現象は、ノンホモ・パス乳では起きにくいのではないか、と主張している。このあたりは、従来のネガティブな検査がノンホモ・パス乳を使っていないことの指摘と仮説の提唱にとどまってはいる。私も腹が弱いほうなのではあるが、さて、牛乳をUFTからノンホモ・パス乳に変えてどうなのかはよくわからない。冷たい牛乳を急に飲むと、水やビールよりもきっと熱容量が大きい(コロイドだから)牛乳は、腹の熱を奪う効果が大きいかもしれないから、多くのひとが牛乳を飲んで腹をこわしたというのは単に急激に冷やしたことが原因かもしれないのだ(いい加減な思いつきだが)。
丸谷才一『青い雨傘』(文藝春秋、1995年)には、「牛乳とわたし」というエッセイがおさめられている。要は、マーヴィン・ハリス『食と文化の謎』(岩波同時代ライブラリー)の紹介なのだが、やはり、ラクトーゼという乳糖を分解できない大人が如何に多いか、という話になっている。
「大人は牛乳が飲めないほうが健全なのだ。
コペルニクス的転換である。
すごいことになりました。
しかし、たしかにさうかもしれないので、
アメリカ黒人成人 75パーセント
中国人成人 95パーセント
日本人成人 95パーセント
韓国人成人 95パーセント
がラクトーゼを吸収できないのださうである。タイ族、ニューギニア原住民、オーストラリア原住民などは100パーセントに近い。中央アフリカでも大人のラクトーゼ吸収者はほとんどゐない。
そして今日、ラクトーゼ吸収者といふ異常(!)な連中は、アメリカ合衆国を別にすれば北ヨーロッパに集中してゐるんださうです。」
こんな極端な話を受け売りすることは、話のネタに過ぎないかもしれないので「話半分」のつもりかもしれないが、ちょっと馬鹿馬鹿しい。少なくとも、丸谷氏にノンホモ・パス乳の旨さだけでも伝えるひとがいてもいいだろう。きっと知らないに違いない。
ところでこの本、途中でいきなり目次と本当の頁番号が3頁もずれる。文藝春秋ともあろう会社が・・・。どうも途中のエッセイで、和田誠の挿絵と表が3枚あり、最後の校正段階でうっかりミスしてしまったのではないかと邪推する。いま私も仕事上出している排出権の本の新版をすすめていて、もうすぐ最終の校正段階だが、頁番号まではチェックしない。『青い雨傘』は初版第一刷だが、次の増刷からは改まったのだろうか。
牛乳ついでに、中平康が若い頃に撮った映画『牛乳屋フランキー』(1956年)を観た。牛乳配達の店で働くフランキー堺の話だが、どんな牛乳かはわからない。しかし、お得意様を連れて牧場ツアーに行くバスの中で「森永」という文字が見えたから、きっとUHT乳だろうね。
フランキー堺はモーレツに配達してお得意様を増やす
●参考
○牛乳(1) 低温殺菌のノンホモ牛乳と環境
○沖縄のパスチャライズド牛乳